石巻・浦戸諸島巡り【4】(2024/03/29)

女川交番(震災遺構):


このまま天気が回復してくれることを期待して次の目的地へ向かった。次の目的地は石巻の東に位置する女川(おながわ)町である。女川町も津波によって甚大な被害を受けた街だ。震災遺構として津波の水流によって横倒しになった交番が保存展示されているというので、見に行ってみることに。

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車で30分弱で女川に到着。港近くの道の駅おながわに車を置いて、道向かいにある震災遺構を見に行くと、その辺りは園地となっていた。オブジェのような遊具のようなカラフルなウミウシを見つけてチビが走り出す。

今回の旅でまだほとんど遊べていないので、体を動かしたくて仕方がないようだ。せっかくなので10分ほどお付き合いしてから改めて遺構に向かう。

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その道すがら、港の方を撮影してみた。女川もまた教科書どおりの三陸リアス海岸の地形で、狭い湾の両側に山がそびえている。こうした地形では津波の波高が高くなりやすい。東日本大震災においては最大津波高14.8m、最大遡上高に至っては34.7mを記録している。

この津波によって女川の市街地は壊滅状態となった。

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そして、こちらが旧女川交番。津波の水流により横倒しになってしまっている。建物は円形に3mほど掘り込まれた場所に横たわっている。これは復興に伴って周囲の土地をかさ上げした結果であり、本来の地面はこの交番の位置だった。他の沿岸市街地では10m以上のかさ上げをしたところが多いが、3m程度のかさ上げで津波に対する抑止力はどの程度あるものなのだろうか。

もっとも、女川町はゾーニングを実施しており、周辺の高台に新たに居住エリアを整備しているので、今後、東日本大震災クラスの津波に襲われることがあったとしても、家財への影響を最小限に抑える想定はなされている。

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で、交番に話を戻すが、震災直後に撮影された写真が円形の敷地に沿う形で配されたスロープの壁面に掲載されていた。写真に写っているとおり、この辺りの建物は鉄筋建てのビルでさえも、地面から根こそぎ持ち上げられて倒壊させられてしまっている。それほどの猛烈な津波だったのだ。

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什器の類は津波の際に建物外へ流出してしまったのか、建物の駆体以外の残留物はほとんどない。もっとも交番だった建物なので、捜査関係資料など放置できないものは回収済なのだろう。よく見ると緑色の床面だった場所に電話機が取り残されている。ほぼ垂直になった床面に所在なくぶら下がっているのがなんとも切ない。

それにしても交番などという、恐らくはかなり頑丈に建てられている筈の建物が、いとも簡単に倒壊させられてしまっていることに言葉を失う。

 

JR女川駅:


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交番の見学を終えて、今度はJR女川駅へ行ってみることにした。交番のある場所から女川駅までの間は、幅の広い遊歩道で一直線に結ばれていて、その両側に先ほど車を停めた道の駅の他にも様々な店舗が建ち並んでいる。ここはシーパルピア女川というそうだ。軒を並べる店舗に他地域で見られるようなブランドショップや有名店は一切ない。地元在住のオーナーによる経営と思しき、小規模な店がほとんどである。

それらの店を冷やかしつつ駅まで歩いて行った。しかし、本当に天気が回復したぞ。しかも抜けるような青空だ。なるほど、チビを腹いっぱいにしておけばよいのだなw

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女川駅へは訪問記念に入場券を購入するつもりでやってきた。

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切符を購入していたら、丁度石巻線の列車が到着したので撮影をさせてもらった。

気仙沼へと向かう気仙沼線は沿線被害が甚大であるとして、復旧を断念しBRTへと移管されてしまったが、石巻線は全線復旧し、こうして今も列車がやってくる。やはり鉄道が通っていると、その街にまだ活力が残っているような気がして、心強く感じるものである。それだけに気仙沼線同様、甚大な被害を受けている三陸鉄道が、厳しい経営状況にも関わらず全線復旧させている中で、気仙沼線がBRT移管となってしまったことは無念である。

この女川駅駅舎にはゆぽっぽという入浴施設が併設されている。料金が安価なこともあって、カミさんが、ここで風呂を済ませちゃおうと提案してきたが、今晩別のお風呂に入る予定なのでここでの入浴はしなかった。まぁ、体冷えちゃうしね。

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その店内に地元の新聞社である石巻日日新聞社による手書きの新聞が展示されていた。石巻日日新聞社も津波で被災し、新聞の発行ができない状態になっていたが、それでも報道機関としての使命を全うするため手書きで新聞を作成し、これを避難所に掲示していたのだそうだ。

新聞紙用の紙をカットし、そこにマジックで完全フリーハンドで書かれた記事はレイアウトもいびつになっているが、明かりもない中で取り急ぎ記事を作成して、早く情報提供をしなければならないという現場の使命感と切迫感がひしひしと伝わってくる。

ここまでに見学した震災遺構は、悪天候下での見学となったせいか、陰鬱な印象に支配されていた。大震災当日の周辺の天候も同じようにどんよりとした曇り空だったので、テレビなどで見た景色がオーバーラップするようで気が重くなってしまっていたのだが、天気が回復してきたことでようやく気分も晴れてきた。

それに呼応するようにチビが、最初に訪ねた交番脇の園地でもう一度遊びたいと言い出した。まぁ、今日この後のスケジュールも詰まっていないので、少しくらい相手してやろうと再び園地に移動した。カミさんはその間に店で海産物の品定めをするそうだ。

園地では例のウミウシのオブジェの周りで高鬼をした。といっても普段から遊び慣れているチビには太刀打ちできないので、だいぶ手加減してもらったが・・・。

それから程なくカミさんが海産物を手に店から出てきたので、次の目的地へと向かうことにした。

 

通行止め:


次の目的地は、石巻市の北部に位置する旧大川小学校の見学である。そういうところばかり訪ねることでチビのテンションが下がるのではないかという懸念はあったが、今日くらいしか行くチャンスがないので、もう1ヶ所お付き合いしてもらうことにした。

女川から大川小学校のある大川地区へは、海岸沿いに走る国道398号線を抜けていくのが近いらしく、車をそちら方面へと走らせる。

ところが、30分ほど進んで御前浜地区に入ったところで、路上に立っていた作業員に制止された。聞くところによるとこの先で倒木があり、この先に進むことができないということだ。撤去に2時間ほどかかるため、ここで引き返してくれと言われた。この辺りに大川地区へ抜けるためのショートカットルートはなく、一旦石巻まで戻らなければならない。仕方ないので車をUターンさせて延々と戻るハメになった。

先ほどの出発地点となる道の駅に戻る途中で眠気を覚えたため、女川の道の駅に再び車を停めて、しばし仮眠をとることにした。カミさんもチビも散策の疲れでUターンする前から後部座席で熟睡している。起きる気配がないので、そのまま自分もシートを倒して横になった。

30分ほど仮眠したらカミさんたちも起きてきた。なぜか再び出発地点にいることに2人の頭に?マークが沢山ついているのが見えたので事情を説明する。現在時刻は16時。今から石巻市街を経由して大川地区まで移動したら17時は過ぎるだろう。ネットで大川小学校の開館時間をチェックしたら17時までとなっていたので、結局本日の訪問は断念せざるを得なかった。

ただ、そのサイトの情報によると、元々建物内は公開しておらず見学はできないと書かれていたので、見学のための滞在時間はそれほど長くならなさそうだ。それなら明日の早朝に見に行って、それから港に移動しても船に間に合いそうなので、今日の旅はこれにて終了となった。

今日の宿泊地は道の駅上品の郷である。ここには日帰り温泉が併設されているので、それに入浴してそのまま就寝すれば、十分すぎる程の睡眠時間が確保できる。

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途中、夕食を済ませてから道の駅に移動し、20時前に到着。お風呂はふたごの湯という名称である。温泉なので体が温まる。風呂屋ではサウナに入るのも好きなのだが、入ると疲れがでて運転に支障をきたすので、普段はできるだけ入らないようにしている。だが今日はもう運転しなくて良いので、心置きなくサウナも堪能させてもらった。

カミさんたちが上がるより早く出て、2人が戻って来るまでの間に寝台をセット。やがて2人が帰ってきたところで就寝となった。時間は22時前。なんと健康的なんだ。

Posted by gen_charly