瀬戸内周遊初日の出【15】(2014/01/02)

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ここは弾薬庫の跡である。発電所同様、築堤され海側から見えない場所にある。

屋根が抜けているのは、万一爆発したときに爆風を上方へと逃がすために、敢えて簡素な屋根を載せていたので、長い年月で落ちてしまったからだそうだ。

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ここは建物内に入ることが出来たので立ち入ってみる。倉庫なので建物内の造作は何もないが、屋根が落ちたせいで雑草がまばらに伸びている。なんとなくじめじめとした陰湿な印象である。

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・・・なんて書いておいて、反対側に目をやると、日の当たる側はご覧のとおり。
こちら側は、よい歳月を経て枯れたような乾いた印象で、そこに戦争による陰鬱な雰囲気はほとんどない。

この手の写真は日当たりによって受ける印象が大きく変化することが分かる。

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更に歩いてくと、遊歩道の途中でウサギに餌やりをしている人がいた。この辺りは人影も少なく、落ち着いてエサやりをしたいのだろう。

軽く会釈だけして進んでいくと、今度は北部砲台の遺構が見えてくる。

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ここには12cm速射加農砲(カノンほう)が置かれていたそうだ。

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土台部分の下には半地下の倉庫があるが、もちろん残留物は何もない。

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さらに道なりに進むと、すぐにもう一つの北部砲台の跡に出る。
この砲台にはかつて24cm加農砲が4門あったということだが、今では3門の台座が残されているのみ。

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砲台の倉庫は水没していた。この辺りは結構な湧水があるようだ。
ここに来る道の途中、斜面一面にシダが生い茂った場所があったので、小さな島の割に案外水が豊富なのかもしれない。

広場から北部砲台観測所跡へ続く歩道が分岐しているのだが、立入禁止になっていた。

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奥の砲台はのちに毒ガスの貯留施設として使われたそうだ。樽を載せる足のような構造物が残っていた。

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砲台跡だけに見晴らしは良く、島の北側の風景が見ることができた。
左下に島から続く半島が腕を伸ばしているのが見える。離れ小島を埋め立てたようにも見えるが、逆に島への資材搬入をやりやすくするために元々あった尾根を削り取って平らに均したのだそうだ。

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広場の一画には地下兵舎が残されている。ようやく人間の息遣いを感じられそうなものが見れた。
中がドンガラなのは他と変わらないが。。。

再び歩道を進んでいくと、今度は島の西海岸に沿った道になった。
この道からの多島美が素晴らしかったのでパノラマ写真を撮ってみた。

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左から、大三島、岩礁の背後にあるのが大崎上島、正面が小久野島、その右が阿波島、その背後が本州

今までパノラマ写真はペイントを使って一枚一枚手作業で精魂込めて合成していたのだが、最近MicrosoftのICEというフリーソフトの存在を知り試してみたところ、簡単な操作でとても完成度の高いパノラマ写真が作成できた。
どういうロジックで貼り合わせているのだろうか。今後のパノラマ写真はICEで作ろうと思う。

こうして、職人さんの仕事が奪われていくんだねー(遠い目)w

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上のパノラマを撮影した岸壁に背を向けると、ここにもそこかしこでウサギが戯れている。そんな平和な光景をあざ笑うかのように、ウサギの背後に異様な空間が口を開けている。

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比較するものが少ないので写真だとその大きさが分かり辛いと思うが、優に6、7mはありそうなゲートが大きな口を開けている。

ここは長浦毒ガス貯蔵庫の跡で、びらん(皮膚をただれさせる)性のガスが貯留されていたとのこと。

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見上げる高さの貯蔵庫はその奥のつくりも巨大で、ガリバーになったような気分が味わえる。
ねぶたすら収まりそうな区分の一つ一つが黒く焼けただれている。これはガスを廃棄する際に建物ごと焼却したためだそうだ。

入口の大きな門は現役当時は迷彩柄に塗られて、外から分かりにくいようにしてあったとのこと。

さて、この先は休暇村の施設となる。テニスコートよりも見たいものがあるので、ここで一旦来た道を戻る。
北部砲台跡の片隅にある遊歩道から山を上がって、島の最上部を目指す。

Posted by gen_charly