伊豆大島上陸【8】(2014/03/08)
午後一発目の観光は波浮港の散策から。
波浮港へ戻る道の途中、波浮港見晴台と言うのが有ったのでちょっと寄ってみた。
ガイドマップなどでもよく使われている定番ポイントで、波浮の入り江と町並みが一望できる。
展望台の道向かいの土産物屋でスタンプが置いてあった。これで3箇所目、あっけなく最低ラインは達成できたが、それだけで提出したらかなり感じ悪いと思うので、ほかの場所でもできるだけ押しておこうと思う。
展望台から都道を半周して、波浮港の東側の集落に入った所で適当に車を置いて集落の中を散策してみることに。
歩き始めて程なく見えてくるのが、「旧甚の丸邸」と呼ばれる住宅。
瀟洒な建物は庭にヤシ類が植えられ南国情緒を感じる。
建物は公開されていて部屋の中を見学することが出来るそうなので、お邪魔してみることに。
甚の丸とは江戸末期から昭和初期にかけて当地で栄えた網元で、当時の波浮港は遠洋漁業の中継地として繁栄し、周囲には他にも沢山の網元の蔵屋敷が立ち並んでいたとのこと。
玄関を入ると、土間に陶器のタイルが埋め込まれていて手が込んでいる。
建物は平屋で、入って左手に広間が続き、右側は広い土間になっている。
縁側を通って建物を回りこむように進んでいくと一番奥に風呂とトイレがあったのだが、
そのトイレの便器も有田焼のような絵柄の施された陶器が奢られていて高級感が漂っている。
大島のような離島でこういった装飾品を手に入れるのは本土より難しかっただろう。当時はこういう装飾品で優雅さを競っていたのかもしれない。
土間から屋根裏に上がる階段があり、登ってみると広大な屋根裏になっていた。
当時はここで蚕を育てていたそうだ。
敷地の境界は玉石垣が詰まれ、路面も石畳になっていて、こんなところにも当時の優雅さを偲ぶことが出来る。
路地に出ると、ニャーがお出迎え。人馴れしているようで、のてのてと擦り寄ってきた。
が、あげるエサを持ち合わせていなかったので、適当にあしらって先に進むことに。
その路地の先は階段となっていて、港まで続いている。
この階段は通称「踊子坂」と呼ばれていて、階段を下りるとその理由が分かる。
階段は思いのほか距離が長く、帰りにまた登るのかと思うとちょっと憂鬱になる。。。
入り江の向かいの山の稜線に見える白い建物が、さっき立ち寄った見晴台だ。
延々と降りていくと「やとなみ」と書かれた年代物の塀と、それに囲まれた古い建物が見えてくる。
「港屋旅館」と書かれているが、現在は営業していない。
特徴的な字体の看板(っていう言い方でいいのかな?)
「館」の字が「舎」に「皮」という見慣れない字を使っていて、崩し字なのか一種の旧字体なのかは不明だが珍しい書き方だ。
この旅館は上の旧甚の丸邸と同様、大正から昭和にかけ隆盛を極めたそうで、当時は夜な夜な芸者を呼んでは盛大な宴が繰り広げられていたらしい。
この建物も「踊り子の里資料館」として開放されて、無料で見学することが出来るというのだが、だからといって管理人も学芸員のような人もなく、無防備に大開放されていると逆に入って良いものか一瞬躊躇われる。。。
入口が開いているんだし大丈夫だろうと上がりこんでみると。。。
マネキンかぁ。
あー!びっくりした~!!
その部屋の脇には「電話二番」と書かれた、以前山寺で見た旧山寺ホテルのものと同じ構造の電話室があった。
奥に見える鳥山明さんの自画像みたいなものがその電話機で、山寺ホテルにあった手回し式よりも古いものだ。
2階に上がると、こちらの広間では宿泊者たちが宴に興じている様子が再現されていた(なぜか写真には撮っていないのだが。。。)
通路をまっすぐ進むと突き当りにも階段がある。
ワンフロアに階段が二か所設けられているのは、客の動線が妨げられないようにという配慮のためだそうで、こういう所も当時いかに盛況だったかが偲ばれる。
その突き当たりを再び一階に降りると、奥の大広間にもマネキンが置かれていた。
ここの人形だけ手元のスイッチを押すと動き出すようになっている。
ちなみに、さっき下りてきた坂道が踊子坂と呼ばれるのは、この地で暮らしていた「タミ」という旅芸人一座の踊り子が、川端康成の小説、伊豆の踊り子の主人公「カオル」のモデルになっていることにちなんでいる、と建物内の案内板に記載されていた。
みなとやの前を抜け、今度は港沿いの集落まで降りてみた。
この集落の様子が、伊豆大島の中でも趣があると言うことで、「波浮港の町並み」としてよくガイドブックなどに掲載されている。
自分も同じような写真を撮ってみたつもりだったのだが、なんかイマイチなのは何故だ?w
波浮港は、以前は火山の噴火口の跡に出来た池だったのだが、元禄の大地震の大津波によって海とつながってしまい、その後、秋広平六という上総出身の商人によって湾口を開削され今の姿になったのだそうだ。
深く入り込んだ湾の形状をしているので、風待ちの港として大変栄えたという。
さっきの集落の道のもう一本港側に伸びる路地を見つけ入り込んでみたら、これまた昔ながらの港町の裏路地と言う感じでグッときた。その路地をそのまま真っ直ぐ突っ切っていくと、突き当たりに程近い場所にあるのが「鵜飼商店」という商店。