岡山出張2nd.【4】(2023/11/12)
下蒲刈島(下島集落):
下蒲刈島はかつて一島で下蒲刈町を構成していたが、平成の大合併で呉市と合併し現在は呉市に属している。人口は1200人ほどとのこと。
隣に浮かぶ上蒲刈島へ向かう道はとびしま海道を構成する橋と共に整備されたバイパスによって島の集落をかすめるように通過してしまうため沿道に見所はない。いくらタイムトライアルといってもただ通過するだけでは面白みがないので少し寄り道することにした。
上蒲刈島に面する三之瀬という集落には歴史的な見所が点在しているようなのだが、そういう所は見学に時間がかかりがちなので手前の下島集落という所に行ってみた。
下島集落は1車線の道路の両側に昭和の風情を色濃く残す建物が建ち並ぶ、島でよく見かける標準的な集落だ。古い町並みかといわれれば、そうとも言えるしそうでないとも言える。「古い」をどの辺に設定するかによって変わる。一般にウケがいいのは昭和初期よりも前の時代の物になるのだと思うが、この集落はそれよりも後になる昭和中期以降の古い町並みだ。
昭和初期より前の時代から残っている歴史的な建物は基本的に裕福な人が拵えたものである。当時の庶民が住んでいた家など所詮あばら家なのでほぼ現存していない。手間暇をかけてよい部材を選び、丁寧に維持できたものだけが現存できるのだから、金がないと続かない。
一方、昭和後期辺りまでの建物というのは、戦後庶民の暮らしが豊かになって庶民でもそれなりに立派な家を所有することができるようになった時代の建物である。立派といっても日常を過ごす場所なので華美な装飾はない。あくまで使い勝手が最優先。でも折角建てるのだから所有欲を満たすような工夫もしたい。そんな施主の思いが感じられるような物件を見ると、ああ、いいなぁという気持ちになる。
この集落の建物はそんな雰囲気を感じる家並みである。自分はこれが堪らない。以前どこかの記事で書いた気がするが、そういう家々に暮らす人がどういう日々を送っているのか妄想するのが楽しかったりする。聞いたことのないメーカーの調味料が置かれた台所、主人が趣味で集めたブランデーが茶箪笥に並べられた居間、地元のタクシー会社が配ったカレンダーがかけられたトイレ、純和室なのに洋物の調度品を並べたコドオジの部屋。。。そういう妄想しだしたら止まらない。
だから本当なら時間をかけて歩いてみたいのだが、今日はグッと我慢。
上蒲刈島:
それから蒲刈大橋を渡って上蒲刈島(かみかまがりじま)に上陸。こちらが108島目。
島は周囲28キロほどあって諸島の中ではそこそこの大きさがある。この島もかつては一島で蒲刈町を構成していたが、現在は呉市に編入されている。人口は1400人余りとのことだ。1995年には3000人以上が暮らしていたというのでこの30年で半減したことになる。島に橋が架かって地続きとなったことでストロー現象のようなものが発生しているのかもしれない。
ここから隣の豊島へ行くためには島の南側の道路を走っていくのが最短ルートだが、事前に地図をチェックしていた時に島の中央部の山地を越える道路が2本描かれていることに気づいた。そのうちのひとつは道は細いグネグネ道で峠をトンネルで抜けている。
そのトンネルが結構な長さがありそうなうえ、更に出口の辺りで大きく右にカーブした形状になっている。道のグネグネ具合からして古くからある道ではないかという気がする。だとしたらトンネルもきっと古いものだろう。ちょっと寄り道してみることにした。
海岸沿いの県道を走っていると、視界の先に斜面が大きく削られた山肌が見えた。砕石をしているのかと思ったら製砂工場とのこと。ということはあの山肌は砂で出来ているのだろうか。
写真に見える青看のとおりその手前で山を越えるが分岐する。自分の進路は左だ。この道は蒲刈大橋の部分と共に蒲刈広域農道を構成する道だそうだ。この道は見に行きたいと思っているトンネルがある道とは別の道だが、まずこの道で島の北側に抜けてそこから今度はグネグネ道を通ってトンネルを見て再び南側へ戻るルートで進んでみようと思う。
急な坂道を登りつめるとほどなく蒲刈トンネルがある。反対側のトンネル出口まで一方的な上り勾配が続いている。広域農道ということもあり2車線のよく整備された道だ。
山を越えて北岸に降りると、田戸という集落に出て島を一周する県道とぶつかる。目指すトンネルの細道は、県道を右折したあと田戸トンネルを抜け、すぐに左折したあとに分岐を更に左折して県道の上を越えていくというややこしいルートになっていた。
道は右方向に分岐するものとばかり思っていたので、最初はそのまま通り過ぎてしまったのだが、曲がるのはここである。といっても目印がないので分かりづらいが。
農免農道:
で、進路修正してその道に入ると看板が出ていて道の正体がわかった。農免農道であるそうだ。農免農道というのはあまり聞き馴染みのない名称だったので帰宅後に調べてみた。
ガソリンには道路を整備するための財源として揮発油税という税金がかかっている。車を走らせる場所は道なんだからその整備費用も負担してね、というわけだ。だがガソリンを使うものは車だけではない。農作業や漁業で用いる機械もガソリンがないと動けない。でもそれらが使われる場所は畑だったり海の上だったりなので基本的に道路を使わない。それでかつて、ウチらがそれを負担するのはおかしくないか?という声が上がった。
で、それも一理あるということで制度を見直すことになったのだが、農漁具を使う人が車を運転しないかというとそんなこともないので購入されたガソリンが自動車に使われるのか、農漁具に使われるものなのかを区別できない。そうなると個別に減税したり還元したりすることが難しい。そういうわけで、概ねこのくらいかなという線引きをしたうえで、その余剰分を財源にして農道を作って還元しましょうということで作られたのが農免農道なのだそうだ。
そういう制度で作られた道なので基本的には農作業に従事する人たちが最も受益出来るようになっている。つまり農地へ行くのに都合のいいような場所に作られている。とはいえせっかく作るのだから既存道路のバイパス的な役割も持たせれば一石二鳥となり、そういう条件に当てはまる場所に作られることが多いそうだ。
ただし、現在ではこの制度は廃止されており、新たな農免農道が作られることはもうないそうだ。まぁ、バイパス含めあれもこれもと欲張ったら話が際限なくデカくなってその分お金がかかる。それ農道の本来の趣旨じゃないよねというのと、それが新たな利権に繋がってしまうのでやめましょうという話だ。その割に還元する先がなくなったから改めて関係者に還元する方法を検討しました、という話が聞かれない気がするが、浮いた財源はどこへ行ったのだろうか。そのあたりがつまびらかにならない辺りにまだ闇がある感じがする。