鹿児島へ【2】(2006/08/13)
大口の町:
2006/08/13
今日は今回の旅のメインイベントである、鹿児島の親戚一同へのお披露目会である。お義母さん側の親族も集まるため、市内の割烹の宴会場を押さえてあるとのこと。
いわゆる結婚式場ではないので着付け等々はセルフサービス。なのでまずはカミさんのメイクをしてもらいに予約しておいた市内の美容室に向かう。自分は1人で家に残っててもしょうがないのでカミさんを店に送り届けて、その後はどこかで時間を潰してようと思う。
今回我々は水俣から大口入りをしている。山野の集落は大口の市街地より水俣寄りにあるので、市街地に足を踏み入れるのは初めてとなる。
前述のとおり大口は鉄道2路線が分岐していた北薩地域の中心的な街であるが、現在はいずれも廃止され、それからすでに20年前後の時が経過している。
旅客鉄道線は乗客が減ると経営が成り立たなくなってやむなく廃止となるわけだが、元々廃止やむなしと言わざるを得ないような乗客しかいないような地域でも、それが廃止されると衰退が加速するらしい。特に駅前に発展していた商店街などはその後ろ盾を失うことになるので、過酷な過疎化の波に晒される。
まぁ、鉄道利用者やそれに関する人が立ち寄ることが前提のビジネスモデルな訳だから、鉄道がなくなれば商売が成り立たなくなるのは自明の理であり、特に地方の場合鉄道がなければ自家用車で移動するより他なくなるので、車道沿いに人が集まりロードサイド店を利用する方向にシフトしてしまうのもまた致し方ない所である。
初めて訪問した大口の市街地もそんな印象を抱く街だった。とても北薩地域の中心都市のそれとは思えない閑散ぶりである。まぁお盆であることも影響しているかもしれないが。
事前に何も調べずに出て来てしまったので、周辺の見所が全く分からず、とりあえずカーナビで地図をスクロールして見つけた市街の外れのホームセンター、ニシムタに行って何か鹿児島らしさを感じるものが売られていないか探して時間つぶしすることにした。
車社会なのでロードサイド店舗に集まる、、、という文脈は一般的に語られている地方衰退のイメージパースではあるのだが、自分的にはそもそも旧来の市街地にある店舗というのはある程度のコミュニケーションがあって初めて買い物を楽しめる場所というイメージがある。更にそうした地域には、大した企業努力を行わなくとも鉄道の乗客によって経営が成り立つので、不愛想で商売っ気がない店が多いというイメージもある。平たく言えば一見さんお断り的な店が多い、ということだ。あくまで印象論だが。
要は知らない人とのコミュニケーションがまり得意ではない自分的には、何となく敷居が高くて入りづらそうなイメージが先行するのだ。
その点、ロードサイド店は基本どこへ行っても、自分が得たい情報以上のコミュニケーションは不要だし、接客も基本的に客を不快にさせるようなことはない。そういうのに慣れている若い世代などは、ある程度濃密なコミュニケーションをしない限り居心地の悪そうな店が建ち並ぶそうした商店街を先入観のまま忌避してしまうという理由もあるのではないかと思う。
カミさんから終わったという連絡が来たので迎えに戻った。ニシムタには地域性を感じられるような品物はこれと言って見当たらなかった。やっぱりロードサイド店である。そう言うのを求めるならやはり市街地の個人店を訪ねないとならないのだろう。
店の前まで戻るとカミさんが店舗から出てきたのだが、頭はフラワーアレンジメントのような形にセットされていて、なんかやりすぎだなと思った。助手席に乗ったカミさんが一言、
「やっぱ、こんなものなのかねぇ。。。」
とぼやいた。言いたいことは分かる。なんというか微妙なのだ。決して仕上がりが下手ということではない。なんと表現すればよいのだろう、一世代前ならこんな感じだよね、という仕上がりなのだ。店でちらっと見えた店員は若い女性だった。彼女のセンスによるところもあるのかもしれないが、地域性もあるのかもしれない。
今更どうする訳にもいかないのでそのまま会場へと移動。
お披露目会:
ということでカミさんとお披露目会の会場となる、市内の西富士という店に到着。
会場の大広間に入ると長机に食事の準備が進められている所だった(上の写真は終わった後の写真だが)。
我々が腰掛ける主賓席は背景が金屏風。昭和だ。。。
高砂だけ腰掛けになっていて他は座敷だ。カミさんの衣装を考えると腰掛けは必要だが、他の参加者が座敷となると、なんか上から見下ろすような視線になってしまう。嫌味にならないだろうか。
高砂の背後の壁は隣室との可動式の仕切りになっていて一か所だけ小さく開閉できるようになっていた。控室なんてものはないので、隣の部屋を控室代わりにして呼ばれたらその扉から入場しよう、とカミさんと打ち合わせ。
というか今日の式次第について何も共有されていない。恐らくご両親の間である程度段取りしているのだろうとは思うが、自分らも全く知らないまま始めるわけにもいかないので、その段取りについて質問してみた所、ノープランであることが判明。
仕方ないので、こちらの方でのこのようなイベントにおける大体の進行をどのようにしているのか、という情報のみ聞き出して本番に臨むこととなった。大丈夫だろうか。。。
それから少しして参加者が三々五々到着し全員の到着を確認して宴が始まった。
もう、全ての式進行がアドリブである。仕方なく自分もほぼ初対面の皆様に向けてアドリブで対応する。ライブでもここまでアドリブで展開することはなかったので、なかなか緊張した。
そんなこんなで泥縄的な進行だったが、どうにか宴たけなわに終了させることが出来た。とりあえず山場を越えてホッとした。
全体的な進行は決して満点とは言えないものになってしまったが、参加してくれた皆様が楽しんで頂けたことを願う。
この会はお義父さんたちが手配した手前あまりしゃしゃり出ることが出来なかったが、もっと自分がリードするべきだったな。。。
お義母さんの実家:
さて、お披露目会も無事終わったので、後は肩の力を抜いて家まで無事に帰宅できれば今回の旅行も終了。と言ってもまだお義母さん側の親族の皆さんと会話が出来ていないので、今晩はお義母さんの実家に泊ることになっている。
実家へと向かう前に、ご先祖様の墓参りと今回の参加者への引き出物の手配を済ませてから実家へと向かったのだが、到着したら既に親戚一同集合して広間で二次会を始めていた。と言ってもそこにいるのは男衆ばかりで、女衆は一様に台所に下がっている。やはりこの辺りは亭主関白な風土があるのだな。
その輪の中心はお披露目会で司会を務めてくれたおじさんだった。おじさんもまた事前に何の打診もないまま当日になって進行を頼まれ、呆れながら引き受けてくれたのだった。ただ元からトークすることに苦手意識があまりないのか、いい感じに場を盛り上げながら進めてくれて非常に助かった。
そういう弁の立つ方なので、二次会の酒盛りの中でも中心的なポジションとなっていた。で、自分はその輪の中へと加わる訳だが、周りはお披露目会で初めて対面した人ばかりなので何も出来ない。借りてきた猫のように末席で大人しくしていることに。
自分は元々酒が飲めないこともあって、こういうノリには慣れていない。まだ受け入れて貰えている訳ではないようで物凄いアウェーを感じる。適当にお茶を濁しながら隙を見て自分のグラスを取りに行こうと席を立ったら、すかさず件のおじさんに落ち着いて座っていなさい、と窘められた。
自分の身の回りでは、両親も岩手のみんなも家事のメインこそ女性が担当していたが、全て任せっきりでふんぞり返っているということはなかった。なので完全な亭主関白というのに馴染みがなく、そのせいか居心地は決して良いものではなかった。
あれこれ聞かれてはそれに答えて、、、と言った具合でワイワイとやってたらいつの間にか日が暮れてようやくお開きとなった。
件のおじさんは熊本に住んでいると話していた。帰り際に今度は熊本にもゆっくり遊びに来なさい、と言ってくれた。そして何か食べたいものがあったら用意するから言いなさい、とも言われた。
熊本の名物と言ったらなんだろう?当時はそう言うことにあまり詳しくなかったので、
「熊本と言えば、馬刺しですかね?」
と返答したら、ちょっと上を見上げるような顔で、あー、あれかぁ。。。と、微妙なレスポンスが返って来た。あれ?自分空気読めてない人になってます?
そうして解散となり、みんなが帰途に就くと家の中はこの家の人たちと我々が残った。さっきまでの喧騒が嘘のように部屋がしんと静まった。
カミさんの従兄が花火を用意してくれていて、夕食を済ませた後に庭先で花火大会が催された。
こういうザ・夏休み的なイベントは何十年ぶりだろうか。自分は幼少の頃を最後にこうしたイベントとは縁遠い家庭環境になったので、本当に久しぶりである。姪っ子たちがキャッキャ言いながら花火を手に持ち、ちょっとした打ち上げ花火には顔を引きつらせる。それを見ているのが至福だった。
花火大会が終わって部屋に戻ると、子供たちはすっかり疲れ果てて程なく部屋の隅で寝息を立て始めた。
それからお風呂を頂いて後は解散。我々の寝床は離れに用意したという。離れかぁ、いい響きだw
離れに移動すると我々とご両親の4人だけとなり一層静かになった。時計の針が動く音が良く響く部屋で、今回参加した人たちの名前とその繋がりについておさらいをして貰った。沢山いて覚えきれなかったが。
まぁ、とにかく今日が無事に済んで本当に良かった。布団に入ったら程なく眠りに落ちて行った。なんだかんだ疲れてたんだな。