撮り鉄でやっちまった話【1】(1988/07/29)
1988/07/29
夏休みになって、撮影の旅に行きたい欲がMAXに達していた。とにかく撮りたかったのは鶴見線のクモハ12という電車である。鶴見線は神奈川県にあるので、埼玉に住む自分にとって気軽に行ける場所ではなかったが、夏休みの有り余る時間を活用して思い切って撮影しに行ってみることにした。
神奈川県には沢山の鉄道路線があるが、あまりフォローできていなかったので、ついでにあちこち訪ね歩いてコレクションを増やそうと考え、1日がかりの旅行計画を立てた。その結果、自分にしては割と珍しい早朝出発となった。
最寄り駅からまずは越生駅(か高麗川駅、どちらを経由したかは忘れた)に出て、そこから八高線に乗った。写真に残していないということは多分キハ30だったのだろう。
途中、拝島駅で途中下車。拝島駅は青梅線や五日市線の乗換駅である。車両はいずれもオレンジの103系で目新しさはないのだが、青梅線や五日市線の行き先が出ている車両も撮影しておくべきだろうと考えて降りた次第。
当時はあまり意識していなかったが、一つ目ライトで方向幕が古い書体の103系はなかなかレアだ。JRのロゴが無ければ国鉄時代のまま、という感じである。
撮影のためだけに降りたつもりだったが、列車を撮影しているうちに青梅線の終点、奥多摩駅まで行ってみたくなった。
奥多摩は遡ること数年前に父親とドライブで訪れている。その時は奥多摩湖のドラム缶橋を渡ったりしたのだが、本当に東京都なのだろうかと思うほどとてつもなく山深いところで、とても衝撃的だった。そしてそんな山奥なのに鉄道路線が通っていて駅があることも意外に感じた。こんなところに行く鉄道は果たしてどんな険しいところを走るのだろうか、と子供心に想像を掻き立てられた。
だが、観光やハイキングならいざ知らず、撮り鉄の旅において奥多摩まで行ったところでやることもない。拝島駅から奥多摩駅までは片道およそ1時間かかる。つまり往復で2時間。単に往復するだけのために2時間を費やすのがもったいないので、これまで近くを通っても実際に乗車することはなかったのだが、この時はまだ午前中だしどうにかなるだろう、となんだか気が大きくなっていて、軽い気持ちで飛び乗ってしまった。
で、1時間くらいロングシートの通勤電車に揺られて奥多摩駅に到着。駅の背後には小高い山がそびえていて、イメージどおりの険しい駅だった。
上述のとおり降りてもやることがないので、すぐに折り返してそのまま立川駅まで逆戻り。
立川駅から中央線で八王子駅へ向かい、今度は横浜線に乗る。横浜線は当時ウグイス色の103系が配備されていた。誤乗防止の意味があったのか、前面に「横浜線」と大書きされている。
関東でウグイス色の103系はここと埼京線で使われている。誤乗防止といっても八王子や横浜に来て埼京線と間違える人もいなさそうな気がする。それをいったら、中央線、青梅線、五日市線、武蔵野線だって同じオレンジの車両が使われているが、そっちは特に車両に路線名は掲げられていない(昔は掲げられていたらしいが)。横浜線だけそうしていたのは何故だろう。
ともかく、横浜線で東神奈川駅へ進み、更に京浜東北線で鶴見駅まで乗車。ようやく鶴見駅に到着。遠回りしすぎだ。。。
鶴見線は鶴見駅から扇町駅へ行く本線と、海芝浦駅と大川駅へ向かう支線2つを総称した路線名である(その他貨物線もある)。
もっぱら京浜工業地帯への貨物輸送がメインだが、旅客輸送も行っている。とはいっても利用者は沿線の工場へ通勤する通勤客がメインなので、通勤時間帯から外れる日中帯や工場の休日である土日は本数が極端に少なくなる。今日は金曜日なのでそこそこ本数も走っている。今回のお目当てであるクモハ12の時間も確認してある。
そのクモハ12は、鶴見線の中でも大川駅行きの便のみで運用されている。大川支線内の折り返し運用の他に鶴見まで直通する運用もあり、鶴見線のホームに到着すると、ほどなくその大川支線直通の列車が来るところだった。
ホームでしばし待っていると、やがて茶色い電車が一両で入線してきた。これがクモハ12である。まぁ、鉄道好きの人だったら知ってるよね。
簡単に説明すると、このクモハ12はいわゆる旧型国電と呼ばれる車両だ。旧型国電とは、新性能電車と呼ばれる101系以前に製造された車両の総称である。もっぱら写真のようなこげ茶色で塗られているのが特徴だ。
自分が鉄道に興味を持ち始めたころには、ほぼ全国的に引退していたが、ここ大川支線と山口にある小野田線の本山支線の2カ所でのみ生き残っていた(本山支線はクモハ42)。レッドリストでいえば絶滅危惧ⅠA類に該当するような車両なので、いつ無くなってもおかしくない。無くなって後悔する前にぜひ一度見ておきたいと思っていたのだ。
ちなみに、そんな旧型電車がなぜこの路線で生き残っているのかというと、大川支線が分岐する場所の線路のカーブがきつすぎて、ここ最近の20m級通勤型電車が入線できないせいである。それよりも短い寸法の車両は旧型国電にしかなく、17m車体を持つクモハ12に白羽の矢が立ったわけだ。とはいえこの車両は昭和4年に製造された車両であり、もう随分と長生きしている。
メンテナンスの手間を考えたらぼちぼち車両を入れ替えたいところだが、17m車体でないと入れない場所はここしかないので、そのためにわざわざ大川支線スペシャルを新造するわけにもいかないのだろう。
無骨を絵にかいたような車両には、JRになった今もJRのロゴが貼られていない。まぁ無粋だもんな。
ホームに到着した電車に向けてカメラを構えていたら、運転手が出てきてポーズを取ってくれた。多分撮られ慣れしてるんだろうなw
なのにさ、なんで肝心なところでピンボケよ。
当時、110フィルムのポケットカメラを自分用のカメラとして使っていたが、35mmフィルムのものと比べるとどうにも画質が悪いので、ここぞというときは祖母の家に転がっていた古い手巻きのカメラを借りて使っていた。今回もそのカメラを持ってきたのだが、こいつがAFでもないのに、なぜか突然ピンボケするという症状があったのだ。現像が上がってきて写真を見てがっかり。。。
それはさておき、この電車に乗って大川駅まで行ってもいいのだが、その前に行っておきたいところがある。海芝浦駅である。なのでこの電車は見送って次に来た海芝浦行きに乗る。
大川支線へ向かう列車以外はカナリア色の101系で運行されていて、それはそれで当時でもそこそこレアだった。ここが101系を残していたのは3両編成で運用する必要があり、2両単位の103系では対応できなかったからだと思われる。
ということで海芝浦駅に到着。ここも知っている人には有名な駅である。駅のホームに降り立つと片方は京浜運河で、もう片方は線路を挟んで東芝の工場になっている。改札口の先はそのまま東芝の敷地となっているため、東芝から許可を得た人でないと改札を通過できないというかなり変わった駅だ。それがどんなものなのかずっと見てみたいと思っていたのだが、念願かなってついに駅に降り立った。
だがそのまま3分後に出発する折り返し列車に乗って逆戻り。というのも昼間にこの駅へやってくる列車は1~2時間に1本くらいしかないのだ。利用者は工場への通勤客がほぼ全てなので、通勤のない昼間は電車を走らせる意味がほぼないというのがその理由。
そういう駅だというのは割と有名な話で、中には自分のように東芝に用があるわけではないが興味本位で訪れる人もいる。そういう人が乗ってきた列車が折り返していくのを見送り、その後次の電車が来るまでの間何をしているか。上述のとおり、ホームの片方は運河で反対側は東芝の敷地。つまり短いホームの上をウロウロするくらいしかやることがないのだ。
とてもそんな場所で1時間以上時間が潰せるわけがない。他にもあちこち行ってみたいところもあるので、ここで足止めされているわけにはいかず、そのまま折り返し便で戻らざるを得なかったのだ。
あまりにも慌ただしかったせいで、駅周辺の写真は一切撮れなかった。
で、浅野駅まで戻って下車。ここでようやく乗ってきた列車を撮影。
さっき乗車を見送った大川行きの電車が鶴見駅から再び折り返して戻ってくるのをここで待つ。それほどの待ち時間なくやってきたので無事乗れた。
憧れの旧型国電だ。ツリカケモーターの音、板張りの車内、座り心地をあまり考慮していなさそうな座席、白熱灯、どれをとってもノスタルジックで新鮮なものだった。リアルを知らないので「懐かしい」ではなく「新鮮」である。
だが、大川駅へも5分くらいで着いてしまう。あっという間だ。この時も次の電車まで待つ時間が惜しかったので、折り返しの電車で戻ってしまった。写真は折り返し待ちの時に慌ただしく撮影。
写真は鶴見駅で撮影したのとは反対側で貫通路が付いている。元々この電車はこちら側には運転席が付いていなかったが、ここにやってくる時に1両で走れるように改造されている。なので、こちら側の面はなんだか取って付けたような印象である。
ちなみに、この電車も既に過去帳入りだ。流石に寄る年波には勝てなかったということだろう。大川支線が分岐する武蔵白石駅の周辺を線形改良して大型車が入れるようにしたそうだ。
その武蔵白石駅で下車し、今度は扇町駅行きの電車に乗る。で、降りたのは浜川崎駅。
浜川崎駅で南武線の浜川崎支線に乗り換えられる。同じJRの駅なのにホームは繋がっておらず、一旦改札を出る必要がある。といっても両方とも無人駅なので、通り放題といえば通り放題なのだが。
浜川崎支線も101系が使われていたが、いち早くワンマン化したせいか、独特な塗分けになっていた。が、ここでもピンボケである。ちゃんとしたカメラが欲しいなぁ。。。
で、浜川崎支線を八丁畷駅で降り、そこから京浜急行で上永谷駅へ。
上永谷駅では横浜市営地下鉄の写真を撮影。時間は既に夕暮れ時だ。
上永谷駅は市営地下鉄線の中で、(確か)当時唯一の地上駅だったのでわざわざやってきたのだが、夕暮れで暗くなり始めているので、あまり意味がなかった。
そこから地下鉄に乗って戸塚駅、横須賀線で大船駅と進む。