ほぼ日本一周ツアー【2】(2000/09/19~09/20)
西鉄で甘木へ:
2000/09/19
今回の放浪旅はここからが本番。前述のとおり今日は広島の辺りを目指すことにしている。
鉄道に乗って遠くを旅をするのは久しぶりである。関東では味わえないような雰囲気を味わうことが出来たら最高である。
鉄道で旅をするので、今回撮り鉄趣味を解禁することにした。まぁ、既に昨日札幌で路面電車の写真を撮りに行ったりしているが。
中学生の頃までは人目もはばからず趣味全開の青春を過ごしていたが、高校に入る頃にはそういうことをしていることに気恥ずかしさを感じるようになって、以来撮り鉄趣味は封印していた。
だが、思春期を過ぎたらその辺が再び気にならなくなってきた。まぁ、流石に都会の駅でカメラを構える勇気は未だ復活していなかったが、地方だったら大丈夫だ。何より滅多に訪れることが出来ない場所で写真も撮らずに帰ったらきっと後々後悔するはず。
そんなわけで、今回の旅行ではあちこちで鉄道趣味を満喫してきたので鉄分多めだがご了承のほど。
それはそうと自分にとって初めての九州である。初上陸の地なので見るもの全てがお初である。もちろん鉄道もだ。
九州にも多くの鉄道路線があり全部見ようと思ったら何日もかかる。だが自分にとって九州のみならず中国、四国地方もそう易々と来ることが出来ない場所である。なので行き先は九州に限定せず西日本全般を見て回りたい。
ということで九州滞在は今日一日のみ。
では今日一日でどの鉄道を見て回るか。福岡県内だけでも多数の路線があり、そこを走る車両も千差万別だ。
色々吟味した末、今回は天神を皮切りに、西鉄、甘木鉄道、篠栗線、筑豊電鉄の4路線に乗車しつつ車両ハントにいそしんでみることにした。
天神から西鉄大牟田線特急で久留米まで乗車。西鉄特急と言えば8000形という特急専用車があるが、やってきたのは通勤形の5000形だった。特急は30分に1本程度で次の列車を待つ時間が惜しんで、結局その5000形の特急に乗り込んだ。ロングシートは残念だが、まぁ、これも初物だからいいか。
久留米から折り返しで宮の陣へ。そこで今度は甘木線に乗り換え。甘木線は終点の甘木まで乗車した。
あてどない鉄道の旅は久しぶりである。見るもの全てが目新しくてワクワクする。
このところ鉄道はもっぱら何かの用事を済ませるために乗るものとなっていたが、今回の旅で乗る列車は全て用事がないのに乗る列車だ。
用事がないのに列車に乗るという行為は時間的にもお金の面でも無駄そのものである。だがそれが旅ではないだろうか。
この旅はするべきだったのか、自分の人生において無駄な時間になってはいないだろうか、という背徳感をかすかに感じつつ、一方でこの先に何があるのか、周りに何が見えるのか見てみたい。その行為に無駄はないはず。だから旅をする。
これこそ旅の醍醐味だと思っているのだが、いかがだろうか。
なぜ甘木線を選んだのかというと、甘木線は西鉄のかつての名車200系が走っていた路線として知られていて、流石に今はもう走っていないが、ちょっと古めの鉄道車両に乗れるのではないかと期待したからである。
乗車した車両は600系であった。ちなみに上の写真は途中の本郷での交換風景。割と近年になって交換可能駅になったようで増線された方の線路はバラストも枕木も新しい。
そのせいで、ホームを多少削っているようなのだが、これはどうなんだろう。
白線の内側に点字ブロックがあるところまでは分かるが、その背中合わせで反対番線用の白線が引かれている。つまり、安全地帯は点字ブロックの幅のみ!
「白線の内側に下がってお待ちください。」とアナウンスされたら、皆この点字ブロックの上に横一列に並ぶより他ない。
世間で日本一狭いホームと称される阪急の春日野道と比べてもそん色ないレベルの狭さだ。
もっとも、ここは全ての列車が停車するので進入速度も速くない。利用客もそんなに多くはなさそうなのでこれでよいのかもしれない。
万一ここにホームドアを設置することになったら、面白いことになりそうだ。
甘木鉄道で基山へ:
それから終点、甘木まで乗り通して下車。ここで甘木鉄道に乗り換えることが出来る。といっても駅は100mほど離れていて、少しだけ外の空気を吸う。
甘木鉄道は国鉄甘木線が第三セクター化されて誕生した鉄道会社だ。
甘木線は自分がさっき乗ってきた西鉄甘木線の経路と概ね並行している。私鉄が並行している国鉄路線は大抵採算が悪い。一般に私鉄路線の方が様々なサービスを行って乗客の利便性を高める努力を続けているからである。
この甘木線もそれらの路線の例に漏れず収支の状況が悪かったので、やがて第1次特定交通線に選定され廃止の議論が巻き起こる。だが、地元自治体はこの路線を第三セクター化によって存続していく決断をした。
そうして甘木鉄道として再出発をしたわけだが、増便などの積極的なサービス改善を行い、結果収支が好転。第三セクター化以降長らく黒字経営を続けていた鉄道会社として知られている。
このレールバスに乗って、終点の基山まで向かった。
沿線の途中駅から次々と乗客が乗り込んできて立ち席の客もいた。噂に違わぬ盛況ぶりである。
JRで直方へ:
基山でJR鹿児島本線が接続しているので、その足で博多へ戻る。
博多で少し撮影タイムを取って、いくつかの列車を撮影してから今度は篠栗線、筑豊本線を経由して直方へ。
篠栗線・筑豊本線は今は電化されているが、当時はディーゼルカーでの運転だった。しかもここで運行されているキハ66、67は九州でもここでしか走っていなかったので、撮影してみようと考えての立ち寄りである。
筑豊電鉄で黒崎へ:
そして、直方から少し歩いたところにあるのが筑豊電鉄の筑豊直方。
筑豊電鉄もまた物珍しい路線である。ここ筑豊直方と北九州の黒崎の間を結ぶ郊外鉄道のような性格の路線なのだが車両は路面電車風である。
これは当初、熊西から黒崎までの間を西鉄の北九州本線という軌道線に乗り入れていたことに由来している(現在は北九州本線は廃線、熊西-黒崎間は筑豊電鉄に移管)。
車体は3車体連接になっていて、真ん中の車両は両方の台車が連接になっているため短くなっているが、路面電車というには規模が大きい。
そんな路面電車のようで路面電車でない、ローカル線のようでローカル線じゃない不思議な電車にちょっと乗ってみたいと思ってチョイスした路線だ。
これに乗って黒崎まで向かう。駅数が多いのに各駅停車しか走っていないので結構な時間がかかった。
乗り疲れたなと思う頃に黒崎に到着。
実は自分はここで大きなヘマをしでかした。
黒崎から折尾まで西鉄の北九州本線が走っている。何かの本で2000年頃に全線廃止予定という話を読んだ気がするのだが、廃止日はちゃんと確認しておらず、既に廃止されたと思い込んでいた。
だが自分が訪問した時には実はまだ営業を続けていたのだ。
結局、自分が訪問した2カ月後の11月が廃止日で、この時が撮影のラストチャンスだった訳だが、それを撮り逃すという大失態をしてしまったのだ。
非常に惜しいことをした。悔やんでも悔やみきれないとはこのことを言うのか。
そして本山支線のクモハ42に乗る:
そんなことつゆ知らずな自分は、そのままJRに乗車して九州を離れてしまった。
そんなわけで初の九州上陸は一日に満たない時間しか滞在できなかった。やっぱり札幌に行ったのは蛇足だったかも。。。
それはさておき、福岡に到着した時点で設定していた今回の旅のマストタスクのうちの1つ、クモハ42の撮影のため小野田線の雀田へと向かう。
ということで、途中省略し雀田に到着。
ホームには既にクモハ42が停車中だった。
前にも軽く触れているが、このクモハ42は当時現役で走っていた日本で唯一の旧型国電である。
国鉄の車両でこうした茶色の物は旧型国電と呼んで差し支えない(厳密にいうと違うのだが)。
自分が鉄道ファンの世界に足を踏み入れた1980年代後半には旧型国電はあらかた引退していて、ここと神奈川の鶴見線が最後の牙城だった。鶴見線の方は比較的早い時期に撮影できたのだが、流石に山口は遠すぎてなかなか来られずにいた。
いずれにしても製造されて相当な期間を経過している車両であり、いつ引退の話が出てもおかしくないということで今回の旅のマストの一つにした、という訳だ。
(はたしてその読みどおり、2003年に惜しまれつつ引退してしまった。)
車両は鶴見線のクモハ12とは違い、扉が片側2枚でその間にロングシートとクロスシートがずらりと並んでいる。
木の床、ニス塗りの木の内装、紺色のモケット、長いつり革、扇風機。。。どれをとっても紛うことなき旧型国電だった。
かつてはこの座席やつり革に満員の乗客を乗せて走っていたこともあるのだろうが、今は余生、自分の他に同じ目的で乗車に来たと思われる男性の2名のみがこの便の乗客である。
なので撮り放題、座り放題、移動し放題。あちこち具に見学させてもらった。
そしてもう一人の乗客も同様にあちこち見て回っている。
そんな折、車掌(運転手だったかな?)から声をかけられ乗車証明書を発行してもらった。
まさか、こんな素敵なプレゼントまで貰えるなんて。乗りに来てよかった。
それから程なく出発時刻となり、旧型電車特有の吊掛けモーターの音を唸らせて列車が発車した。
この本山支線はこうした旧型車両が余生を送るような路線だけに、駅は間に1駅挟んだ2駅しかない。
なので吊掛けサウンドにうっとりしているとあっという間に終点に到着してしまう。物足りないなぁ。。。
終点は長門本山。もちろん無人駅である。駅の周辺もこれといったものがない。
列車は5分ほどで折り返しなのでもとよりのんびり滞在する時間もないのだが。
雀田を出る時に写さなかった方の前面を撮影して、後は駅の周辺の様子を何枚か撮影したらもう出発時刻だ。慌てて列車に戻る。
そしてまた吊掛けサウンドに満足できないうちに雀田に戻ってきてしまった。それでも乗れたので満足。マストタスクの1つは無事達成した。
豊島行きの行方は。。。:
雀田から先へ進む列車が来るまで30分ほどあったので、待っている間にもう一つのマストタスクを達成するため件の豊島コミュニティセンターに予約の連絡をしておくことにした。
だがまたしても先方がなかなか受話器を取ってくれない。不在なのだろうか。でも明日また電話してくれって昨日言っていたし、ちょっと離れているのだろうと数分の間を置いて何度かかけ直したら、3回目で受話器が取られた。
で、明日の宿泊希望を申し出てみたら、
「すみません、明日は宿泊者が他にいないので営業しないことになりました。」
えー!?
そりゃあんまりじゃないですか。。。
こちとら数年前からあこがれ続けていた島への上陸がようやく叶うと思って昨日から楽しみで仕方がなかったのだぞ。
どうにも承服できかねる回答だが、やらないと言っているのを、そこをどうにかと言えるほどの胆力は持ち合わせていなかったので、肩を落として電話を切った。これでマストタスクの2つ目は達成不能となってしまった。
まぁ、落ち込んでいても始まらない。それもまたあてどない旅の醍醐味。行けないなら行けないなりに明日以降の行程をどうするか考えよう。
尾道へ:
駅のベンチに腰掛けて次の電車がやって来るまでこの先の行程をどうしようか検討することにした。当初は豊島の散策を終えた後、そのまま尾道に戻るつもりだったのだが、豊島上陸がキャンセルになったことで1日時間が出来たので、しまなみ海道をそのまま進んで松山を目指すことにした。
しまなみ海道は広島県の尾道から瀬戸内海に浮かぶ島々をまたぎつつ愛媛県の今治へと抜ける道路だ。
この道は島々の間にかかる橋が五月雨式に順次開業していき、当初は本州・四国とは結ばれていなかったのだが、昨年ようやく全ての橋の架橋が完了し本州から四国までの間を車で通り抜けられるようになった(一部区間は専用道路がまだできていないので、一般道兼用)。
まだ開業間もない橋を渡って四国へ行くのなんて面白そうではないか。しかも四国側も愛媛県は未訪なので伊予鉄道なども見てみたい。
なら松山か。松山に行くなら道後温泉も入りたいな・・・といった具合で、思いのほかトントン拍子で先の行程が決まっていったという訳だ。
当初の想定では、今日行けるところまで行って因島あたりで宿泊になるかな、と考えていたのだが、時間は既に17時を回っていて間もなく夜になる。だったらそこまで欲張らず尾道辺りでステイしておいた方がよさそうだ。ということで今日の最終到達地点も尾道と決まった。
という訳で先に進む。。。雀田から小野田を経由して小郡(現:新山口)へ。そこから新幹線を乗り継いで新尾道へと向かった。
そして新尾道で下車し宿の手配をしてもらった。その宿は尾道の市街地にあり、ここからだと歩けないので確かバスに乗ったんだっけかな。。。
まぁ、ともかく尾道の市街地にある尾道第一ホテルというビジネスホテルが本日の寝床となった。
ホテルは幾分古臭いホテルだったが、自分の予算で出せるホテルはこのくらいが限界。とはいっても別に1人で気兼ねないし建物や設備が古くても清掃が行き届いていてちゃんと寝られるのだから何の問題もない。
遅い時間のチェックインだったので、シャワー浴びてちょっとテレビ見ていたらもう寝る時間だった。
2000/09/20
ホテルの窓から見た尾道の市街。北西の方角を写している。
しかしグーグルマップの衛星写真は偉大である。宿泊したホテルをメモしていなかったので、撮影してから数年もしたらもうどこに宿泊したのかとか、この写真がどこを写した景色なのかとか、さっぱり分からなくなってしまっていたが、衛星写真によって泊まったホテルやどの方角を見ているのかまで判明してしまった(なので写真を一枚も撮影していない博多のホテルは失念したままである)。
そんな具合に一晩を過ごしたホテルをチェックアウトし本日の旅路に出発。
因島へ:
前述のとおり今日はしまなみ海道を渡ることにしている。そして本日の到達目標は松山である。
しまなみ海道は鉄道併用橋ではないのでバスで渡ることになる。途中、興味のある島で途中下車しながら周辺を散策してみる想定だ。
ということでまずは因島へ向かうバスに乗るため、尾道の駅前に移動。
尾道という街は映画の街、坂の街として有名だが、映画は見ないし巨大なスポーツバッグを肩に背負って坂道を登ろうという気にもならない。
この当時は古い街並みを愛でる感性もなかったので、尾道には全く興味がもてずあくまで通過点でしかなかった。
駅前のしまなみ交流館のデッキの上から向島の姿が見えた。というか島が見えるというよりは川の対岸の景色が見えているだけ、というような風情だが。事前に知らなければこの水路がとても海だとは思えない。尾道は古くから埋め立てによって発展してきた街なので、その分海峡が狭まってこんなことになっている。
向島の後ろに因島がある。今回はまずそこまで行くわけだが、因島へしまなみ海道を通って走る路線バスがあったのでそれに乗車。
デッキ下に見える乗船場から向島へ渡る渡船が出ている。そちらに乗ることにも興味を惹かれたが、渡ったあとの移動手段がよくわからなかったので、素直に因島に行くバスに乗車した。
バスは尾道の市街を抜け、尾道大橋を渡って向島に上陸。自分の島上陸記録では6番目に上陸した島となった。
(バスから降りてないので、上陸カウントに含めてよいのか微妙だが。)
当時は島旅趣味がなかったので、離島というものがどういう雰囲気の場所なのか具体的なイメージが湧いていなかった。
離島というくらいなのだから、狭い集落に狭い道、あとは山と海、とその程度の印象だ。
失礼を承知で言うが、向島という島は今まで知らなかった。名の知れた島じゃないということは鄙びているのだろう。
バスから見える鄙びた離島の風景はどんな感じなのだろう、とそんな具合に連想しながら島の風景を想像したのだが、橋を渡って見えてきた景色は自分の予想とは大きく異なっていた。
上述のとおり向島と尾道市街は狭い海峡に面して向かい合っている。尾道は山が海沿いまで迫り人が住めるところが少ない。なのでそれこそ川の対岸くらいのイメージで向島は尾道のベットタウンと化していたのだ。
2車線の広い国道に立ち並ぶ住宅街、道沿いにはロードサイド店。。。埼玉の地元でも同じような風景を沢山見ているので新鮮味がない。
そのくらい普遍的なコレといった特徴のない景色だった。
なので向島ではバスを降りようという気にならず、そのまま素通りで因島へ向かった。
JazzUpに登場する土生港に行く:
向島と因島は因島大橋という橋で結ばれている。因島大橋はしまなみ海道の橋なのでバスはいったん高速(有料道路)に入って橋を渡る。
因島は続番で7番目に上陸した島となる。
古くは村上水軍の本拠地として、また、近世は造船の島として知られた島である。ここ最近はポルノグラフィティのメンバーの出身地としても知られている。
平成の大合併により現在は尾道市の一地区となっているが、自分がここを訪ねた当時は因島と隣の生口(いくち)島の一部で構成される因島市という独立した自治体であった。
当時、島の自治体で市制施行している場所は珍しかった。というのも市制施行のための条件が今よりも厳しかったからである。
確か、概ね人口5万人以上で、かつ中心市街地の戸数がその自治体すべての戸数の6割以上、という要件だった筈だ。後の平成の大合併では、市制施行への要件が緩和されたので、合併に伴う形で全国に沢山の市が誕生したが、それ以前は上記の要件を満たさないと市を名乗ることが出来なかったので、市制を布く自治体というのはそれなりに発展した場所に限られていた。
この島の他には、沖縄本島を別とすると、佐渡島(両津市)、淡路島(洲本市)、平戸島(平戸市)、福江島(福江市)、天草下島(本渡市)、種子島(西之表市)、奄美大島(名瀬市)、宮古島(平良市)、石垣島(石垣市)くらいしかない。いずれも大きな島でそのエリアの交流圏の中心に位置するような場所にある島である。
では、因島市はどういう理由で市制を布くことが出来たのかというと、造船である。かつて日立造船の工場があり、そこへ通勤する工員たちによって町が発展したという経緯だ。
そういう前情報から向島より本土から離れた場所にある島ではあるが、向島よりも発展していそうだな、というのが上陸前の自分の予想であった。
と、ここで話は変わりポルノグラフィティだ。何のきっかけで聞くようになったのかは忘れたが、当時自分はポルノグラフィティのにわかファンになっていた。
で、因島に上陸した訳である。聖地巡礼をせずに何をする、というハナシで(当時は「聖地巡礼」という単語を作品の舞台や作者の縁のある土地を訪ねるという意味では使っていなかった)。
とは言ってもコアなファンではなかったので、メンバーの生家とか通っていた学校とかよく行っていた店とか、そういうのは一切知らない。
なので、とりあえず知っている曲の歌詞に出てくる場所を訪ねてみようと思った。
歌詞に出てくる場所で唯一場所が特定できたのが土生(はぶ)港。ファーストアルバムである「ロマンチスト・エゴイスト」の1曲目に「JazzUp」という曲があり、その中に「土生港から海沿いの道を~」という一節が登場する。果たしてどんなところなのだろうか。当時はストリートビューなんてものはなかったので事前の情報は0である。
ちなみに、彼らの最初のライブDVDとなったツアータイトルが「08452」というものであった。これは当時の因島の市外局番である。
なんと5桁である。市外局番は東京の03、大阪の06を筆頭に、発展している場所ほど桁数が少ないという大まかな傾向がある。そのなかでの5桁ということは、案外発展していないのだろうか。メンバーもそう言う田舎臭さを前面に出す意図でこのタイトルを付けたような気がするが。
バスは因島大橋を渡り暫く高速の上を走って一般道へと降りた。そこから先因島の市街地の風景を車窓越しに見ながら進んでいくが、見えてくる景色は向島で見た景色と大きな違いはなかった。引っ張った割に何とも締まりのないオチである。。。
やがて、バスは土生港に到着しそこで下車(終点だったかも)。
土生港から見える景色はそこいらじゅうに島が浮かぶ島銀座(そんな言葉はないが)の様相を呈していた。
ここも目の前の海は狭い海峡である。視界の先は何かしらの島に遮られているので大海原という雰囲気はない。
周囲に生口島、生名島、弓削島、佐島など多くの離島の離島が浮かんでおり、それらの島々を結ぶフェリーのターミナルになっていた。
鄙びている訳ではないが、遠くの島に来たことを強く感じさせる景色にようやく巡り合うことが出来た。
ポルノグラフィティのメンバーはこの景色を見てあの歌詞を思いついたのだから大したものである。
思い付きで自転車を借りた:
ターミナルを覗くと多くの乗客が船の到着を待っていた。殆ど年配の方である。まぁ、時間的にそんなもんか。
ターミナルに案内所があったので、そこで島の見どころを質問してみた。すると島の観光ガイドマップを広げてサイクリングをおススメされた。
なんでもしまなみ海道は自転車でも通行することが出来るらしく、道が通っている島々の各所でレンタサイクルをやっていて、マップに掲載された貸し出し場所であれば乗り捨ても可能らしい。
ほほう、自転車か。自分はインドア側の人間だが、自転車がないとどこへも行けないような所で育ったので、足腰にはちょっとした自信がある。しまなみ海道を自転車で渡って今治まで行く、というのもまた得難い体験であるような気がしてやってみたくなった。
地図を見ると、因島の自転車貸し出し場所はここ土生港と島の北端にある重井港にあるようだ。・・・と、その前にぼちぼちお昼だ。とりあえず腹を満たしたい。
なのだが、ターミナルの周囲を見回しても何かを食べさせてくれる店がぱっと見で見つからなかった。そこで自転車は重井港で借りることにして、そこまでの道すがらでいい感じの店を見つけて昼食、というプランに決定。
件のJazzUpの歌詞は、上記の詞の後に「初恋を乗せてペダル踏んでた」と続くのだが、今の自分はさながら重たい荷物を背負ってとぼとぼ歩く、である。
ただ海としまなみを見ながらの歩行はなかなか楽しい。
だが歩けども歩けども店は見つからなかった。楽しいと思っていられたのも最初のうちだけで、20分も歩いたらもう背中のバッグが重くてしょうがない。
9月下旬ではあるがまだまだ陽気は夏のそれである。30度を超す気温に汗が止まらないし、バッグは肩に食い込んで痛いしで土生港で自転車を借りてから食事処を探すべきだったなぁ、と大いに後悔。。。
それでも頑張って2、3キロは歩いたが、店はおろか重井港も全然近づいてこない。
もうだめ・・・ギブ。
自分が歩いている道はバス通りになっているようで、時折バス停の脇を通過していた。次のバス停が見えてきたら、そこからバスに乗ろう。
そう決めてリビングデッドのように歩く。
やがて見つけたバス停(もう忘れた)でバックを地面に投げ出してバスを待った。暫くしてバスがやって来たので迷うことなく乗車。
冷房の効いた車内は天国であった。やっぱ、文明の利器ってすごい。