箱根散歩2013 - 5(2013/03/10)
— 北伊豆地震 —
それから次の目的地へ向けて出発。
次の目的地は北伊豆地震の断層の痕跡で、現在地から南下すること20分少々のところにあります。
北伊豆地震という聞きなれない名称の地震ですが、今から遡ること83年前の1930年(昭和5年)11月26日に函南町の丹那盆地のあたりを震源に発生したマグニチュード7.3の直下型の大地震のことを指します。
この時丹那断層呼ばれる断層が活動し、そのずれた痕跡を保存展示している場所が丹那盆地の一画に残されいます。
丹那盆地の地中には東海道本線の丹那トンネルと東海道新幹線の新丹那トンネルがそれぞれ通っているのですが、当時掘削中だった丹那トンネルは断層を横切る形で掘られていたので、この断層の活動によってトンネルがずれてしまうという被害が出ました。
そのため、トンネルは断層付近でS字カーブを描いているそうで、なかなかそれを目で確認するのは難しいですが、電車の先頭車両などで見ていたらそのS字カーブを認めることもできそうです。
それはさておき、丹那断層は主に横ずれ型の断層だったため、根尾谷断層などの縦ずれ断層と異なり、その痕跡が残りにくいのですが、建築物をまたぐようにずれたりするとこれが痕跡として残ることがあります。
丹那断層もそういった痕跡が2か所ほど残っているとのことで、まず最初に丹那盆地北側にある火雷神社へ。
上の写真は地震後に新設された鳥居ですが、当時の鳥居が写真の右手側に残っています。
それが、この写真です。
正面に見える階段は二本に分かれていて、左側の階段は二つ上の写真の鳥居と同時期に増設されたものです。
で、右側の階段の手前にコンクリートの逆トの字型の柱が立っているのがわかると思います。
これが北伊豆地震の際に崩壊してしまった鳥居の残骸になります。
この鳥居と階段の間に断層が通っていて、地震によってそれぞれが2.5mほどずれてしまったのですが、上の写真だとちょっとわかり辛いですね。。。
階段の上から撮影した写真です。
階段の一番下の段のすぐ先にある木の板が渡されている場所が断層の場所。
この階段の左端の線の先になければならない筈の鳥居の足が、階段の真ん中付近までずれていることがわかるかと思います。
崩れた鳥居は地震の時のままの状態で保存されています。
階段の右側の石が断層に引きずられて右方向へずれている様子もわかります。
— トンネル上の町 —
続いて盆地の南側にある丹那断層公園に向かいます。
こちらはいつだったか忘れましたが、数年前伊豆に行った帰りに立ち寄ったことがあり、その時写真に残していなかったので改めて再訪しようと思った次第です。
断層公園はよく整備された公園ですが、無人で見学は自由です。
車を止めて階段を上がるとまずこの丹那断層の動いた範囲のジオラマがあって、自分のいる場所との位置関係がよくわかります。
そのすぐ脇には石が並べられた庭園のような空間があるのですが、これがまさにずれた痕跡として保管されている部分です。
写真に写っている半円をずらしたような石の場所は、もともと円形のくず置場だったそうで、2m程度動いているのがわかります。
さらにその奥の水路の石垣もずれている様子がわかります。
さらにその先にはその断層部分をトレンチした断面図が展示されています。
ご覧のとおり、一直線に断層が通っている様子がわかります。
そもそも、伊豆半島はかつては太平洋に浮かぶ独立した島で、本州に衝突したときに、地盤は本州の下に潜り込もうとしたものの地上が本州につっかえて沈んでいけず、今なお本州をぐいぐいと押し続けています。
そういう場所なので、地盤的にはかなりのストレスがたまっていると思われるので、地震の巣になってしまうのは仕方のないことなのかもしれません。
また、もともと丹那盆地では豊富な地下水を利用してワサビなどが栽培されていたのですが、上でも触れた東海道線の丹那トンネルの掘削時にこの水脈をぶち抜いてしまい、大量の湧出に悩まされたそうです。
土木技術がまだ未熟だった時代の話で、排水管を多数設置して水を排出するという、ちょっと乱暴な方法で対策したため、丹那盆地の湧水が枯渇してしまい、補償問題に発展したりしています。
断層内の地下水が変動することによって山崩れや地震などを誘発される可能性を指摘している方面もあるので、もしかしたらこの工事が引き金になってしまった可能性もありやなしや。。。
それはさておき、水田やワサビ栽培をあきらめざるを得なくなった集落の人たちは、それに変わる産業として酪農を始めたため、現在は酪農の里として知られています。
酪農王国オラッチェという施設があるということなので、せっかくなので行ってみようと思ったのですが、何かイベントでもやっていたのか駐車場はびっちりと車で埋まり、付近の畑のあぜ道にまで大量に車があふれていたので、結局よらずにそのまま帰ることにしました。
帰りは途中渋滞もはさみ3時間ほどかけて帰宅。
いまいち全体的にやり切った感のないおでかけでした。。。
(おわり)