三鷹電車区に見学に行った話 (1988/12/26)
1988/12/26
当時、父の会社の例の同僚の姉が三鷹に住んでいて、極々たまに遊びに行っていた。
それから数年後に自分が鉄の道を歩み始め、その折に三鷹に電車区(車庫)があることを知った。
で、それから暫く経った冬のある日、みんなで集まってクリスマスパーティをしようよ、という話になって3家族がその三鷹の家に集まった。
不思議な縁とでもいうのか、その3家族とも片親で子供が1人という家族構成だったので、大人3人、子供3人というメンツでクリスマスを楽しんだ(気がする。。。実はあまり記憶がない)。
で、その翌日、折角三鷹に来たのだから、ということで、三鷹電車区の見学に行くことにした。
もちろん、予め電車区へ連絡は入れておいた。
係員の先導で車庫を案内された。
三鷹電車区でぜひとも見たかったのは、これ。
パノラマエクスプレスアルプス。舌を噛みそうな名前だ。
国鉄からJRへと移管される前後の時期には、余剰車を使ったジョイフルトレインが流行した。
大抵は客車を改造したもので、お座敷列車みたいなのが多くて、自分的にそれらへの興味はあまりわかなかったのだが、この車両だけは違った。
何しろ、前面展望を売りにした車両である。故にパノラマ。
前面展望と言えば、小田急のロマンスカーと名鉄のパノラマカーがその双璧をなすが、JRが満を持してリリースした車両がこれである。
その全体的なディティールはロマンスカーやパノラマカーに準ずる形状で、運転席を2階に設置することで最前面が展望席になっている。
ただし、この列車はジョイフルトレインの一種だったため、定期的な運用はなかった。
ゆえに、なかなか見かけることも少なく、一度見てみたいと思っていた次第だ。
で、次が、169系(多分)
中央線系統の急行型車両も一部三鷹電車区の所属になっていたらしく、数本留置されていた。
それから、これである。
301系と103系1200番台。
地下鉄東西線直通用として登場した301系はアルミ車体の高性能電車だったが、製造コストが高くつくということで、後年になって103系シリーズが導入されることになった。
地下区間を走行するため、貫通路が設けられている。なので、番台も1200が振られている。
1200番台は普通鋼製なので、グレーに塗装されている。当初301系はアルミの下地のままだったが、103系に合わせてグレーに塗装された。
当時は黄色の帯を巻いていたが、総武線各駅停車のラインカラーがイエローで誤乗が多いということで、晩年は東西線に合わせたライトブルーの帯となった。
いずれも現存しない。千代田線直通用の103系1000番台は関西方面に転出して一部105系への改造なども行われて長らく走っていたが、1200番台は東西線から引退後に他線区に流用された物はないようだ。
最後は総武線向けの201系。
中央線は当時既に全車201系に置き換えられていたが、総武線はまだ103系の勢力が強く、カナリアイエローの201系はややレアな車両だった。
(その割に最初の配属線区だったりするのだが)
ということで、一通り撮影して、お礼を言って見学終了。