関西遠征【1】(1990/08/30)
1990/08/30
夏休みに入って前半に一関に行ってきた話は既に書いたが、少し前から大阪方面の撮り鉄の旅に行きたくて、父に打診していた。
父は自分が一関に行っていたことは知らなかったので、だったら夏休みの思い出作りとして行ってこい、と許可を貰うことが出来た。
出発が8/30で9/1に帰ってくる日程だ。この年は9/1が土曜日で、新学期が9/3からだったので、そういう旅程が組めた。
だが、全員集合のエンディングテーマで言ったら「宿題やったか?」の時期である。知らんがな。
もちろん、宿題を全て終わらせることが旅行に行くための条件とされることは目に見えていたので、自分にしては非常に珍しいことに、全て済ませてあった。なので、無事決行する運びとなった。
当時、自分は中学生になっていて、大阪を中心とする近畿エリアを1人でうろつくことに何の不安もなかったが、初めて宿泊を伴う一人旅だったので、そこは一抹の不安。と言っても、行きたいという思いの強さからしたら、それは大したことではなかった。まぁ、何とかなるでしょう、ということで。
初手は新幹線に乗って新神戸へと向かうことである。前回の訪問時は神戸辺りの鉄道があまりチェックできなかったので、今回まず神戸の鉄道を盤石に抑えたかったからだ。初日はそこから大阪方面へ戻りつつ奈良まで行って宿泊、と言うのが初日の行程だ。
とはいえ、どんなコースで回るかは成り行き任せの面もあったので、あまり細かい行程は立てなかった。一応、初日のみ父に奈良の宿を取ってもらったが、2日目の宿泊先は決めていない。ざっくりとした行程的に多分大阪市内のどこかになる予定だったので、現地手配でもどうにかなるだろうと考えたからだったと思う。
今思えばやや無謀だったかな、という思いがないこともないが、この経験によって少しは度胸が付いた気がする。
ということで、父から旅行中の行動費を受け取って出発。早朝の東京駅へ。
乗る列車は長らく憧れだった100系新幹線である。出発の時間まであまり余裕がない状態でホームに着いたので、東京駅では新幹線の写真は撮れずじまい。
とりあえず乗り込んで席を確保。それから列車の見学に出かけた。
どうしても見たかったのはグリーン個室である。使用中なら諦めるしかないが、この時間帯だったせいか概ね空いていたので、じっくり見学してきた。
一人用個室。
二人用個室。
三人用個室。
四人用個室。
自分が乗るのならやっぱり一人用だろうか。まぁ、縁がなさそうだがw
今思えば、どうせ誰も見ていないのだから座り心地くらいは確認してくればよかったと思うが、そんな度胸はなかった。
ちなみに他にもあれこれ撮影したが、そこは省略。
新幹線は1編成で400mある。それを一往復したのだから、事績に戻るまでで800m。結構歩いた。
見学を終えて自席に戻ったら後はひたすら車窓を楽しんで、新神戸へと到着した。
ちなみにウェストひかりという0系新幹線も撮影していた。ウェストひかりは座席がゆったりとした2列x2列の配置になっていた。
それから市営地下鉄で三宮に移動。
まずは阪神の三宮に行って阪神電車を撮影。
それから阪急三宮の方にも行って阪急電車もハント。
その後、ポートライナーに乗りに行った。
と言っても全線乗り潰すためではなく途中の駅で下車して写真を撮影するためだ。
ポートライナーは駅のホームがガラスで囲われていて、なかなかうまく撮影できる場所がない。中公園という所で降りてみたらいい感じの写真が撮れた。
再び三宮に戻り東海道線で住吉へ。スカイブルーの201系は当時関東では見られなかったので、乗る電車がそれでラッキーだなと思った。
待っていれば割とちょいちょいやってくる形式だと知ったのはもう少ししてからである。
住吉で下車したのは、当時六甲ライナーが開業したてで、乗りに行って見ようと思ったからだった。
乗ったことは覚えているが、終点まで往復したかどうかは忘れてしまった。
この写真は住吉駅で撮影したもの。
それから大阪まで移動。大阪では暫くの間撮影の時間を作った。
福知山線向け117系。塗分けが異なっていた。
113系。非冷房車である。まだこの当時は非冷房の電車もそこそこ残っていた。
東海道線205系。スカイブルーの205系も201系同様、関東では見られなかったので貴重w
(その後京浜東北線で見られるようになったが。)
それから大阪環状線で弁天町へ。
弁天町には大阪交通科学館という博物館があった。交通科学館なので鉄道車両が保存されている(逆に言えば交通全般の展示がある)。
それを見に来た。鉄道以外全く興味がなかったので鉄道以外の展示については一切撮影はしていないし、中がどんなだったかも完全に忘れてしまった。
まぁ、とりあえず80系電車の初期型と、DF50。
80系は湘南型と呼ばれる、当時としてはかなりスマートなスタイルの電車として有名だが、最初の頃はこんなあか抜けない形だった。
車内が開放されていたので、運転席の様子も撮影。
それから、80系の先頭車もある。
こちらも後期には貫通扉の付いたデザインになったが、初期の物はボンネットスタイルだった。181系電車とも少し異なるデザインで、ブルドックなどという愛称がついていたということだ。
撮影を済ませて館内でグッズを物色。何を買ったのかはもう覚えていないのだが、後半戦で大きな紙袋が映り込んでいる写真があった。その紙袋に現地で収集したパンフレットなど種々のグッズを詰め込んでいたことは覚えている。その紙袋は確か交通科学館で入手したものなので、何かを買ったのだろう。