岡山出張2nd.【10】(2023/11/12~11/13)
シーパーク大浜:
海沿いの道は南端付近で内陸方向に向きを変える。軽い山越えの道を進むと横山・大浜地区案内板があった。それによると間もなく海岸に降りられるらしい。
もうひとしきり進むと視界が開けて、右手側にテントが張られている広場が見えてきた。ここはシーパーク大浜というレジャー施設だ。シーズンオフなので閑散としていたがグランピング設備があったりして結構本格的にやっている施設の様だ。
で、石油貯蔵施設の跡地というのがこのシーパークの敷地の中にある。だが敷地に入るためには入場料が必要になる。シーパークには興味がないのでどうにか敷地に入らずにアプローチできるところがないか探りながら進んでみたが、それらしい入口は見つけ出せぬまま施設の脇を通り過ぎてしまった。
道はすれ違い不可の1車線道路なので道路脇に車を置くこともできないしUターンも出来ない。また戻ってくるのも何だったので結局見れずじまいのまま素通りして終わった。
横山海岸:
路肩のガードレールもないような心細い山道を5分くらい進むとようやく視界が開けた。横山海岸に出たらしい。道はT字路になっているが、左折方向は進入禁止になっていた。
せっかくなのでこちら側の景色も写真に撮ろうと思い、その進入禁止の道の近くに寄せて降りた。
横山海岸。見事な砂浜である。道沿いには海の家も建ち並んで夏は賑わいそうだ。
キョロキョロと砂浜を眺めていたらなんか視線を感じたので背後を振り向いたら、近くの店の開け放たれたガレージの中で数名が談笑しながらこちらを見ていた。
他意はなかったのかもしれないが、何となく居心地が悪くて足早に立ち去った。
道はよく整備された道になっているが、そうなっているのは奥に見える山の袂までだった。
そこを過ぎるとこれである。なんてワイルドな。
その先もずっとこの調子。内輪差で脱輪させないように気を使いつつ、対向車の様子も気にしつつの運転はなかなか気疲れした。
海の向かいに田島の集落が見えた。写真右側の山の中腹に建つ家々がエルパラルネッサンス。
戻り道で両島の間をつなぐ睦橋を撮影。日が暮れたので空が徐々に薄暗くなり始めてきた。結局、今からあちこち移動しても日が暮れて大したものが見られなさそうな気がしたので田島の散策は見送った。
で、再び内海大橋を通って本土へ。当初計画ではここからほど近い所にある鞆の浦の仙酔島も訪ねてみようと考えていた。鞆の浦は2014年の正月に訪問しているが、その時も時間の都合で仙酔島は未訪に終わっていた。
島へ渡るには市営の渡船で5分。船は2~30分おきに20時頃まで出港している。それならちょっと足跡を残すくらいできそうな気もしたが、秋の夕べはつるべ落としでどんどん暗くなっていく。
とてもじゃないけど暗くなってから上陸していいことはなさそうだ。にもかかわらず20時まで船が運行している理由は不明だが。もしかして暗くても楽しめるような何かがあるのだろうか。ともあれ仙酔島への訪問はまたしても見送りとなった。その代わりというわけではないが戻り道は鞆の浦を経由して福山から帰ることにした。
海沿いの県道を暫く走ると湾の周囲にびっしりと家屋が建ち並んでいる集落が見えてくる。ここが鞆の浦地区。集落は江戸時代の地割を残していて集落内に入った途端道が細くなる。
すれ違いもままならないほどの狭さなので、ちょっと広くなっている所に対向車退避用の停止線が設けられている。
こんな具合なので、朝晩は激しい渋滞を引き起こすらしく住民の悩みの種になっている。その解決策として港をまたぐバイパス道路を建設しようという機運が高まっているという話は2014年の旅行の時に書いた。あの時は賛成・反対両派にらみ合いの状態でどういう結論が導き出されるのだろうか、と思っていたが、2023年になっても架橋される様子がない。未だに膠着しているのだろうか。
で、そこからは福山市街を抜け、高速を通って19時に岡山に帰着。今日1日で走った距離は400キロあまり。結構頑張って走ったな。今晩の夕食をどこで食べようかと思ったのだが疲れて面倒くさくなったので、駅近くのイオンで済ませることにした。路面電車で駅まで戻ってもよかったのだが、終日ほとんど歩いていないので運動不足解消を兼ねて歩いてみることにした。
路面電車で15分ばかりかかる距離だが、イオンまでは直線的に道が繋がっていて歩いても15分くらいだった。なんだこんなに近い場所だったのか。
夕食を済ませてホテルに戻り、荷物を片付けたり今回の旅行記のメモを作成したりして就寝。長い1日だった。
帰宅:
2023/11/13
朝食をとりながら自室のテレビでニュースを見ていたらおかやまマラソンが取り上げられていた。参加者は16000人もいたらしい。移動経路の支障になることはなかったがもう少し遅い時間だったらもっと物々しい状態になっていたのかもしれない。
それから客先に顔を出して状況をチェックしたら無事正常完了していた。よかったよかった。全ての業務を完了して晴れやかな気持ちで帰途についた。
帰りの新幹線は3列の真ん中席に乗る人もなく快適に東京まで戻ってくることが出来た。
あとがき:
島の文化や観光などをほとんど無視した島カウントを増やすためだけの旅。自分の中でもこれまでそういう旅の仕方は経験がなかったのでどうなるか見当もつかなかった。時間に追われてただ車のハンドルを握るだけのマシーンになってしまうのではないかという不安もあったが、まぁまぁうまく周遊できたのではないかと思っている。
見残しになってしまった場所もいくつか残ったのでいずれ再訪したいところではあるのだが、それよりも他の島を巡りたい気もする。としたらまたこの地を訪れるのはだいぶ先になるかもしれない。
今回の旅行で2014年との比較場面が何度かあった。当時も世の中は不景気で地方は過疎化が叫ばれていた。古い町並みはそのまま古い町並みでいるものと思っていたが着実に老朽化への道を進んでいることを知った。次回訪問する時にはどういう状態になっているのだろうか。
(おわり)