岡山出張2nd.【6】(2023/11/12)
平羅島・中ノ島:
それから少し進むと、道沿いの斜面になんか巨大な足場みたいなものが見えた。コンクリートで作られた巨大な塀に隣接する形で足場が組まれている。何か修復でもしているのだろうかと気になったが、早い所先に進んでおかなければならない焦りから、ちらっと一瞥しただけで先に進んでしまった。
後で調べてみたら日本一のジャングルジムらしい。高さが13.2mもあるそうだ。よくそんなもの作ったな。公園や学校の校庭に設置されているジャングルジムでも足を踏み外したら大ケガするだろうな、というスリルを感じるが、13mもあったら万一転落したらただでは済まない事態になりそうな気がする。
まぁ一応その辺は考慮されていたらしく、リンク先の写真を見てもらうと分かるとおり、キャットウォーク状の足場が組まれていてその上を歩行できるようになっている。両脇に沢山パイプが組まれているからむしろ恐怖心は和らぐかもしれない。
ただし、遊具としての基準を満たしていなかったらしく、現在は立入禁止になってしまっているそうだ。
ほどなく対岸に三角島が見えてくる。三角島とかいてみかどじまと読むそうだ。そう来たか。島にはわずかながら定住者もあるが架橋はされておらず久比集落からのフェリーで渡ることでアクセスできる。
そのまま北岸を辿っていくとやがて橋が見えてくる。ここから橋を渡って岡村島へと行くことができるが、その間に平羅島(へらじま)と中ノ島という無人島があり、それらの島々を繋ぐように3つの橋が架けられている。
ということで、まずは平羅橋を渡って平羅島に。
平羅島の南岸を舐めるように進むと、今度は中の瀬戸大橋を渡り中ノ島へと上陸。これで111、112番目である。
両島とも無人島だが、ミカンの出作りが行われている島なので斜面にはミカン畑が広がっている。よく整備された道路と相まって無人島に来たという感じはあまりない。
無人島ではあるが家屋のような建物も沿道に数軒見えた。農機具小屋とかだろうか。
そこから岡村大橋で渡った先にあるのが岡村島。この島がとびしま海道により結ばれた一番東端の島となる。
岡村島は大崎下島とほぼ隣接した位置に浮かぶ島だが、ここから東に連なる島は愛媛県今治市に属している。
そんな愛媛県の玄関口となる島だが、上述のとおりとびしま海道はこの島までしか繋がっていないので、島の人が他の愛媛県の地域へ行くためには未だに船で移動する必要がある(陸路だともの凄く遠回りになる)。
地名は今治市関前岡村となっている。関前岡村という自治体があったわけではなく関前村の岡村地区という意味だ。これで113島目達成。この島は周囲11キロほどの三角形の島である。人口は280人足らずと過疎化が進んでいる。
橋を渡って島に上陸したらすぐの場所に展望台があったので立ち寄ってみた。
展望台に建つ東屋には「縁むすび 人待瀬戸」という看板がぶら下がっていた。人待と書いてとまちと読むらしい。背後に見える瀬戸が人待瀬戸だろうか。
大崎下島側の御手洗集落や岡村島の岡村集落は古くは風待ちの港として大いに賑わったそうで当時は遊郭などもあったという。そうしたこととも繋がりがあるのかもしれない。展望台脇に見えるのは鐘と願いが書かれた絵馬、というか木札。神社じゃないからね。人待という名が恋人の聖地的な響きがあるということであやかったのかもしれない。
パノラマ写真。左に見える島は小島という。平羅島、中ノ島同様出作りの島だそうだが、航空写真で見る限りミカン畑らしきものがほぼ藪に飲み込まれているので今は既に耕作を放棄しているのかもしれない。高齢化が叫ばれている地域だけに、船でないと渡れない離島で急斜面を登ってミカンを収穫なんてやってられないのだろう。
さて、岡村島では当初ナガタニ展望台と岡村集落の2か所を訪ねてみようと思っていたが、残り時間を考えると全部見て回る時間はなさそうだったのでナガタニ展望台は見送りとした。大崎上島へ渡るフェリーの出発時刻は13:00だが、その次の便が15:00と2時間も空くので13:00の便に乗ることは死守しなければならない。現在12:30、あと30分。急がねば。
ということで島の海岸沿いに走る道をひた走り、岡村集落を通り過ぎて島の南東側にやって来た。
集落を過ぎると、とびしま海道もここで終わりですよと言わんばかりに道が細くなる。1車線の道を少し進んでいくと海の向こうに島影が見えてきた。
この島は小大下島(こおげじま)という。小大下島の背後にある大下島(おおげじま)の属島である。この辺りには大○島という島が点在するが、そうした島の属島は大体小〇島という名前が付けられている(大芝島に対応する小芝島など)。その法則で行けば小下島となりそうなものだが、この島だけは大を残して頭に小が付いている。なぜそういう名前になったのか不明だが、小さいのか大きいのかよく分からん島である。
大下島と共に砕石が盛んな島だったが、砕石は現在では廃れ、跡地に溜まった水が島民のみならず隣接する岡村島の人たちの水がめにもなっているそうだ。
ここからは見えないが、大下島の更に背後に大三島が控えている。ここに橋を架けて大三島まで結ぶというのがとびしま海道の構想のひとつだそうだ。それぞれの島の間はこれまで渡って来た各島と同程度の距離なので大三島まで結ぶことは不可能ではなさそうだ。陸続きになればとびしま海道からしまなみ海道を経て呉市方面と四国方面への移動が大幅に便利になる。
ただこれまで書いてきたとおり、各島共に過疎化の進行が止まらない。島の人の利便性のためだけに橋を架けるには受益者が少なすぎるし、地域交通の動脈として活用するにしても、橋を架けるだけの需要があるのかというとこれまた微妙。
そうした背景があるかどうかは知らないが、今のところ構想のみで架橋に向けた具体的な動きはないそうだ。
小大下島の様子をチェックしたらすぐに折り返して今度は岡村集落へ。岡村集落はさっき通過した場所だが、写真は帰りにしようと思っていたので戻りながら2、3撮影した。
この集落は関前村の中心集落だっただけに小離島にしては賑やかだ。写真にも写り込んでいるとおりこの辺りで再び雨が降って来た。今度はワイパーをちょこちょこ動かさなければらない程度の小雨である。まだ濡れるというほどでもないが、強くならないことを願いながら集落を抜けた。
途中、海沿いに昭和レトロな外観の店があった。関前みかんの看板や消えかかった正宗という酒のホーロー看板もある。昭和30年代くらいの印象があるが、上には「愛媛県下の酒で一番多く飲まれている!」と書かれている。キャッチフレーズに「!」が入っている辺り、そんなに古いものでもないかもしれない、といっても昭和50年代くらいのイメージ。隣にあった店もレトロフィーチャーな雰囲気の店だったのでそういう昭和の佇まいを留める街並みとしてアピールしているのかもしれない。
この集落もまた車を降りて散策したら楽しそうだなと思った。ゆっくり回れるときに再訪してみたいところだ。
ちなみにこの集落の港から大三島の宗方へのフェリーが出ている。当初はそちらへ渡って尾道に戻る計画を立てたのだが、便数が少なく時間が合わなかったので大崎上島を訪ねることにしたという次第。