瀬戸内周遊初日の出【32】(2014/01/04)
片上鉄道は、赤穂線の西片上(の近くの片上)から山陽本線の和気(わけ)を経由し、山間部の柵原(やなはら)までを結んでいた私鉄で、鉱山の貨物輸送がメインの路線だった。
廃止前に同線を走っていた車両が、赤穂市内の菊が峠にあるドライブインと、吉ヶ原(きちがはら)駅跡を整備して作った柵原鉱山ふれあい公園にそれぞれ展示されているとのことなので、順に回ろうと思う。
まず最初は菊が峠のドライブイン。
高速を山陽インターで降りて、そこからひたすら北上して到着。思いのほか遠い。。。
カミさんにドライブインを散策してもらっている間に、さっと行って撮影。
道を挟んだ反対側の敷地に所在なく置かれていた。特に解説などもないので、一般の利用者からは興味を持って貰えなさそうだ。
車体は塗り直されているようで、汚れは少ないが、鉄板の錆などが綺麗に処理できていないので塗装の乗りがあまりよくない印象。まぁ、放置されている数多の保存車両と比べたら万倍マシだ。
塗り直しの際に車号が消えてしまったようだが、情報によるとこれはキハ311とのこと。
カミさんの散策が終わる頃を見計らって戻り、ふれあい公園に向け出発。
ナビの案内に任せていたら道が通行止めになってて、延々と戻らされたりしたが無事到着。
駅舎にひと気がなかったので、ホームへ出てみる。
客車やディーゼル機関車など、この路線にかつて走っていた車両が停まっている。どこかからディーゼルのエンジンが回っている音が聞こえるので、動態保存もしているようだ。
ホームの傍らで作業をしている人を見つけて、写真を写真を撮りたい旨を伝えると、もうちょっとしたら入れ換えするからそれまでならいいよ、とのことだったので、お邪魔させてもらう。
まずホームに停められた旧型客車から。
手前の茶色の客車がホハフ3002。国鉄時代の色と車号(オハ35 1227)に直されている。
その奥がホハフ2003。
こちらは片上鉄道の現役当時のままである。客車は詳しくないのでよくわからないのだが、オープンデッキになっているので、相当古いものかもしれない。
貨車と客車にはさまれて停まっていたのがキハ312。
自分は廃止直前だった1991年のGWに乗車したのだが、その時乗った車両がこれだった。
これは乗った時の写真。
車内は板張りのセミクロスシートで、廃止間近だったので車内は満員だ。
向こう側で撮影している人が撮った写真には、多分当時の自分が映り込んでいると思うw
注目は車内が禁煙じゃなかったこと。右側の人がうまそうに煙草をくゆらせている。
都市部の列車は既に車内禁煙が当たり前になりつつあったが、地方ではこんな感じである。喫煙に対する風当たりがほぼ無風だった時代なので、嫌煙を振りかざす人も少なかったのだろう。
思い出話をもう少し。
当時、鉄道写真の撮影と共に、切符の収集にも力を入れていた。自分が使った切符にこだわりがあるわけではなく、珍しげな切符なら何でもよかった。この時も和気駅で駅員に使用済みの切符があれば分けてほしい、お願いして2,3枚硬券を分けて貰った。
だが、自分が乗るための片上までの切符を買おうと思ったら、もう切符の在庫がないので車内で補充券をもらってください。と言われた。廃止直前だと切符の補充もなくなってしまうのか。。。
到着した列車に乗り込んで、車掌にその旨を伝えると、スムーズに補充券を発行してもらえた。
それから程なく列車は出発の時間を迎え、片上駅に向け走り出す。
その日は5月とはいえ少し暑い日で、車両の窓があらかた開放されていた。
車内は満員御礼、自分は少しでも景色が良く見える場所と思い、運転席近くの出入口脇に立っていた。
脇の窓から田畑を吹き抜ける薫風がディーゼルカーの重油の匂いを孕んで車内に吹き込んでくる。
と、その瞬間、車内に舞い込んできた風に、手に持っていた補充券を飛ばされてしまった!
慌てて手を伸ばしたものの、舞い上がった補充券は、横の解放された窓へ向けて綺麗な軌跡を描き、そのまま車外へと旅立ってしまった。。。
貧乏旅行をしている身、もう一度運賃を払う余裕は無く困り果ててしまった。
困惑している自分に、隣に立っていた人が「僕が一緒に降りて駅員に証明してあげるよ。」と声をかけてくれた。
そのご厚意を有難く受けることに。片上駅までの間にぽつぽつと会話したが、何を話したかは忘れてしまった。まぁ、他愛もない話題だったと思うのだが。
そして、列車は終点、片上駅に到着。その人と一緒に下車し改札まで同行して貰った。他の乗客が改札を通り終わるのを待って、駅員その旨を伝え、彼からもフォローを入れて貰う。
が、駅員の反応は淡白そのもので、「じゃあ、いいです。」というジェスチャーをしてそのまま通してくれた。
おかげでピンチを回避できた。その人にもお礼を言って、そこで別れた。
思い出話、おわり。
ちなみに、近年マナーを守らない迷惑マニアの存在がニュースなどで取りざたされているが、なんのことはない、当時からそういう輩はいた。
上の写真は片上駅の事務室の窓ガラスに貼られていた新聞の切り抜き。
廃線記念として列車に掲げたヘッドマークを盗む輩に手を焼いていることを伝えている。
さて、やっと今日の話に戻る。
奥に見える屋根囲いにも車両が停まっていたので、行って見ることに。
屋根の下に止まっていた車両のうち一両はキハ702。
上の新聞記事に出てきた車両だが、当時とは塗り分けが微妙に異なっている。
反対側はキハ303だった。
この屋根囲いのすぐ脇にあるのが、鉱山資料館なのだが、お休みだったので中は見ていない。
その建物脇に、岡山臨港鉄道で使われていたキハ7001の先頭部分だけが展示されていた。
他にクモハ12と思しき電車のカットボディもあったが、こちらは写真に撮り損ねてしまった。
ホームに停まっている機関車から時折エンジンを吹かす音や警笛の音がが聞こえてきて、そろそろ入れ換えを始まるのかと思い、ワクワクして待ってみたのだが、一向に動きが見えなかったので諦めて帰宅することに。
シメというには若干しまりのない感じだが、これで今回の旅行は全て終了。
ここからはひたすら帰途となるが、最後に風呂くらい入っておきましょ、という事で探して見つけたのが、赤磐市の佐伯峠のすぐ脇にある天然温泉ツルの湯という温泉。
他に近隣で温泉らしい温泉がなかったので、そこを目的地に設定。