石巻・浦戸諸島巡り【3】(2024/03/29)

体育館の仮設住宅:


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体育館に再び戻ると、最初に被災した車が展示されていた場所の壁の裏側に仮設住宅が展示されていた。建物の中も見学可能だったのでお邪魔してみた。

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入口の前には仮設住宅の間取りが掲示されていた。それによると石巻市の仮設住宅は単身者用の1K、2~3人用の2DK、4人以上用の3Kという3パターンが存在したようだ。

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見学できる部屋は1Kと3K。まずは1Kの部屋から。

最低限、トイレと浴室は個別に設置され、給湯やガスコンロ、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器なども標準で設置されていたようだ。

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奥の部屋は5畳ほどの和室と押入。こちらもテレビやエアコン、コタツ、ポットなどは標準装備だったらしい。ぱっと見、仮設で建てられたものにしては小奇麗に作られているように見えるが、畳は部屋の寸法にあっておらず隙間が空いている。

単身向けとはいえ、5畳なんていう都会の1人暮らしのような部屋に押し込まれ、両隣にあまり面識のない人が暮らしているという環境は、長らく集落のコミュニティの中で暮らしてきた人にとって、ストレスフルなものであったそうだ。

さしあたり雨風が凌げる個室があるだけありがたいという前提はあったにしろ、住めればよいと割り切って暮らせるような人ばかりではない。だが不満を口にするのは贅沢という気兼ねから、我慢していた人も多かったのだろう。

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もうひとつの3Kの部屋の方もお邪魔する。こちらもキッチンは狭くて家族4人で暮らすにはちょっと窮屈そうな印象だ。

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入って正面の部屋は4畳半。こちらも畳の寸法が合っておらず隙間が空いている。解体時に寄せ集めて微妙に寸法が異なった畳が紛れ込んでいるのかもしれない。まさか最初からこんな具合ではなかったと思う。

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その隣がいわゆる茶の間。6畳ある。左側の壁に貼られているポスターは、この部屋の利用者が子供のいる家庭であったことを物語っていた。

よく見ると壁の材質が場所によって微妙に異なっている。特に右側の壁は途中で色が変わっている。これももしかしたら寄せ集めた部材に差異があったのかもしれない。そして畳は相変わらず隙間が空いている。

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そしてキッチン脇の部屋が4畳半。間取り的には昭和の頃の団地と同じような配置である。昭和の頃はこのサイズの部屋に家族4人(ないしはそれ以上)で暮らことは割と普通だったが、昨今は家族といえどもプライバシーを重視する人も増えていると思うので、そうした人にとってこの間取りはストレスを感じたかもしれない。

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この部屋と茶の間の部屋を隔てる壁が、先ほど気になった色違いの壁である。こちら側から見ると、継ぎ目が割れ、板が反り返って隙間が空いてしまっている。これは解体時の都合なのか、あるいは経年変化なのか。まさか建築当初からこの状態ではなかったと思うが・・・。

いかにも安普請な作りだが、これらの仮設住宅は元々2年程度の入居期間を想定して設計されているので、こんなものなのかもしれない。だが実際には入居者の生活再建が順調に進まず、その後何年にも渡って仮設住宅で生活を続けざるを得ない入居者が大勢いるという話は、2016年に南三陸町で震災語り部ツアーに参加した際に、語り部が指摘していた。

とはいえ入居者が安住してしまうと、撤去が困難になってそれはそれで困るわけで、その辺のさじ加減は難しいのかもしれない。

仮設住宅コーナーを過ぎると、再び入口に戻って見学終了となる。

いつの間にか震災から10年以上の歳月が流れている。自分は震災直後から数度にわたって被災地を見学しているが、直近が上述の2016年なので、もう8年近く前になってしまった。あの時、この世の終わりとしか思えなかった光景も、随分と変わってきている。今回、車窓から見えた街中の景色は、だいぶ落ち着きを取り戻しつつあるように見えた。もちろんそう見えるだけで実際にはまだ様々な課題が残っているわけだが、少なくとも見た目の上では平穏を取り戻せているように見える。

門脇小学校の震災遺構は、訪問前まで津波に飲まれた校舎の様子が展示されているくらいのものだと思っていたが、その内容はちょっとした博物館にも匹敵するほど充実していた。腰を据えて見学したら半日程度の時間はあっという間に過ぎてしまいそうだ。その展示については震災当時の状況を知るうえで、この上なく迫真に満ちたものであり、大変に充実したものであったが、一方でそこから現在に至る生活再建の道筋や、その課題点などについての解説があると良いと思った。

救いようのない悲惨な災害であったことだけではなく、それをどのようにして乗り越えようとしているのかが理解できて初めて、見るものにとって震災がひとつの物語となり、街中に見えているいまの光景ともリンクしていくのではないかと思うのだ。またその乗り越え方は、やがて日本のどこかで発生するであろう、新たな災害の被災者にとっての貴重な道しるべになるはずである。

北園:


さて、見学を終えたら小一時間ほどが経過していた。外は引き続き強い雨が降り続いている。建物に行く時は降りが弱くなったタイミングを狙ったが、今はその気配がない。やむなく服を濡らしてそそくさと車に戻った。

時間は12時を回った。この具合では3便も欠航だろう。念のためWebサイトで運行状況をチェックしてみたら、案の定本日の全ての便が欠航となっていた。欠航ではどうすることもできない。仕方ないので少し予定を組み替えることにした。とりあえず明日に船が出港してくれることにワンチャン期待して、田代島は明日に延期し、代わりに今日は他の震災遺構の見学をすることにしよう。

まずは昼食を取りたい。本来なら今頃既に田代島で猫と戯れていた筈なので、石巻界隈の店はノーチェックである。そこで街中を流しながらめぼしい店を探すことにした。運転中、カミさんとチビに食べたいもののリクエストを聞いた。カミさんは小麦粉でないものが食べたいといい、チビは中華が食べたいという。ほほう、あの中華嫌いが変わったものだ。

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暫く流していたら、いい感じの中華屋があったのでそこに入ることにした。店の名前は北園(ほくえん)という。相変わらず雨が強い。本当に午後に上がるのだろうか。再び服を濡らしながら店の扉を開けた。

店の奥から黒一色のコスチュームに身を包んだ、ミニスカート姿のお姉さんが出てきて席に案内してくれた。確かにチャイナドレスはミニのイメージがあるが、あのドレスってこんなに真っ黒だったっけ?

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まぁそれはさておき、注文したものはラーメン、餃子定食、カニチャーハンの3品。どれも本格的で美味かった。

ところで、当サイトを熟読いただいている方はご存じかと思うが、チビには雨女疑惑がある。案の定今回もしょっぱなから散々な天気だ。だが昨年、尾道の陶芸工房で購入したブルーグラスのペンダントに力を宿すことで、雨が止むのだとチビが豪語した結果、本当に天候が持ちこたえてくれたという、なんともスピリチュアルなできごとがあった。

冗談で今回も持って行っておいたら?と薦めたら、もちろんと言って首から下げて自宅を出てきた。そこで、この雨、そのペンダントでどうにかならないの?と聞いてみたら、お腹が空いていたから力が出なかったけど、お腹いっぱいになったからもう大丈夫!と再び豪語した。凄い設定だが、ぜひ頑張って欲しいところだ。

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果たしてお会計を済ませて店外に出たら、本当に雨が上がっていた。そんなことってあるのかね。

Posted by gen_charly