広島・高松遠征【3】(1991/05/03)
それからJRの駅に移動。今日はこのあと、あちこち寄り道しながら高松へ向かう。
まず、ホームに停まっていたキハ28?の急行ちどり(多分)
こちらは急行みよし(これも多分)
可部線の105系。扉が4つあるので、103系から改造された車両のようだ。
よく見ると2両目は扉が3つなので、そちらはオリジナル車両というキメラ編成だった。2両で扉が7つ。今日のように乗車位置が、とかあまりうるさく言われない時代だったのかもしれない。
そして、山陽線の岡山方面行きに乗り込む。
留置線に停まる福塩線向けの105系
列車は三原行き。三原で岡山方面に乗り換えてさらに進む。この当時は結構あちこちの駅で硬券タイプの入場券を買うことができた。もはや窓口で硬券を買って乗る人はほとんどいない時代だったが、当時から硬券にノスタルジーを感じる人が沢山いて(というか感熱式だとそのうち印字が薄れてしまうので)、主に旅行者に硬券の需要があったので、販売を続けていた駅がそこそこあったのだ。
で、倉敷に到着。倉敷は水島臨海鉄道が出発する駅である。
水島臨海鉄道キハ200形。JRのキハ20系の払い下げである。
この路線は乗車している暇がなかったので、新倉敷駅ホームからの撮影のみである。駅の事務所でかつての記念乗車券が売られていたので、思わず購入してしまった。
それから、更に岡山方面へと向かう。岡山に到着した時にはいい感じに夕方になっていた。
ホームで瀬戸大橋を渡る特急南風の2000系を撮影。こういうのに乗ってゆったりと四国の地を踏みたいな、と羨みつつ一旦改札を出る。
岡山には岡山電気軌道という路面電車がある。今ではチャギントン電車などでおなじみの路線だ。
7700形
7100形
それから少し乗車して清輝橋線の郵便局前まで行って見た。なぜここで降りようと思ったのかは覚えていない。
7900形
写真が、ここで降りたことを物語っているだけである。
それから再び岡山の駅に戻る頃には、だいぶ日が暮れてきた。
特急に乗れる身分ではないので、快速マリンライナーで高松へと向かう。
ちなみに上の車両はクロ213という形式のグリーン車となっていて、2両目から後ろは一般車になっている。もちろん乗車したのは一般車の方だ。
夕暮れの瀬戸大橋は殆ど真っ暗で何も見えなかったが、高松に到着した。
この日の宿は片原町の近くのビジネスホテルである。事前に予約を取ったのか、現地で手配したのかは忘れてしまった。
宿にチェックインを済ませてから夕食の買い出しのついでに駅に行って見ることに。
買い出しは例によってコンビニである。当時のコンビニには、レジの近くによくポップスのカセットテープが売られていた。一応それっぽいケースに入っているのだが、どう見ても正規品じゃない。中国あたりでダビングされたものを逆輸入しているような感じで、値段は2000円前後とCDより安い値段で売られていた。
著作権が切れているようなモノだったらよいのだが、米米CLUBとかBOOWYとか、おい、それ大丈夫なのかよ、というようなラインアップの物がコンビニの店先で堂々と売られていたのだ。当時はJASRACもそんなにうるさくなかったようだ。
自分は今回の旅行でお気に入りの曲をカセットに入れて持参していたのだが、結構な長旅で既にあらかた聞き終えてしまい、少し飽きていた。
そんな時にこのカセットが妙にまぶしく見えた。気が付いたら米米CLUBのKOMEGUNYを買ってしまった。お金ないのに。。。
その分食事のお金は切り詰めなければならない。カップ麺で済ませたのだろう。流石に何買ったかは忘れた。
それから片原町の駅で琴電を撮影してみることに。みることに、と書いたのは、親から借りてきたカメラは長時間露光の機能があり、夜の暗い場所での撮影でも明るく写せることを知って試してみたかったからだ。
車両はくっきり写っているのに、人が半透明に写っているような写真を雑誌で見ていて、それを自分でも撮ってみたいと思ったのだ。
ホームで暫く待ってやってきたのが、写真の3000形。
まぁ、ブレブレである。なぜか。三脚を持ってきていないからだ。どうしてそこに気づかない。
平たい場所を探したが見つからなかったので、通路の丸い柵の上で脇を絞めて頑張ってカメラを固定しながら撮影したものだ。
これ以外にも数枚撮影したが、他はこれ以上にひどいものだった。
ちなみに、琴電の切符を買おうと券売機を眺めていたら見慣れないボタンがあった。
手回り品切符
大柄なものを列車に積み込む時に使う切符ということだろうか。物珍しくてつい買ってしまった。