撮り鉄の思い出話1(1987~1991)
自分が初めて一人で出かけるようになったのは、1988年頃のことだったと思う。
転校した学校のクラスメイトに鉄道好きな子がいて、そいつに触発されて自分も鉄道ファンの世界に足を踏み入れたのだが、本や雑誌を見ているうちに自分でもその写真を撮りに行きたくなった、というのがきっかけだった。
最初は地元である埼玉の周辺から始まり、徐々に神奈川や千葉などへも遠征するようになった。
その辺まで行けるようになるともっと遠い所に行ってみたくなるのは自然の摂理。ということで、中学生の頃には父に相談のうえで、何泊かしての旅行などもにも出かけるようになった。
振り返ればだいぶあちこち行った。とはいってももっぱら動きやすい大都市近郊が殆どであるが。
そういった撮り鉄の旅行はあちこち行っているのだが、以前は記事にしても面白くないと思っていたので、これまで記事化していなかった。
でも、そんな旅でもそれぞれに何かしらのエピソードがある。最近自分の記憶もどんどん薄れつつあるので、それらが忘却の彼方へと行ってしまう前に、記録に残しておきたくなった。
とはいえ、もう既に30年以上前の旅行なので、そんなに掘り下げた話は書けない。
ということで、このコーナーで1987年から1991年頃までの撮り鉄旅をダイジェストとしてご紹介したいと思う。
広島・高松遠征【8】(1991/05/06)
1991/05/06 長野には寝台列車の常で、恐ろしく早朝に到着。確かまだ6時前には着いてしまった。 とりあえず、ここまで運んでくれたちくまの雄姿を撮影。 それから、ホームに停まっていた飯山線のキハ40。 運転席の窓下に […]
広島・高松遠征【7】(1991/05/05)
それから名古屋に行って、前回スルーしてしまった名鉄の写真を撮りに行ってみることにした。 とは言っても新名古屋(現:名鉄名古屋)は地下駅なので撮影には正直あまり適さない場所だ。だが、名鉄の多くの列車がここを通るので、ここで […]
広島・高松遠征【6】(1991/05/05)
1991/05/05 こどもの日である。3日目。今日はゆるゆると名古屋方面へと向かって、締めくくりに寝台急行ちくまで長野へ向かうことになっている。 宿を出たら南海線に乗って難波に向かう。途中新今宮で降りて何枚か南海線の写 […]
広島・高松遠征【5】(1991/05/04)
で、兵庫に到着。兵庫と言えば和田岬支線。和田岬支線は昨年訪れたばかりだが、その時に運転されていた旧型客車の列車が一掃されてキハ35のディーゼルカーになったと聞いたので、改めて見に来てみた。 都市近郊の非電化路線では至る所 […]
広島・高松遠征【4】(1991/05/04)
1991/05/04 まずは琴電3路線が分岐する瓦町に行って見ることにした。今は志度線は線路が分断されてしまったが、当時は線路が繋がっていて、高松築港まで直通していた。 まずは駅近くの踏切から撮影した3000形と元阪神5 […]
広島・高松遠征【3】(1991/05/03)
それからJRの駅に移動。今日はこのあと、あちこち寄り道しながら高松へ向かう。 まず、ホームに停まっていたキハ28?の急行ちどり(多分) こちらは急行みよし(これも多分) 可部線の105系。扉が4つあるので、103系から改 […]
広島・高松遠征【2】(1991/05/03)
1991/05/03 広島に着いたのは5時過ぎ。ついに広島まで来てしまった。とりあえず駅の窓口に行って、補充券と見つかった切符を見せて払い戻しをしてもらった。財布が膨れてホッとした。 広島駅の駅前に広島電鉄(広電)の乗り […]
広島・高松遠征【1】(1991/05/02)
中学3年のGWに父に頼み込んで撮り鉄の遠征に行ってきた。つい2週間ほど前に修学旅行に行ってきたばかりだが、こちらはこちらで修学旅行の前から計画を進めていたものだ。 行先は広島。なぜ広島を目的地としたかは忘れてしまったが、 […]
修学旅行の思い出(1991/04/23~04/25)
中学校の修学旅行に行った時の話である。 旅行先は奈良と京都。これは当時の関東地方の公立中学校の修学旅行先として割とベタな訪問先だった。 我々の中学校のプランの場合、1日目は新幹線で京都まで行って、そこから奈良へと向かい、 […]
’90埼玉県民の日 (1990/11/14)
1990/11/14 1990年の県民の日も例によって埼玉を一周してみることにした。 前回は110カメラだったが、今回は35mmのコンパクトカメラを持参しているので、前回よりはマシな写真が撮れずはず! だったのだが。。。 […]
関西遠征【5】(1990/09/01)
それから東海道線に乗って大垣へ。 関が原を超えると岐阜県に入って中部地方となる。と同時にJRも西日本から東海のエリアに入る。この地域はこれまで新幹線で通過したことしかなく、在来線を訪ね歩くのは初めてだ。どんな車両が見られ […]
関西遠征【4】(1990/08/31~09/01)
この後は南海線で大阪へ戻るつもりだ。南海線も比較的手薄な路線だが、特に泉北高速鉄道の写真は撮りに行きたい。 南海線は和歌山市という駅から発着しているので、そちら方向に向けて歩く。 駅に到着したら、特急サザンがやってくる時 […]
関西遠征【3】(1990/08/31)
1990/08/31 宿は奈良、と言っても新大宮から近い所だったようで、翌日は新大宮の駅で撮影した写真から始まっていた。 なぜ父が奈良のホテルを取ってくれたのかは、既に記憶がない。 さて、本日のコースだが、昨日の移動中に […]
関西遠征【2】(1990/08/30)
そこから地下鉄中央線と大阪環状線で京橋へ。 京橋から、当時沿線で開催中だった花の万博(国際花と緑の博覧会)へのアクセス路線として開業したばかりの鶴見緑地線を撮影しに行く。 鶴見緑地線は日本初の鉄輪式リニアモーターの路線と […]
関西遠征【1】(1990/08/30)
1990/08/30 夏休みに入って前半に一関に行ってきた話は既に書いたが、少し前から大阪方面の撮り鉄の旅に行きたくて、父に打診していた。 父は自分が一関に行っていたことは知らなかったので、だったら夏休みの思い出作りとし […]
一関遠征【3】(1990/08/01)
1990/08/01 今日は一関最終日。夕方の新幹線で埼玉に帰る。昼間、お袋がドライブに行こうというので、みんなで車に乗り込んで出発。 お袋が当時乗っていた車は4ナンバー仕様のスバルレックスだった。商用車登録なので、後ろ […]
一関遠征【2】(1990/07/30~07/31)
1990/07/30 列車は5時過ぎくらいに一ノ関に到着。初の寝台列車の旅はお世辞にも快適とは言えないものだったが、またとない体験ができたので、これでも割と満足だった。 ちなみに一ノ関、市の正しい名前には「ノ」は入ってい […]
一関遠征【1】(1990/07/29)
どこかに書いたと思うが、自分の両親は自分が小学3年生の時に離婚している。その際自分は父親に、弟はお袋に、それぞれ引き取られた。それは自分がお袋の実の子ではなかったからだった。そのお袋は実の子である弟をつれて岩手の実家に戻 […]
思い付きで飯能へ行った話 (1990年)
1990年頃 当時はちょっとした暇時間を見つけては、鉄道写真をひたすら撮りまくっていたのだが、それらをいつ出掛けたのか、とか、どういう目的で出かけたのか、などメモに取っておくという習慣がなかったので、何時撮影したものかも […]
西武最後の赤電が引退 (1990/06/23)
1990/06/23 西武に多摩湖線という路線がある。この路線には351系という形式の車両が走っていた。 西武と言えば20年前くらいまでは黄色の電車だったが、黄色くなる前は赤と茶色の塗分けだった。故に「赤電」と呼ばれてい […]
箱根にまた行ってきた。 (1990/03/31)
1990/03/31 数年前に自分を鉄道趣味の世界へと引きずり込んだ同級生のM君。意外にも撮り鉄の旅に一緒に出掛けたことは少なかった。 この時は小田急の10000形(HiSE)がデビューして数年経つが、未だに撮影できてい […]
川越線の低窓車 (1990/01/20)
1990/01/20 前日は関東地方では珍しくドカ雪が降った。だが翌日にはあらかた溶けてしまった。 この日は土曜日で、当時はまだ半日学校に行かなければならなかった。学校から帰ってきて雪が解けているのをいいことにI田と的場 […]
パノラマエクスプレスアルプスに乗ってきた話【2】 (1990/01/05)
駅に戻ると、彼はお土産の物色が終わって待ち合わせ場所に佇んでいた。合流前にとりあえず記念入場券だけ購入。 それから中央線で小淵沢まで行き、小海線に乗り換え。 ぐんぐんと標高をあげていくキハ52に感動しながらローカル線の旅 […]
パノラマエクスプレスアルプスに乗ってきた話【1】 (1990/01/05)
1990/01/05 JRには165系電車を改造した、パノラマエクスプレスアルプスという長い名前のジョイフルトレインがあった。 その車両は小田急ロマンスカーや名鉄パノラマカーと同じような構造になっていて、運転席を屋根上に […]
185系普通列車で箱根へ (1989/05/04)
1989/05/04 中学生になり学校で新たな友達となったK君。彼もまた鉄道が好きだったので、意気投合してつるむようになった。 今回は箱根へ行ってきたのだが、そのきっかけは特急踊り子号用の185系で運転されるという普通列 […]
京葉線 (1989/04/02)
1989/04/02 どうにも地味な印象がぬぐえない我らが東武東上線であるが、1987年に大きなイベントがあった。地下鉄有楽町線が和光市まで延伸されて、東武東上線と直通運転を開始したのだ。これにより都心部まで乗り換えなし […]
三鷹電車区に見学に行った話 (1988/12/26)
1988/12/26 当時、父の会社の例の同僚の姉が三鷹に住んでいて、極々たまに遊びに行っていた。 それから数年後に自分が鉄の道を歩み始め、その折に三鷹に電車区(車庫)があることを知った。 で、それから暫く経った冬のある […]
’88埼玉県民の日 (1988/11/14)
1988/11/14 11月14日は埼玉県民の日である。 この日は県内の小中学校は全て休校日であり、しかも県内を走る大手鉄道各社が子供200円未満の料金で県内乗り降り自由のフリー切符を発売していたので、電車が空いている平 […]
箱根の鉄路巡り (1988/08/14~08/15)
1988/08/14 お盆休みに父と例の同僚(とその娘)とで箱根の温泉宿に泊まりに行くことになり、2家族4人で父の車に乗って箱根へと向かった。宿は強羅駅の近くにある紀伊国屋旅館、という所だった。芦之湯にきのくにやという旅 […]
川越の車庫を見に行った話 (1988/08頃)
1988/08/xx(多分) JR埼京線・川越線の車両が留置されている川越電車区という車庫が南古谷駅の近くにある。ここもまた事前の電話連絡で見学対応してくれる車庫だったので、これまで2,3度見学させてもらっている。 この […]
撮り鉄でやっちまった話【2】(1988/07/29~07/30)
大船駅から乗るのはもちろん湘南モノレール。 湘南モノレールは懸垂式のモノレールである。その名の通りガイドレールの下に車両をぶら下げて走る方式のモノレールで、その乗り心地がどんなものか興味があって、湘南江の島駅まで乗り通し […]
撮り鉄でやっちまった話【1】(1988/07/29)
1988/07/29 夏休みになって、撮影の旅に行きたい欲がMAXに達していた。 とにかく撮りたかったのは鶴見線のクモハ12という電車である。鶴見線は神奈川県にあるので、気軽に行ける場所じゃなかったが、夏休みに入って時間 […]
さいたま博覧会 (1988/05/22)
1988/05/22 この年、埼玉県はさいたま博覧会の開催に全県が沸いていた。85年のつくば万博辺りから毎年のようにどこかで地方博が開催されていて、88年についに埼玉での開催となったのだった。 目玉はなんといってもリニア […]
瀬戸大橋を渡って四国初上陸 (1988/05/03~05/04)
1988/05/03 3月に大阪に連れて行ってもらって以来、自分の鉄道熱は最高潮に達していた。この旅行以降3年くらいの間はひたすら暇があれば鉄道写真を撮りに歩いているような状態だった。 もっとも、全部が全部掲載するとキリ […]
JR1周年スタンプラリー (1988/03/29)
1988/03/29 当時通っていた小学校に鉄道とライオンズをこよなく愛する、口の悪いOという先生がいた。口は悪いのだが授業そっちのけで面白い無駄話をするので、子供達には人気の先生だった。 O先生はしょっちゅう鉄道の話を […]
大阪の地下鉄巡り (1988/03/20)
1988/03/20 当時、父の会社は大阪に支店を出していた。その関係で父は月に一度くらい大阪へ行っていた。 また大阪の鉄道写真を撮りにいきたいと、父に再三伝えていたのが実を結んだのか、春休みに一緒に行かないか、と誘われ […]
野田線を訪ねて (1988/03頃)
1988/03/xx(多分) 春休みだったのだろうか。写真に写る人の着ている服がまだ冬の装いなので、多分その頃である。 当時、野田線には3000系という、東武の最古参電車が生き残っていた。 ツリカケである点では5000系 […]
森林公園の車庫を見に行った話 (1987/12/05)
1987/12/05 例のM君から聞いた話だったと思うが、鉄道の車庫は事前に連絡することで見学させてもらえる、ということを知って、自分も見に行ってみたくなった。何しろ車庫なので、その路線を走る多種多様な車両がいっぺんに撮 […]
小田原に集合! (1987/11/22)
1987/11/22 夏の寸又峡へSLに乗りに行ったあと、秋に祖母の住む埼玉に自分だけ移住することになり、転校することになった。 転校先の小学校は、3年生の頃に一時的に通っていた学校だったので、顔見知りもいて割とすぐに打 […]
SLに乗って寸又峡へ (1987/07/26)
1987/07/26 父が職場の同僚を誘って日帰り旅行を計画した。行き先は寸又峡とのこと。寸又峡と言われてもピンと来ないが、SLに乗ると聞いて心が躍った。 と言っても、当時の自分はまだ鉄道趣味に目覚める前だった。もちろん […]