北海道初上陸【1】(1999/08/28~08/29)
北海道・・・北の見果てぬ大地。
北海道はいつか行ってみたいとずっと思い続けていたが、北海道や九州は親類もなく縁もないので関東に住まう学生時代の自分にとって北海道の地は果てしなく遠い場所であった。
社会人になり自分のことは自分で決められるようになったので決断さえすればどこへでも行けるようにはなったが、北海道に上陸してみたいという思いはくすぶりつつも、なかなかタイミングに恵まれなかった。
というのもその時期の自分の趣味はもっぱら音楽で、生活の中心が仕事と音楽活動という生活を送っていたので、旅行から縁遠くなっていたのだった。
高校生の頃から聞いていたT-SQUAREというフュージョンバンドがある。
社会人になってインターネットが身近になり、やがて自分もアクセスするようになったのだが、ある時とあるファンの方が開設した掲示板があることを知って、それ以来よくそこに出入りしていた、というか入り浸っていた。
そこに入り浸っている人たちの中に北海道在住の人が何人かいて、特に自分と同じベース奏者であるというS君と、SAX奏者のAさんとは気があって個別にチャットする仲になっていた。
その会話の中で札幌へ来い、とか、東京においで、とかというやり取りをしているうちに憧れの北海道の地を踏んでみたいという思いが強くなり始めた。
その翌年位にその掲示板のメンバーを中心に、東京に集まってセッションをやると言う企画が持ち上がった。
関西や北陸からも参加者が集まる盛大なセッションだったが、このとき件のS君も遠路はるばる東京に出てきて自慢のベースを披露してくれた。その時がS君との初対面だった。
イベントは成功裡に終わり、帰り際にS君から俺は頑張って東京に来た、次はお前が札幌に来る番だ、と念押しされた。
そのことがきっかけで思い切って北海道、行ってみようかな、という気になった。
なった、と言っても先立つものが心もとなかった。どうにかあれこれ工面して資金が調達できたのは翌年の夏だった。
仕事の方はシフト勤務だったので、勤務先と調整して8月の終わりから9日間の休暇を貰った。
資金を調達したと言っても飛行機に乗ってレンタカーを借りて宿を借りて、なんてお金はなかったので自宅から車で向かうことにした。
運転は当時から好きだったので長距離走ることに対する不安はなかった。
ただ流石に一人旅は寂しいな、と思い、当時よくつるんでいた中学時代からの後輩Kを旅の道連れにすることにした。
Kとは4年前にも2人で広島方面の旅をしている。一緒に行けば1人よりも楽しい旅ができるだろう。
彼は車の免許を持っていないのでドライバーは自分1人だけだが、運転は1人でも不安はないのでその辺は問題なし。
今回の旅はずっと車中泊の旅になる。しかも9日間だ。流石にうんざりするかなと思ったが、気にしないし暇だからいくらでもいいよ、ということだった。
出発日は8月28日。Kは実家の近所に住んでいたので自分が実家まで行ってそこで合流して出発となった。
まだ見ぬ北海道の地はどんなところだろうか。期待に胸を膨らませ出発。
まずは青森へ:
1999/08/28
午前中に埼玉を出発し東北道をひたすら北上。当時乗っていたのはRVRという車。程よい広さのワンボックスだったので、2人で車中泊をしながら旅をするのに丁度良いサイズだった。
エンジンも2リッターあるので高速も快適。
途中、一関までは過去にも何度か親の運転で通ったことがあるので勝手知ったる道、そこを今日は自分が自分の運転で走っている。実に気分が良い。
一関から先は初めて通る区間だが、それまでの間に高速走行にも充分慣れてきたのもあって景色を見る余裕もあって楽しい道中。
ただ岩手県は東名における静岡県だ。ひたすら広大でいつまで経っても青森県に入らない。こんなに走っても走っても同じ県というのもまた新鮮な感覚だった。
その間Kは隣の席で自分とくだらない話をしたり、彼が持ち込んだ音楽を聴いたりして飽きさせない。Kを連れて来て正解だった。
そんなこんなでようやく青森県に突入。既に日も暮れてしまったので適当なSAに入ってそこで夕食を取ってそのまま車中泊。
とはいえ寝るまでにはまだ少し時間がある。特に気を遣う間柄でもないので、各々好きに過ごすことにしている。
と、ふとKから提案。
「そのテレビに持ってきたネオジオ繋げられる?」
繋げられますとも。コードを接続して電源を入れる。Kは助手席に胡坐をかいてゲームをやり始めた。
そのテレビというのは車載用の6インチほどのテレビだった。映るには映るがゲームをやる画面としては非常に小さい画面である。
それでもKはその画面でゲームをプレイしていた。流石ゲーマーは違う。
自分はゲームはやらないのだが見ているのは好きだったので、リアシートに移動してそこからぼんやりとそのプレイを眺めていた。
2時間くらい遊んだら飽きたらしく、寝るか、となった。
RVRはフロントシートとリアシートのフルフラットが出来るので、そのまま横並びで眠ることが出来るのだが、リアシートが狭いので横並びだと妙に近接してしまって寝苦しい気がしたので、ちょっとフォーメーションを検討した。
結果、自分はリアシートをフラットにしてそこに丸まり、Kはフロントシートを倒してそのまま寝ることになった。
お世辞にも快適とは言えなかったが、一応横になれたのでそれなりによく眠れた。
青函連絡フェリー:
1999/08/29
起きたのは9時くらいだった気がする。当時の自分らは朝に弱かった。
もぞもぞと準備を済ませ出発、青森港へ向かう。
出港時刻まで港をブラブラと散策した。天気はどんよりとした曇り空ですっきりしない。今は真夏だが津軽海峡冬景色で歌われた景色はこういうものだったのだろうか、と愚にもつかない妄想を膨らませた。
今回は父のビデオカメラを借用してきた。ビクターのデジタルビデオカメラで、8mmビデオカメラと較べたら映りが綺麗だと言われていたものだった。
信号はデジタルで処理されているが、その記録媒体はテープだし再生はRCA経由なので、デジタル録画のメリットを活かせるかどうかは出力先の機器の性能次第だった。
折角デジタルで記録されているデータなのでそのままPCにデータとして抜き出せたらベストなのだが、残念ながらそういったインターフェースはない。折角のデジタルデータも宝の持ち腐れである。仕方ないので録画した映像をRCA経由でPCでキャプチャしてみた。カメラでは撮影しなかったがビデオでは撮影していた場面がいくつかあったので、それをさらに画面キャプチャしたものを掲載する。
ただし、ご覧のとおりカメラの映像出力の仕様上インフォメーションを消すことが出来なかった。ちょっとうるさい画面になっているがご了承のほど。
函館行きのフェリーは12時発。ゆにこんという高速船である。
出来るだけお金をかけないケチケチ旅行ではあるのだが、あんまりのんびりやっているとその分現地の滞在時間が少なくなってしまう。
ということでここだけは奮発した次第。
高速船だけに出港すると盛大に波を蹴りながら進んでいく。実に快適な船だったが冬季欠航が多く採算が合わないということで翌年には運休となり廃止されてしまった。
やることもないので一眠りしていたらあっという間に函館港に到着。