南紀初日の出【3】(2005/01/02)

三段壁:


2005/01/02

宿の部屋は小ぢんまりとしていて、設備なども街中のビジネスホテルと比較したらシンプルだったが、温かいベッドで足を伸ばして眠れただけで御の字だ。ぐっすり眠って疲れも回復。

この宿は朝食付きだったので、出発前に朝食も済ませられた。


さて、本日の旅程を開始する。まず向かうのは、白浜にある三段壁(さんだんへき)という崖。かなりスリリングな崖であるらしい。
福井の東尋坊と共に自殺の名所と並び称される場所というのだから、相当なものだろうと思うが、果たして。

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行ってみたら、前評判を裏切らないとんでもない崖だった。海面からの高さ優に6,70メートルあろうかという絶壁が、太平洋の大海原に面してそそり立っている。そんな場所を自由に散策できるようになっているのだが、そこに手すりなどは一切ない。そりゃ自殺の名所にもなるわ。


恐る恐る崖の縁まで行ってへっぴり腰で海面をのぞき込むと、絶壁に打ち付ける波が派手なしぶきを散らしているのが遥か眼下に小さく見える。うっかり体のバランスを崩した日には、一気に海面まで真っ逆さま。一説ではこの辺りは潮の流れが速いので、転落すると陸地にたどり着けない、なんて話もあるらしい。想像するだけで背筋がぞくぞくしてくる。

更には、いま自分が立っているこの足元の岩も、よく見ると方々に亀裂が走っている。場所によって数メートルはあるのではないかという深いクレバス状になっている所があったり、浮石のようにぐらつく場所があったりと、気の休まる場所がない。

よくこんな場所フリーで公開しているものだ。。。


横で景色を眺めていたカミさんが、徐に絶壁に足を投げ出すように腰を降ろした。それを見て、自分もカミさんの横に同じように腰掛けてみた。
当然足の下には何もないのだが、不思議なもので、腰が地面についているというだけで物凄く安心感がある。

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それで気持ちに余裕ができ、周囲をあれこれ眺めてみた。この岩場を目で追うと、海に向けて徐々に高度を下げるような勾配になっている。
そこをクーラーボックスを提げた釣り人が身軽に下っていくのが見えた。

こんな危険なところに入り込んで命知らずだな、と言うのが、その釣り人を見た当時の自分の感想だった。が、釣りをするようになった今改めて思い出すと、こんな場所で釣りができていいな、と、180度反対の感想を抱く。

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一応、所々にこのような立て看板が置かれ、自殺を思いとどまるよう訴えているのだが、なんかポーズだけのような気がしてしまうのは気のせいだろうか。


ここの崖の下には三段壁洞窟と呼ばれる洞窟がある。いわゆる海蝕洞と言うものだが、その洞内に降りて見学することが出来るらしい、と言うことで、そちらにも行ってみることにした。

入場料を払って中に入るとエレベーターがあり、それに乗ると一気に洞窟まで降りて行ける。
エレベーターを降りると、洞内に入り込んでくる海水がドーン、ドーン、と周期的に音を立てているのが聞こえた。

洞内は周回できるようになっており、その順路に沿って牟婁大辯才天や熊野水軍の番所小屋などの見どころが点在している。

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それらを見ながら進んでいくと、海水が流れ込む洞窟の横に出てくる。と言っても通路は水路とは別にあって、所々窓あきになったテラス状の見学スポットから水路を眺めるような形になっている。

押し寄せる波が洞奥の壁に当たる音と、洞内を流れる水流の音が、ごうごうと洞内に響き渡る。
その波をぼんやり眺めていると、ずっと飽きずに見ていられそうだった。

他のテラス状の見学ポイントからは、海水が細い穴から噴き出す潮吹き穴、と呼ばれる場所や、波によって削られた岩の痕跡である漣痕(れんこん)と言ったものを見学できる。

潮吹き穴から吹き上がる海水を写真に撮ろうと頑張ってみたのだが、フラッシュを炊くとシャッターが早すぎて潮が吹いているように見えないし、炊かないと暗くてブレブレになってしまって、ロクな写真が撮れなかった。


再び地上に戻って、付近の土産物屋を散策。紀州と言えば梅干しである。試食の出ていた梅干をいくつかつまんだが、はちみつが加えられた品のある味付けがなされていて、そんじょそこいらの梅干しとは格が違った。よく贈答品にされるような高級梅干しのような味わいで、思わずほっぺを押さえてしまった。

スーパーで買う普通の梅干しよりは高価だったが、高級梅干しのカテゴリではお手頃だったので、一つ購入することにした。
買ったのは刻まれたしいたけが入った梅干し。はちみつの甘さとしいたけから出たダシのうまみが絶品だった。


崎の湯:


次に向かうは御坊市にある紀州鉄道である。と言ってもここからはかなり距離がある。その道すがらで興味を惹かれる場所があったら立ち寄りつつ向かいたいと思う。

そんなわけで、海岸沿いの道を進み始めてほどなく、崎の湯と書かれた看板があった。その看板はいわゆる企業のものではなく、国交省か自治体が設置したと思しき、道路案内形式のものだった。

と言うことは、そこはこのエリアきっての観光名所、と言うことになる。有馬温泉の金の湯みたいな共同浴場があるのだろうか。
カミさんもその看板を見て「雰囲気よさそうだから行ってみたい」といっているので、ちょっと見に行ってみることにした。

案内に従って現地までやってきた。
看板が公共系の物だったせいで、ここに来るまでその崎の湯が入浴施設なのか、はたまた噴泉などの観光名所なのか分からなかったが、建物は入浴施設のそれだった。

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海岸に面して建つその建物は小奇麗だが、いわゆる掘っ立て小屋だった。と言うことはこの裏には露天風呂があるのだろう。海を眺めながらのお風呂は気持ちがよさそうだ。
入口前に日本最古 崎の湯と彫られた石碑がある。そんなに古い温泉なのか。

後に調べたところによると、日本最古の湯を名乗る温泉は他もにいくつかあるらしい。その根拠は歴史書の中に記述のあった年代を基にしているのだそうだ。ただし、出典となる書物の編纂時期や、書物自体の信ぴょう性によって評価が分かれるらしく、それゆえ、宣伝目的のこじつけや誇張も含めて、こここそが日本最古の湯、と温泉が複数存在しているという訳である。

で、それらの中で、この崎の湯が何を根拠に日本最古を名乗っているのかと言うと、歴史書に書かれた当時そのままの湯舟が今も使われているという点で、日本最古なのだそうだ。いわば「日本最古の湯舟」と言うことになるわけだが、そう表現することに躊躇いがあったのか、石碑には上述のとおり「日本最古」としか書かれておらず主語がない、ちょっと控えめな主張となっている。

この辺りはこちらのサイトに書かれていた内容の受け売りなのだが、まぁ、いずれにしても、相当に古い湯舟なのは間違いないだろう。
日本最古とやらはいったいどんなものか。期待を胸に入口の戸を開く。

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これである。ほぼほぼ海!
確かにこれは大昔からここにあった、と言われても違和感がない。

ここの湯舟は2つあり、手前側の湯舟(写真には写っていない)は後から作られたもののようだが、写真に写っている湯舟は自然によって削られてできたくぼみをそのまま利用してなみなみと湯が湛えられている。その湯舟は、海岸の方でいくつかの岩を介してそのまま海と接しており、潮の満ち引きの状態によっては、海水がこちらに流れ込んでくる。

これほどまでにワイルドなものだとは思いもよらなかった。

お湯に浸かろうと思ったが、手前の方はちょっと熱くて入れなかった。奥の方は丁度いい具合に海水が流れ込んでいて、熱すぎず冷たすぎず丁度良い湯加減だった。

この湯舟は1400年以上前からこのままであるらしい。どれほどの人がここで体を温め、疲れを癒し、この景色を眺めたのだろうか、そんなことを想像しながら入るお湯はまた格別なものであった。

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ちなみに、湯舟の左手方向には衝立がない。そしてその先には白浜海中展望塔がある。つまり、あちらから丸見えである。
そんなの男なんだから気にするな、と言うことなのだろう。見られる方もそうだが見る方もちょっと気の毒(あるいは目の毒)な気がする。。。

もちろん女湯は仕切りの裏側なので見えない。


上がってきたカミさんに話を聞くと、女湯の方も同じ構造になっていたそうだ。思いがけず奥の深い温泉に浸かることが出来て大満足だった。

Posted by gen_charly