紀伊半島と浜松のドライブ【1】(2023/07/23~07/24)
自分の職場は夏休みが定められていない。ここ数年は親戚周りに呼び出されることもあったので、もっぱらお盆の時期に合わせて休暇を取っていたのだが、今年は父の新盆が控えていてお盆の予定が埋まっていたこともあり、時期をずらして久しぶりに家族で水入らずのドライブに出かけることにした。
コロナ禍が収束しつつある今日この頃、GWの旅行では随分酷い目にあったので夏季の行楽シーズンを避けて7月の最終週に取得することにした。ところが日程だけが決まって肝心の行き先がなかなか決まらなかった。ジャストアイディアで南紀方面にでも行ってみようかとカミさんに提案してみたのだが余り食いつきが良くなかった。じゃあ他に良い行き先がないかと考えているうちに22日に名古屋へ、更に29日には大阪へ出張に行ってこいと職場から無慈悲な指令が下り、それの準備をしていたら行き先が決まらないままあっという間に名古屋出張の日が目前に迫っていた。
出張の翌日が夏休み初日である。なんか慌ただしくなりそうなのでもう今年は遠征はやめて家でのんびりしていよう、と思ったのだが、かみさんに話すとそれは嫌だ、という。。。どうしたもんかな、と悩んでいたらカミさんが伊勢神宮に行きたいと言い出した。おかげ横丁でウドンスキーなチビに伊勢うどんを食べさせてみたい、ということらしい。いいじゃん行きましょう。
ということで出張の移動中に急ごしらえで組み立てたプランは以下のとおり。
1日目 ・・・ 一路名古屋方面へ
2日目 ・・・ 太地町のくじらの博物館を見学し、伊勢神宮最寄りで宿泊
3日目 ・・・ 伊勢神宮参拝と志摩の真珠を訪ね、鳥羽から伊良湖までフェリーに乗船。渥美半島のあたりで宿泊
4日目 ・・・ 浜松にあるスズキ歴史館と、楽器博物館を見学した後帰宅
結局南紀方面に向かっているじゃないか、と思ったがややこしくなるので口にはしなかった。と言っても今回はあまり南紀に深入りしない。というのも28日からの大阪出張に向けた準備の日程を確保しておく必要があったからだ。休暇は5日間有るがそのことを考えると4日間くらいに納めておきたい。遠くへ行きすぎると行きと帰りがほぼ移動になってしまうので、ほどほどのところで折り返して戻り道の道すがらにあちこち訪ねつつ自宅に戻ろうと言う寸法だ。
このプランをカミさんに伝えたところ、OKが出たので出発と相成った。
南紀へ:
2023/07/23
名古屋出張から帰宅したのは22日の23時過ぎだった。それはまぁ想定どおりなのだが、もちろんそこから旅行の準備などする余裕はないので23日になってから準備を開始。出来るだけ遠くまで進めるようなるべく早い時間に出るつもりだったが、いろいろ手間取って結局自宅を出たのが19時になってしまった。19時から出発だとせいぜい名古屋あたりまでたどり着くのが関の山か。。。
今回も新東名経由で向かう。学生は夏休みに入っている時期たが、まだ帰省のシーズンでもないので交通量は少なく、道は至って順調だった。いつもこんなならいいのに。
冒頭の旅行計画に記載のとおり、明日はくじらの博物館を見学する予定である。この博物館は博物館と名乗っているが水族館でもあり、イルカやクジラのショーを見ることができる。出発前に軽く調べたところそのショーの1番早い回は9:30からだそうだ。
だがこの博物館は太地(たいじ)町という和歌山県の南端付近に存在する。9:30のショーを見るためには名古屋界隈で泊まったのでは間に合わない。
この分だと名古屋は余裕で通過できそうなので、今晩のうちにできるだけ先へ進んでおくことにした。
途中、藤枝PAで休憩を挟んだだけでどんどん進み、伊勢湾岸道を経由して東名阪道へと進む。全く渋滞知らずで名古屋は余裕で通過。御在所SAで2度目の休憩となったあたりで日付が変わった。
2023/07/24
更に進んで勢和多気JCTから紀勢道へと進む、、、がこのあたりで疲労がピークを迎えた。太地町はまだだいぶ先なので、もう少し進んでおかないと初回のショーの時間には間に合わない。だがいい加減しんどくなってきたので、カミさんにその旨を伝えて途中の奥伊勢PAで仮眠となった。
日中は連日35度近い猛暑が続いているが、夜になると風が吹いてきてそこそこ気温も下がるので、さほど寝苦しさを感じることもなく入眠することができた。
道の駅熊野・花の窟と花の窟神社:
移動中のほとんどをリアシートで眠っていた2人は6時に起床。例によって朝散歩に出かけて行った。その時間を使って自分はもうひとしきり仮眠。だが7時にもなると日が高くなってきて車内も暑くなって寝苦しくなる。1時間ばかりで2人が戻ってきたタイミングで自分も起床。まずはそのまま出発。
道は尾鷲北ICまで開通していて、そこまで進んだらあとは国道42号線をひたすら南下である。
途中道の駅熊野・花の窟で小休止、ここで朝食と相成った。
この道の駅は駐車場も小さく、ささやかなつくりになっていた。駐車場に面したところにはトイレしかなく店舗等はその裏手にまとまっている。そのエリアはお綱茶屋という名前になっているが、10時の営業開始時間までは中に入ることができないようになっていたので中の雰囲気は不明。
駐車場の傍らにあずまやがあって、そこが我々の朝食会場となった。
さて、道の駅の名前にも冠されている花の窟だが、これは道の駅に隣接する花の窟神社のことを指しているらしい。せっかくなので朝食後にちょっと見に行ってみることに。
入口は特段物珍しい感じもなく、鳥居の向こうに参道が続いている。
途中稲荷大明神への参道が分岐し、お稲荷様では定番の鳥居の連なりもあった。
そこを潜り抜けていくとお稲荷様が置かれていた。
お稲荷様にご挨拶だけして、それからさらに参道を歩いていくと寺の山門風に建っている社務所がある。そこをくぐると、、、
その先に拝殿はなく、広場は巨大な絶壁に突き当たって終わっていた。拝殿はないが敷地の片隅が柵で区切られていて、そこに金属製の大幣(おおぬさ)が建てられていた。この大幣は伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀ったものであるそうだ。また、その向かいには軻遇突智尊(かぐつちのみこと)を祀った大幣も置かれていた。
だが、いずれも祠はなく大幣が建てられているのみだ。狐に鼻をつままれたような気分で掲げられた解説を読んだところ、この背後にそそり立つ絶壁こそがご神体である、と書かれていた。へぇ。
絶壁を見上げるように上方に視線を移すと、空中から紐がぶら下がっている。この紐が花の窟の由来となっているお綱かけ神事で使われるものだそうだ。今はただ紐がぶら下がっているだけだが、春と秋に例大祭が行われる際にはこの紐に沢山の花をくくりつけて神事を執り行うそうだ。
ちなみにこの窟は高さが45mもあるそうだ。そこに飾りつけをした紐を張るなんて随分と大掛かりである。例大祭の時に見に来たら壮大な光景が見られるに違いない。
更に解説を読んでいくと、この神社は日本書紀にもその名が登場する日本最古の神社であるらしい。そんな大層な謂れのある神社であるにもかかわらず、その佇まいはその辺の集落の氏神様的な控え目なものとなっている。言っては何だが全く特別感がなく日常に溶け込んでいる感じがする。そうした謂れの多い神社がさりげなく存在するのは熊野古道や熊野三山を要する和歌山県の懐の深さたるゆえんか。
先入観なく訪問したにもかかわらず、殊の外由緒正しき神社であった。お参りを済ませて道の駅に戻ってきたら道端をキジトラの猫が歩いてきた。首輪が付いているので飼い猫のようだが、自分らのもとに近寄るなり腹を見せて甘え始めた。ここぞとばかりにチビが戯れて遊んやったら、そのうち満足したらしくまたどこぞへと歩いて行ってしまった。