茨城・千葉の私鉄探訪【1】(2008/02/02)
しかしインターネットは偉大である。詳細な時刻検索が出来るようになって旅の計画が立てやすくなったという話は以前書いたが、それ以外にもグーグルマップの衛星写真機能などは、鉄道の車庫がどこあるのかと言った情報が一目瞭然だし、ウィキペディアを見れば最新の鉄道車両情報を簡単に入手することもできる。
そして自分が車を運転するようになったことが、これまでにない新しいスタイルでの撮り鉄を可能にした。というのもローカル私鉄の車庫を見に鉄道で、なんて言ったらそこへ行くだけで一日終わるくらいのお出かけを覚悟しなければならなかったのが、車だったらダイレクトにアクセスできるので、効率的に収集して回ることが出来るようになったのだ。
もっとも、車で鉄道の施設を巡ることについては後ろめたさもある。お金も落とさないのに写真だけ撮るのはマナー違反なのではないかということだ。一応、そうした後ろめたさを少しでも言い訳したいので、購入可能なかぎり駅で入場券などを買っている。訪問記念と日付の記録を兼ねてのことでもあるが、焼け石に水か。。。
数年前に23区東側の住人となり、それまで比較的手薄だった千葉、茨城辺りの鉄道にアプローチしやすくなった。そこで今回は経営譲渡が噂されている茨城交通、昨年廃止となった鹿島鉄道、経営状態がじり貧でいつ予断を許さない状況にある銚子電鉄の3社を中心に回ってみることにした。
2月2日に茨城の鉄道写真を撮りに行ってくる、とカミさんに話すと珍しく一緒に行きたいと言い出した。来てもいいけど趣味の世界に浸るからかまってあげられないよ、と話すと、それでも良いとのことだったので、今回はカミさんも同行することとなった。
1.茨城交通
2008/02/02
というわけで、まずは茨城交通湊線の阿字ヶ浦にやって来た。
駅の留置線にかつて湊線を走っていた車両の廃車体が置かれていると聞いて2003年に一度訪問している。その時はキハ201の廃車体が置かれていたが、その後どうなったか気になったので訪ねてみた次第。
阿字ヶ浦は湊線の終着駅であり、昭和のレトロ感が濃厚に漂う無人駅である。近隣に茨城県きっての海水浴場である阿字ヶ浦海水浴場を擁しているので、夏などはこんな駅でもそこそこの賑わいになるらしい。一方、ここから数キロほどの所に国営ひたちなか海浜公園という毎年多くの観光客が訪れる施設があるが、徒歩圏ではないためアクセスはバスかマイカーがもっぱらでアクセス鉄道としての役割はあまり果たせていない。
さて、お目当てのキハ200形201は以前と変わらぬ位置に留置されていた。この車両は海水浴客の更衣室として夏場に開放されているが、あくまで廃車体を置いているだけなので、特段の手入れがなされていることもなく、塗装がだいぶ傷んできている。
よく見ると背後に1両増結されて2両になっている。
後ろの方に繋がれていたのはキハ22形221だった。こちらも既に廃車となっており、キハ201と共に更衣室として余生を送っているようだが201以上にひどい状態である。ここはヨハネスブルグかNYのダウンタウンか?
この車両は北海道の羽幌炭砿鉄道が導入した国鉄キハ20形に準じた自社発注車両で、同線の廃止後茨城交通にやってきたものだ。
車体のカラーは羽幌炭砿鉄道で走っていた当時を再現した塗分けになっている。車体中央部に記載されている会社名まで前職の羽幌炭砿鉄道のままというこだわりっぷり。
よく見ると炭鉱の「鉱」が石へんになっている。Wikipediaによると「炭鉱は石炭を掘り出す鉱山そのものを指すが、しばしば同じ読みで炭砿(旧字体では炭礦)とも表記される。石炭は金属ではなく、その採掘地を金属鉱山とは呼べないため、漢字の偏が「金偏」ではなく「石偏」となるのが正しいという理由である。」と言った理由があって石偏となっているそうだ。見慣れない字だったので、目が空目しているのかと思った。
それから少ししてホームにキハ3710形3710-01が入線してきた。3710という形式は湊線の「みなと」をもじったものだ。
絵馬を模したヘッドマークが掲げられている。写真は「湊線 格 GOUKAKU」と記載されていて、反対側のヘッドマークは「湊線 かつた KATSUTA」となっていた。
このところ、全国的に受験シーズンになると合格への縁起担ぎが出来そうな名前の駅を擁する鉄道会社が、あやかりでキャンペーンを行ったりすることが増えている。湊線の始発駅勝田は「勝った」に繋がることから、願掛けブームに一枚噛んだのだと思うのだが、それにしてはこちら側の「格」は意味不明だ。
(後程意味が分かったので後述する。)
運転席の写真も撮影した。以前はよく運転手に声をかけて写真を撮らせてもらったりしたが、久しぶりの感覚だ。撮影したからなんだ、ということもないのだが。。。
阿字ヶ浦での車両ハントは以上で終了。続いて同じ湊線の中間駅である那珂湊に行って、隣接する那珂湊機関区を見学してみようと思う。
立ち去り際、改札の前で中年の夫婦が会話していた。通りがかりに挨拶をしたら、これからこの列車に乗るのだと教えてくれた。
更に問わず語りで、むかし鹿島参宮鉄道(鹿島鉄道の旧社名)で通学していたのでこういうローカル線が好きなんですよ、なんてことを教えてくれた。
色々興味深い昔話を教えてもらううち、なんか妙に打ち解けた。折角だから列車に乗ってみるかい?とカミさんに提案したら行ってみるという回答だったので、そのご夫婦に同伴させてもらうことになった。
ただし自分は車があるので、車で那珂湊まで行って合流ということになった。
那珂湊に到着したらカミさんは既に到着して駅で待っていた。やはり鉄道は早いな。
ここもまた随分と味のある駅舎だ。駅の構内と背後の車庫に車両が停まっているのが見えたので、入場券を買って駅に入らせてもらった。
ホームから見る改札の辺りもとても雰囲気がある。昔の国鉄線の駅みたいな長閑なムードが漂っている。
ホームに停められていたのはケキ102という機関車。ホームに停車しているが既に車籍はなく、自走はできないそうだ。
こちらはキハ200形205。国鉄のキハ20形が水島臨海鉄道を経由してやってきたものだ。
この後紹介するが、茨城交通は国鉄のキハ20系列および他の私鉄が発注したキハ20形のコピー車両を多数集めて走らせている。キハ20自体がもはや骨董品になりつつあるなか国鉄の車両だけを集めるのは限界があるのだろう。だが、メンテナンスなどを考慮したら極力同じ規格の車両に揃えておいた方が都合がいい訳で、中古の中古などでも積極的に収集している印象だ。
車両の塗装は自社オリジナルの塗装の他に、ファンサービスとして国鉄時代の塗装を再現しているものがある。この車両は国鉄急行色が与えられた。
それから車庫の中に停められている車両も見て見たいと思ったのだが、線路に立ち入るわけにもいかずどうしようかと思ったら、丁度作業をしている職員がいたので声をかけてみた。結果、立ち入って見学することの了承を頂くことが出来たので、車両の近くで撮影することが出来た。
というわけで、こちらはキハ22形222。形式名から分かるとおり先ほど阿字ヶ浦駅で無残な姿を晒していた羽幌炭砿鉄道キハ221の仲間である。
こちらは国鉄横須賀線カラー(いわゆるスカ色)となっている。国鉄時代にこの塗装のキハ22形があったかどうかは不明。
特徴的なのは運転席窓に設けられた丸い窓。旋回窓という。営業している車両で旋回窓を持つものはここにあるキハ22形のみということだ。
旋回窓についてはこちら参照のこと。
キハ22形223。これも上記と同じ。茨城交通オリジナル塗装のままになっている。
こうしてみると、全体としては国鉄キハ20形なんだけど、なんかどことなく雰囲気が違う。間違い探しのようにこまごまとしたところに差異があるためらしい。
こちらはキハ2000形2004。こちらも北海道の留萌鉄道からやってきたものだ。国鉄準急色に塗られている。
茨城交通の国鉄リバイバルカラーはこの3色のみとなっているが、自分的にはキハ20と言えばタラコ色なんだよなぁ。自分より上の世代の人が聞いたらけしからん、と怒られるかもしれないが。もう一両、タラコ色を作ってくれたら嬉しいのだが。。。
そしてこちらはキハ2000形2005。上の留萌鉄道から来た2004の兄弟である。
で、答え合わせ。この車両のヘッドマークは「合」となっている。これを見てようやくわかった。「合」の車両と「格」の車両が2台並んだら「合格」になるのだ。とはいえ、車庫に停められている時以外のタイミングで2両横並びになることなんてあるのだろうか。ちょっとハードル高くないですか?
キハ2005とキハ223の道産子2ショット。
留置線の隅の方にまとめて置かれているのが、キハ200形202と204。上述のとおり鹿島臨海鉄道から譲り受けたものであるが、既に車籍はない。早々に引退したのはワンマン機器が設置できなかったためだそうだ。
キハ200形204。いずれにしても放置状態が長くひどい有様だ。解体しないのは一応、部品取りとして使えるからだろう。
そしてこれが茨城交通で一番見たかった車両。ケハ600形601である。ご覧のとおりステンレス車体になっている。今でこそお下がりの中古車が幅を利かせている茨城交通だが、この車両は自社で発注されたものだ。しかも日本で初のステンレス車体のディーゼルカーという大変貴重な車両である。
にも関わらずご覧の有様だ。線路にすら乗っかっていない。車両は倉庫として利用されているとのこと。
ステンレス車体であるが故、サビなども見られず外観は非常にきれいな状態を維持している。故にノーメンテでも長らく使い続けられる倉庫としては適任とも言える。
その貴重さから復活を望む声も大きいそうだが、復活にはかなり大掛かりな補修が必要になる程度には傷んでいるらしく、今のところその予定はないということだ。でもレールの上に置かれているところを見てみたいものだ。
実はこの車両は現役当時からその存在は知っていた。だが、当時の自分にとって那珂湊まで来るのは容易なことではなく、気が付いたらいつの間にか廃車されてしまっていた。なので自分にとっては大井川鐡道の(もと北陸鉄道)6010系、向ヶ丘遊園モノレール500形と共に撮るチャンスがあったのにそれが叶わなかった3大車両のひとつになっている。
ちなみに形式名の「ケハ」は誤字ではない。茨城交通ではディーゼルカーのことを「軽油動車」と呼んでおり、その頭文字から来ているとのことだ。ガソリンカーと区別していた時代の名残だろう。
窓越しに運転席を覗いてみた。マスコンハンドルが運転台に直接取り付けられているのが何とも珍しい。
これで那珂湊での車両ハントも終了。駅員にお礼を言って改札を抜けた。駅舎の中でカミさんが待ちくたびれていた。だと思ったよ。。。
丁度昼時なのでカミさんのご機嫌取りを兼ねて昼食を取ることにした。
近所にお魚市場という魚介類の市場がある。そこに食事処も何軒かあるということなので、ブラブラしながら店を品定めした。
結果、市場寿司という回転寿司で食べることになった。
料金的にはかっぱ寿司などのチェーン系と比べたら少し高めだが、ネタが大きいのでそれほど枚数を食べなくても腹が膨れる。ネタも新鮮で美味。その点いうことなしだが、ただねー。店員に学生バイトでも使っているのか変な頭をしたのがいた。そこだけが残念。