石巻・浦戸諸島巡り【2】(2024/03/29)
計画変更:
2024/03/29
真夜中の常磐道は、単なる平日の深夜であることもあって、交通量も少なく至って快調だった。混雑らしい混雑も一切ないまま茨城県を通過。
福島県に入って少し進んだ辺りで雨脚が強くなった。前にトラックがいると水しぶきで前が見えづらくなるくらいの降り方だ。そして風も強い。あまり雨風が強いと、今日の船が出ないかもしれないなと思った。
途中、日立中央PAに休憩で立ち寄った際に、改めて天気をチェックしてみたところ、雨は午後には上がるが、風の強い状態は終日続くらしく、海上は大しけとなると書かれていた。大しけか・・・こりゃ船出ないな。
船が出ないとなったら、いきなり出鼻をくじかれることになる。石巻と田代島を結ぶ航路は網地島ラインと呼ばれていて、船は9:00(2便)、12:30(3便)、15:30(4便)の3便がある。ただし15:30の4便は田代島からの戻りの便がないので、2便か3便に乗らなければならない。だが、この分だと少なくとも2便は欠航だろう。天候の回復が早ければ3便は出港するかもしれない。それなら順番を変えて先に震災遺構の見学をして3便を狙うか。
そんなことを考えながら北上を続けて、4時過ぎに矢本PAに到着。結局当初の予定地まで走りきってしまった。それから横になったが相変わらず風雨が強く、雨が車に打ち付ける音が耳障りだった。

2便への乗船は諦めたので起床は9時とした。というか朝4時まで運転していたので、そのくらいの睡眠時間は確保したかった。ただ、到着時点で2人とも熟睡しており、計画変更を伝えられなかった。
2人は予定どおり7時過ぎに起床したのだが、自分は暢気に熟睡している。風雨が強くて車外に出ることもできず、どうなっているのかと車内で悶々としていたようだ。
自分が目を覚ましてから2人に計画変更の旨を伝えて、それから朝食となった。
石巻市立門脇小学校(震災遺構):
まず最初に見学する震災遺構は石巻市にある旧門脇小学校である。門脇小学校は旧北上川河口付近に広がる南浜地区にある。この辺りは低地で、東日本大震災の津波によって甚大な被害を被っている。
かつては住宅地が広がっていたが、それらはほとんどが押し流されてしまい、片付けの済んだ現在はだだっ広い土地が広がっている。その一角に震災伝承館の建物と広大な公園が広がっているのが見える。その公園を横目に見ながら、山手側に左折すると程なく廃墟然とした建物が見えてくる。これが門脇小学校である。
ご覧のとおり、3階建ての校舎のほぼすべての窓ガラスが欠落し、建物は黒くすすけている。
建物前の駐車場に車を停めたのは良いのだが、相変わらず雨が降り続いていて傘なしで降りるのがためらわれる。

が、2分ほどしたら雨が小降りになったので、その隙を突いて建物に入館。見学料は大人600円、子供200円。
焼けただれた校舎:

館内に入るとまず体育館に繋がっている。すぐのところに津波で流されてぐちゃぐちゃになった車両が展示されていた。こんな風にぐちゃぐちゃになってしまった車両は、震災直後に東北の沿岸部を訪ねた際に嫌というほど目にした。津波の水流に洗われると、いとも簡単に事故で大破した車両のようになってしまうのだ。そんな車両がそこいらじゅうに転がっている光景にかなりのショックを覚えたことが思い出される。
チビは震災以降に生まれた子供だが、震災のことを耳にすることは時折あるらしい。だがその程度である。ちょっとショッキングな展示があるかもしれないが、なるべく柔らかい表現で何が起こったのかを伝えながら進むことにした。

体育館を抜けると、渡り廊下を経由して校舎の建物の裏側へと順路が続いている。
その裏側の窓越しに見えるのは押しなべて焼けただれた教室の姿であった。
奥に見える窓の向こう、数百メートル先には海岸がある。そこから津波がこちらへ向かって襲い掛かり、校庭は流されてきたがれきに覆いつくされた。やがてそれらの車両や建物のガスボンベなどから出火し、火が校舎に燃え移った。その結果、校舎が全焼してしまったというわけだ。
抜け落ちた窓ガラス越しに強い南風が吹き抜けてきて、じっくり校舎の中の様子を見ることができない。物理的に風が強くて目が開け辛いというのもあるが、被災後のままで保存されているらしい、真っ黒に焼けただれた什器類を見ていると、空恐ろしくなってきて直視しがたかったからでもあった。

ここは震災遺構といっても、メモリアルパーク的な生易しいものではなかった。被災した直後のリアルな状態をそのまま見せている。かつて淡路島の野島断層保存館を見学した時、激しく家財が散乱した部屋を見たが、あれは再現されたものであり、そこに人の生死の生々しさを感じることはなかった。だが、ここはその生々しさがそのまま残されている。
見る人によっては、この生々しさを直視できないという人もいるだろうし、あの日の禍々しい記憶を呼び起こしてしまい、穏やかな気持ちでいられないという人もいる筈だが、それでもあえてこれを残すという英断をした人がいるおかげで、自分のような部外者でも襟を正す思いで見学することができる。これは被災された方には申し訳ないが、大切なことだと思う。

校舎の建物は2棟あり、その両者を繋ぐ渡り廊下は新たに作られたものとなっている。その廊下の片方は海の方を向いて大きな開口部がある。
今は広場とその向こうに海が見えるだけだが、

かつてはこんなに民家が密集していた。これらが一切合切押し流されてしまったのだ。
自分は過去のエントリで、こうした家の一軒一軒にそれぞれの家族の形があり、様々な生活が繰り広げられていて、それを妄想するのが楽しい、というようなことを書いたことがあるが、それらが一晩にしてただの瓦礫になってしまうということに想像が及ばない。

その奥の空間には壁に被災した人たちの声が掲示されている。大切な何かを失った人たちの心の叫びのようなものが、そのひとつひとつに記されている。読んでいるとやりきれない気持ちになる。

通路は焼けただれた扉の奥へと繋がっている。そこには机と椅子が1セット置かれている。そこに腰掛けて焼け落ちてしまった様々なものを眺める構図になっている。
チビはまさにこの机で日々授業を受けている。それがこうなってしまうということに生々しい思いを抱いたかもしれない。

オルガンは完全に焼け落ちて金属部分しか残っていない。

校舎の裏側は背後に日和山の斜面が迫っている。門脇小学校は避難所として指定されていなかったそうだが、地震後に周囲にいた住民たちが少なからず避難しに来たそうだ。ところがそこへ津波が襲い掛かる。更に高い津波が襲来したらひとたまりもないということで、二次避難しようとしたが、校庭側は既に逃げ場がない。かといって背後の日和山へ避難するには、校舎と斜面との間に2mほどの隙間があり飛び移ることができない。
そこで、教員がとっさに教壇を使って橋を架けることを思いつき、ここに渡して避難者を山へ移動させることができたのだそうだ。

そこから展示コーナーを抜け、階下に降りると再び体育館へと戻る通路になる。通路から外の様子を見たら、再び雨が強くなっていた。この分だと12:30の便も欠航だろうか・・・。