大阪の地下鉄巡り (1988/03/20)
1988/03/20
当時、父の会社は大阪に支店を出していた。その関係で父は月に一度くらい大阪へ行っていた。
また大阪の鉄道写真を撮りにいきたいと、父に再三伝えていたのが実を結んだのか、春休みに一緒に行かないか、と誘われた。
大阪は、鉄道ファンの世界に足を踏み入れたばかりだった1年前に、一度連れて行ってもらっている。その時は父に同行してもらって市内の地下鉄めぐりをしたのだが、記憶が散逸してしまっているので、エントリはない。
今回は父が仕事している日中に1人で自由に行ってこい、というので、初めての遠方での単独旅になった。
ということで、出発前にあれこれコースの計画を立てる。前回は撮影技術が未熟すぎて、とてもコレクションにしたいと思えないひどい写真ばかり撮影していた。なので、それらの写真も撮り直したいと思っている。
なので、基本的には前回のコースの踏襲がメインになるが、折角1人で散策するチャンスなので、他に興味のある路線なども回ってみることに。
前日夜に父の運転する車で大阪入りをして、難波のビジネスホテルに宿泊。父は行動用のお小遣いを自分に渡して朝方に出発していった。
自分は見たいアニメがあったので、それを見てから昼前に出発となった。
ホテル最寄りに商店街があり、そこで何かを食べようと思ったのだが、その辺の店にふらりと入って行ける度胸はなかったし、小学生がいきなりふらっと入ってきたら怪しまれない訳がない。というわけで、歩いていて見つけたハンバーガーショップで食べることにしたのだが、そこはドムドムバーガーだった。
関東にはドムドムは多分まだ進出しておらず、初めて入ってみたのだが、そこで買ったハンバーガーが値段の割にものすごく小ぢんまりとしていて、ガッカリした記憶がある。
それから駅に行って、まずは地下鉄の一日乗車券を入手。
当時関西地区の私鉄はかなり自動改札化が進んでいた。関東では未だに駅員がハサミで切符を切っているところがほとんどだというのに。
まぁ、今になって思えば、それは合理化、省力化の賜物であり、その分そこで働いていた人たちが食い詰めてしまったのではないか、なんて思いを馳せるはせることも出来るが、当時はオートメーションが時代の最先端であり、何でも自動化することが近未来的だ、とする風潮に満ちていた。
なので、大阪ってスマートだな、と思ったことを記憶している。
今回も主に地下鉄を中心に巡ってきたが、前回よりましな写真を撮ろうと頑張ったつもりだったのだが、撮影技術は上達していなかった。
結局また出来の悪い写真をたくさん撮ってしまい、ここに掲載できる写真があまりない。ということで、ここではダイジェストのみ。
難波から四つ橋線で住之江公園へ向かう。
もちろん目的はニュートラムだ。ニュートラムに乗って終点まで往復した。
四つ橋線で大国町へ戻り、御堂筋線で天王寺へ。
この頃は30系も10系試作車もまだ残っていて、時々目にすることが出来た。
天王寺から一駅戻り、動物園前へ。
動物園前で堺筋線の車両を撮影。
60系という車両だが、行き先表示のサイズが小さくて、行き先の天神橋筋六丁目の文字が入り切っていない。
「天神橋筋六」という表示になっている。車両の設計時に考慮しなかったのだろうか。
天と六が大きく書かれているのは地元の人たちから「テンロク」と呼ばれているせいだろう。
そのまま堺筋線で南森町へ。
南森町では谷町線を撮影。
当時は50系という古参車両がまだ残っていた。
そして、谷町四丁目で中央線に乗り換え。写真が撮り辛そうだったので、長田まで乗車してそこで撮影タイムを作った。
中央線と言えば、当時最新鋭の20系が幅を利かせていたが、最新鋭のVVVFインバーターというものを搭載していて、モーター音が独特だった。VVVFインバーターの車両もまた自動改札同様、関東ではあまり見かけないものだったので、噂のモーター音を聞いてテンションが上がった。
もちろん、市営地下鉄にはびこっていた50系も残っている。
撮影に失敗したので掲載は控えるが、その塗装のいい加減なことと言ったら。。。車両が可哀そうになるくらいひどい塗分けだった。なぜ他の路線と違う塗分けにしたのだろうか。
撮影を済ませたらそのまま近鉄東大阪線(現:けいはんな線)で生駒へ。
生駒で近鉄の車両を撮影してから奈良線で鶴橋ヘ行き、難波に戻って小旅行は終了となった。
鉄道に興味を持つと、時刻表と駅の名前の読み方が分かれば、概ねどこにでも行ける。
そういった意味では鉄道ファンになったことが、旅行好きとなる基礎になっているのだな、と感じた。