川越の車庫を見に行った話 (1988/08頃)
1988/08/xx(多分)
JR埼京線・川越線の車両が留置されている川越電車区という車庫が南古谷駅の近くにある。ここもまた事前の電話連絡で見学対応してくれる車庫だったので、これまで2,3度見学させてもらっている。
この時何回目の訪問だったかは忘れたが、夏休みの自由研究で鉄道車両の仕組みみたいなものを発表しようと思いたち、その取材のために訪問したのだった。
対応してくれた係員にそういう旨であることを伝えると、最初に会議室のようなところに案内され、そこで鉄道車両が走るための仕組みを簡単な模式図を交えて丁寧に教えて貰い。それをメモに取った後、今度は車庫へと案内された。
検査線には川越線用の103系3000番台が停まっていた。見学の数日前に踏切事故があり、修理のための入庫とのことだ。
が、この切り取りのひどさは何だろうね。。。世はなべて三分の一、というやつか。それはさておき。
係員は、川越線の車両は予備が無いので、こうして事故や故障で動けなくなると車両のやりくりが大変になるから、ほんと気を付けて欲しいよねー、とボヤいていた。
それから自由研究の素材用にクモヤ143や103系などの写真を撮影して、お礼を言って電車区を後にした。
その後大宮駅に行ったようである。あまり詳細は覚えていないのだが、こんな写真を撮っている。
これまたひどい切り取り方だ。当時使っていた110カメラは、ファインダーから覗いて見える景色と実際に写る範囲が微妙にずれていた。
そのことを考慮せずに撮影すると、こうなる。
それはさておき、上の写真は川越線の時刻表である。
昭和61年に埼京線が開業し、それに合わせて川越線も電化され、川越~大宮間に埼京線からの直通電車が走るようになった。
これによって、川越駅から乗り換えなしで新宿駅に出られるようになったのだが、坂戸駅から乗ると川越駅で乗り換えるか池袋駅で乗り換えるかの差でしかなく、JRの方が遠回りな分運賃が少し高かったので、新宿駅へ出るときは専ら池袋駅乗り換えを選択しがちだった。
そう言えば余談だが、父と電車で新宿へ行く時は池袋駅から新宿駅への経路に何故か毎回丸ノ内線を使っていた。山手線に乗れば僅か4駅なのに、なぜえらく遠回りな丸ノ内線を使っていたのだろう。当時の自分も不思議に感じていたが、聞くに聞けないまま今に至る。今となってはその理由は分からない。
話を戻す。埼京線が開業した際、大宮駅の埼京線ホームは地下に設置されたので、それに接続する川越線も地下ホームに入るようになった。
だが、旧川越線ホームには直通開始前の時刻表が残ったままになっていた。それを当時仲良くしてたI田から、そのうちなくなるから今のうちに写しておけ、と言われて撮影したものだ。
ちなみに、川越駅から高麗川駅の間は運行が分離され、そちらは3両編成の103系3000番台が走るようになったのだが、なぜか、一日に数本全線を通して運行する列車もあった。
これは別の日に撮影した写真だが、こんな具合で10両編成の埼京線列車に交じって3両編成のこじんまりとした電車が大宮駅を目指していたのである。
103系3000番台は元々旧型国電だったものを改造して103系に組み入れたものなので、他の103系とは出自か異なっている。
そんな旧型国電からの生き残りが、真新しい大宮駅の長大な地下ホームにたった3両で殴り込みをかけるのである。こんな愉快な話はない。
まぁ、もっとも、運行上のメリットはあまりなかったようで、いつの間にかダイヤから消えていた。
最後に、今回の見学が夏休みの自由研究に向けた取材だったことは冒頭に書いたが、当時の自分は夏休みの宿題を計画的にこなすような子供ではなかったので、取材を終えた後なかなか着手しなかった。日が経つうちに係員から教えてもらった話もどんどん頭から抜けて行って、いよいよ書くに書けない状態となり、結局新学期に間に合わなくなってしまった。
結局始業式の2日前になって急遽適当な題材ででっち上げて提出したので、電車の走る仕組みという、高尚な題材はお蔵入りとなった。頑張って完成させて提出していたら金賞を貰えたかもしれないのになーw