瀬戸大橋を渡って四国初上陸 (1988/05/03~05/04)
1988/05/03
3月に大阪に連れて行ってもらって以来、自分の鉄道熱は最高潮に達していた。この旅行以降3年くらいの間はひたすら暇があれば鉄道写真を撮りに歩いているような状態だった。
もっとも、全部が全部掲載するとキリがないので、当サイトで紹介するものは印象深かったものに限定している。
で、あれからまだ2カ月しか経っていないのに、父から再び大阪への同行のお誘いがあった。時期はGW、もちろん行きますとも!
今回は大阪の支店ではなく、神戸の客先へ向かうのだという。
3日に出発し、夕方くらいに客先に到着。場所は阪急の王子公園の近くだった。それから20時くらいまで作業をするというので、その間に少し乗り鉄をしに出かけた。この時は父からカメラを借りることが出来なかったので写真は残していない。
コースは、王子公園→新開地→谷山→三宮で、ポートライナーを一周、それから王子公園に戻る、というコースだったと記憶している。神戸近郊の鉄道路線に乗るのはこれが初めてであり、阪急のかっとびっぷり、神鉄のあか抜けなさ、無人運転するポートライナーの近未来感、どれをとっても新鮮なものだった。
それから父と合流。一緒にいた客先の人から、知らない街で一人で散策できるなんてすごいね、と褒められて得意げになっていたw
その日は父の車で六甲山の駐車場で車中泊をした。
1988/05/04
六甲山山頂近くの駐車場で夜を明かし、朝目覚めると辺りは一面乳白色。天気はあまり良くないらしい。
この日は父もオフだったので、一緒に出掛けることになっている。4月に瀬戸大橋が開通していたので電車で乗りに行ってみたい、とリクエストしたら父も興味を持ったようで、親子2人、瀬戸大橋渡る珍道中となった。
まずは新神戸へ向かい、瀬戸大橋周遊きっぷを入手。
山陽新幹線で岡山へと向かう。
東海道・山陽新幹線の沿線に親戚がいなかったので、青い新幹線は物珍しかった。寸又峡に行ったときに乗って以来となる新幹線なので、とてもわくわくしたものだが、山陽新幹線は殆どトンネル。景色らしき景色はほとんど見られなかった。噂には聞いていたがこれほどまでとは。。。
当時の新幹線は列車内に食堂車があって折角だからと撮影しに行ったのだが、延々トンネルから抜けないので、ご覧の通りである。。。
それはさておき、岡山に到着。ここから快速マリンライナーで瀬戸大橋を渡る。
瀬戸大橋は本州と四国を結ぶ、上に車道、下に鉄道が通る2階建ての橋である。
3月の青函トンネル開業から立て続けに瀬戸大橋も開業となったことで、ついに4島がレールで結ばれた。
そんな世紀の大イベントに日本中が湧いていた。まさにバブル絶頂を象徴する出来事だった。
前年度には国鉄が民営化してJRが発足したこともあり、鉄道関係のニュースが立て続けだった。
鉄道ファンになりたての自分としては、毎日のように新しいニュースが飛び込んできて、次にどこに行こうかと心躍る日々だった。
その瀬戸大橋をこれから渡る。
開業して1か月しか経っておらず、そして初の大型連休ということで、列車はかなり混雑していた。
出来れば座って景色を堪能したかったが、この後の行動予定を考えるとあまりのんびりしていられないということで、その時停まっていた列車に立ち席で乗車することになった。
で、出発して20分ほどで鉄橋を渡ったかと思ったら海上に飛び出した。瀬戸大橋だー!
・・・が、景色はあまり褒められたものじゃない。鉄橋の上には高速道路が通っているので、いかんせん視野がどうにも狭い。そして、鉄橋の鉄骨が常に視界を邪魔し続けるので、折角の瀬戸の島々の様子もあまり見えない。
期待が大きかっただけに、かなり拍子抜けしてしまった。
まぁ、なんか期待外れだったが、それでも橋は渡ったよ。そして、30分くらい走って高松に到着。
もちろん、自分にとって四国は初めて上陸する地である。遠くへ来たなぁ、と趣深い気持ちになったことを憶えている。
感傷に水を差すように突然のスコール。121系もびしょびしょである。
スコールが止むまで10分くらいホームで待機して、雨が小降りになったのを見計らって高松築港へと向かった。
父は高松観光したかったのだろうが、自分としては琴電を見ずに帰る選択肢はない。
琴電は昔から中古電車の博物館と言われていて、色々な鉄道の中古車両が集められていた。
それらを網羅しようと思ったら一日じゃ効かないレベルで滞在する必要があるので、今回はさわりだけだったが、それでもいくつかの車両が見られたのがうれしかった。
ホームに停まっていたのは、元近鉄5620形だった20形という、かなりの古参車両だった。この車両は志度線を走る車両で、これに乗ってもよいのだが、父が栗林公園に行ってみたい、と言うので、見送って次の琴平行きの列車に乗る。
栗林公園へは琴平線で向かう。元三岐鉄道120形の1013形という車両だった。
高松築港から数駅、栗林公園に到着して下車。
だが、駅に到着したら再び雨が降り出してしまった。傘を持ってきていないので、雨が降ったらどうすることもできない。
結局、そのままとんぼ返りとなってしまった。まぁ、自分的には公園に興味がなかったので、それでよかったのだがw
帰りは元京浜急行600形の1070形だった。
高松築港に戻ってきたが、天気は相変わらずだ。
完全に腰を折られた我々は、結局高松の駅ビルで食事を取って、そのまま神戸へと戻ったのだった。
帰りの新幹線、ふと思い立って車掌に運転席の写真を撮らせてほしい、と持ち掛けてみた。その車掌は快く応じてくれて、自分を運転席に立ち入らせてくれた。
そうして貴重な運転席の写真を撮影。写真の片隅に灰皿が設けられている。当時は運転席でも喫煙が可能だったようだ。
というか、乗客を営業中の列車の運転席に立ち入らせるなど、今だったら懲戒ものである。やっぱりのどかな時代だったのだな、と思わずにはいられない。