瀬戸内周遊初日の出【19】(2014/01/02)
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相変わらず参拝の列は途切れることなく続いていて、やっぱりここでのお参りは叶わなさそうだ。
参拝客はお参りを済ませたらこちら側に出てくる順路になっている。本堂は懸造りのようになっているので、その下の通路を通って参道側に戻るようになっていた。
ここをくぐると一周である。岩の周囲をぐるっと回ってきたが、ここまで例の岩への入口が見つけられていない。人がいたのだから、必ずどこかにある筈なんだけど、見落としているのだろうか。。。
そして、再びスタート地点まで戻って来てしまった。
本堂の脇に並ぶ参拝者の列を見上げた時・・・、
んん~!?
あれでないの?
並んでいる参拝者の列をかき分けて階段を上ると、本堂とは反対向きに鳥居があり、ご丁寧に三重岩の看板も出ている。
ここだったか。。。数時間前、ここにいたのに全然気づかなかったよ。
鳥居をくぐって奥に進むと、岩を登るための鎖が見える。その手前に賽銭箱がある。登るのに100円以上の寄付が必要とのこと。たくましいね。。。
それを見てカミさんが登るべきか悩み始める。でも、折角あちこち歩いてやっと見つけたものだし、アトラクションだと思えば、、、と説得。
幾ばくかの寄付していざチャレンジ!
ご覧のとおり、のっけから鎖場である。難儀させられそうな予感。。。
というのも、鎖はメガネのような形の鎖をつなぎ合わせた形になっていて、輪の部分に足をかけると足の重さで鎖が下方に引っ張られて、それより上の鎖が岩に張り付いてしまい、次の足が深く入れられないのである。
散策しやすいようにつま先に厚みのあるトレッキングブーツを履いて来ているので、ブーツの爪先しか入らない状態だと足の指が輪に乗らず、体重をかけることができない。
なんだか早速知恵を試されているような気分になる。
鎖に乗せている方の足以外の三点でバランスを取って、鎖に体重をかけていない隙に、鎖を少し浮かせてもう片方の足を入れる、というやり方を編み出し一段目は制覇。
登ると目前にまた鎖。。。さっき習得したメソッドで制覇。
・・・いや、ぶっちゃけ、知恵をフル活用しちゃったら、鎖を使わずに登れる。
でもそれは、一休さんばりのチートである。敢えて自らに苦行を課すことで功徳を積むのがこのアトラクションの主旨なので、やはり鎖を使う、という制約の中で如何に知恵を絞るかが試されているのだ。
多分w
というか、お布施をして苦行を積むって、なんだか釈然としないものを感じぬこともない・・・とか罰当たりなことを言っているから、人生苦労の連続なのかもしれん。。。
そんなわけで、苦行の果てに頂上に到着。
小さな祠が祀られていたので、神妙に手を合わせる。
ここからの眺めは展望台からの眺めと勝るとも劣らない素晴らしいもので、頑張って登ってきた甲斐があった。
眼下に見える線路を行く電車が鉄道模型のようだ。
さて、この手の物件は大抵、行きはよいよい帰りは恐いというのが定番である。あの鎖を降りるとしたら登るよりも大変そうだぞ、などと思っていたのだが、出口の案内は別の方向を向いていて、来た道を戻るわけではなかった。
で、その降りてきた場所は件の墓地の奥で、最初の読みはあながち的外れでもなかった。
もっとも、途中に柵があって墓地側からは入れないようになっていた。さっき果敢にアタックしなくてよかったw
遊歩道へと戻ると参拝客の列はいつの間にかだいぶ短くなっていた。これなら15分くらいで参拝できそうなので、お参りもちゃんと果たしていくことにした。功徳を積んだ効果だろうか?
自分たちの前に並ぶ人を見ていると、傍らに腰掛けたおじさんから線香やろうそくを買い求めて、それをお供えしている。なんだか合理的なシステムだなと思った。
その光景が新鮮なものに映ったが、よくよく考えたらそもそも寺での初詣自体あまり経験がなく、案外これが当たり前なのかも。
うっかり柏手を打ちそうになるのをぐっとこらえ、静かに手を合わせて一年の無病息災を祈念。
参拝を済ませたら、あたりはだいぶ暗くなっていた。夜景というにはまだちょっと早いが、早く家に帰りたいな、と思わせるような雰囲気のある夕景が広がっていた。
麓へ降りる途中に天寧寺という寺があり、立派な三重塔が町を見下ろしていた。
ということで、寺町散策はこれでおしまい。尾道というと数々の映画の舞台としても有名で、そのロケ地めぐりも尾道観光の楽しみ方の一つとして知られているが、ウチらは元々あまり映画を見ないので、尾道が舞台の映画というのもよく知らない。映画を見る機会があったら、その後でもう一度ここを訪ねて追体験するのも面白そうだと思った。
ちなみに。。。
尾道の駅から山の方を望むと山のてっぺんに立派な天守閣が見える。
2000年の旅行で訪れた時に見かけて、次に来る時には行ってみようかな、と思っていたのだが、その後何度か訪れているものの、毎度市内散策ができなかったので、そのまますっかり忘れていた。
そして今回も存在を思い出したのは帰宅後である。
なぜかというと、駅で貰った観光マップのどこにもあの天守閣のことが書かれていなかったからだ。
こんなに立派な天守閣なのになんで無かったかのような扱いになっているのか不思議になったので調べてみたところ、あの城は50年ほど前に当時の商工会が「全国城の博物館尾道城」として建てた建物で、城ではなかったのだ。尾道には歴史的に城があった事はないらしい。
当時はそれなりににぎわったのかもしれないが、90年代にあえなく閉鎖となってしまい、以後、全国でも珍しい城の廃墟として、知る人ぞ知る珍物件になってしまっているとのこと。
尾道の玄関ともいえるよく目立つ場所に廃墟が放置されているのは目障りということで、いまではお荷物的物件らしい。
いや、むしろ、廃墟と知っていれば、時間を割いて見に行ったのに惜しいことをした。
案外廃墟を前面に出して宣伝したら、廃墟マニアが集まる良い観光資源になりそうな気もするが。。。w