さいたま博覧会 (1988/05/22)
1988/05/22
この年、埼玉県はさいたま博覧会の開催に全県が沸いていた。85年のつくば万博辺りから毎年のようにどこかで地方博が開催されていて、88年についに埼玉での開催となったのだった。
目玉はなんといってもリニアモーターカー。そりゃ乗りたいでしょ、ってことでチケットを手に入れてさいたま博に行ってきた時の話である。
会場は熊谷市だったが、駅からバスで行くような場所にあったので、坂戸の家からはちょっと遠かった。それでもリニアモーターカーに乗りたい一心で出かけてきた訳だが、どうせ鉄道に乗るならベタなコースではいきたくない。
坂戸駅からだと川越駅、大宮駅を経由していくのが一番最短ルートだが、自分が選択した経路は、川越→高麗川→東飯能→西武秩父→熊谷、というコースである。どんだけ遠回りしてるんだw
まぁ、とりあえず出発!
まずは高麗川駅で八高線を撮影。
八高線は南関東では珍しい非電化路線(当時、他には相模線と久留里線しかなかった)である。当時は多種多様な車両がやってきたので、暇を見つけては割と頻繁に乗りに行っていた。
やってきたのはキハ35。多種多様やってくるとは書いたが、もっぱら来るのはこれだった。これが来るとがっかり。キハ38とか20とか40とかが来るとラッキー。
で、東飯能駅で西武秩父線に乗り換えて西武秩父駅まで。乗った電車は快速急行奥武蔵だった。と言っても通勤電車にヘッドマークを付けただけなので、ありがたみはない。当時4000系というセミクロスシートの車両もデビューしていたので、できればそっちに乗りたいと思ったのだが。。。
で、西武秩父駅に着いたら、秩父鉄道の御花畑駅まで徒歩で移動し、今度は秩父線に乗る。
秩父鉄道はこの当時は300系や600系という自社オリジナルの車両のほか、元小田急の800系などといった古豪が走っていたが、主力は元国鉄101系の1000系だった。八高線のキハ35と同様、これが来たらがっかりしたものである。
途中、親鼻駅かその辺の駅に東武の8000系が停まっていた。
当時は、池袋駅から秩父鉄道へ乗り入れて上長瀞駅や三峰口駅まで直通する特急があった。あった、と言ってもやる気のない東武がやることである。
三峰口駅まで直通する特急みつみね、と上長瀞駅まで直通する特急ながとろ(そのほかに小川町行きの特急さだみね、森林公園行きの特急むさしのもあった)が、休日のみそれぞれ一日一往復だけ走っていた。
なので、地元にいても普段まずお目にかかることのない幻の列車だった訳だが、やる気がないのはそれだけではない。なんと駅の運賃表に秩父鉄道の直通運賃が掲載されていなかった。
運賃が書かれていないから、そもそも直通していることすら知らない人も多かった。これでは乗せる気がないとしか思えない。
ちなみに、寄居駅から先、秩父線内まで乗りとおす乗客に対しては車内精算で対応していたらしい。
まぁ、暫くの間は、そんな具合でゆるゆる運用しているのでも問題なかったのだが、88年頃に西武が秩父線と秩父鉄道を接続する連絡線を設置、西武線との直通が開始したことで状況が変化した。
直通運転開始にあたり4000系電車を新造し、西武秩父駅で三峰口駅方面と上長瀞駅方面に分割する形で一日数本運転されるようになった。
こうなっては細々と形だけのお付き合い状態だった東武に勝ち目はない。直通特急はやがてしれっと廃止になっていた。
東武東上線は池袋駅側は乗客が多く都市近郊路線の性格があるが、小川町駅から先は閑散としたローカル線であり、一連の運用をすると非効率ということで、結構前から小川町駅を境に池袋駅方面と寄居駅方面で運用が分かれていた。
小川町駅の先の区間は6両編成までしか入線できないため、直通運転をするには池袋駅から6両編成の列車を運行しなければならないのだが、池袋駅側は乗客が多いので6両編成だと混雑してしまう。
ということで、晩年は小川町駅行きの10両編成の特急を仕立て、小川町で秩父方面への6両編成の直通列車に乗り換え、という運用にしていた。
だが、乗り換えしなければならないなら、寄居駅で直通する意義もほぼなくなってしまう。そもそも上述のとおり、経路的にも乗客サービス的にも不便なことは変わらないないので、結局需要喚起が出来ないまま、廃止となった次第だ。
まぁ、あのやる気のなさだったら廃止もやむなしかな、とは思うが、例えば伊勢崎線から6050系を持ってくるとか、直通切符を買えるようにするとか、坂戸駅辺りで分割して4両は越生線へ直通させるとか、やりようはあったと思う。そう考えると単純にやる気の問題である気がする。
それはさておき、夕方も近い時間になって熊谷駅に到着。駅には件の800系が留置されていた。
さて、ここからさいたま博覧会会場まではバスだ。こんな時間の乗車だったにもかかわらず、車内は満員御礼。運転席脇の扉のステップのところにどうにか居場所を確保して、博覧会会場へ。
会場に着いたら一目散にリニアモーターカーのところへw当然、他のアトラクションは全く興味なし。
乗り場にも未だに行列ができていて、乗車まで2,30分くらい待った気がする。着席は叶わなかったので立って乗車。窓はスモークガラスかなんかになっていて、外の景色があまり見れなかったような記憶がある。
車両に乗り込んだらほどなく発車。スーッと走り出して、園内に敷設された線路をゆっくりと走る。1分くらい進んだ所で折り返して、駅まで戻ったら終了。予想はしていなかったわけじゃないが、想像以上にあっけなかった。
リニアモーターと言えば磁気浮上である。磁石の極の向きによって引っ張られたり反発したりするあの原理を応用して車両を浮かせるわけだが、浮くというのだからふわふわと浮くものだと思ったら、意外にもそんなふわふわ感は感じられなかった、子供心に、あれ?本当に浮いてるの?という疑問を抱いた。
今になって思えば、ふわふわしてたら乗り心地が悪くてしょうがないと思うので、そんなわけはない、と理解できるのだが、当時は学校の理科の実験で触った永久磁石の感触しか知らなかったので、そう言う風に考えてしまったのだった。
それにしても、車体にヤマザキのマークが付いている。あのパン祭りのヤマザキである。金持ってたんだな。
上でリニアモーターと言えば磁気浮上、と書いたが、実はリニアモーターの仕組み自体は浮くことを前提としていない。
じゃあ浮かないリニアモーターって何?という話になるが、この会場内にはもう一か所、浮かないリニアモーターである鉄輪式リニアモーターの車両に乗れるアトラクションもあった。
それが、リムトレインである。上述の浮上式のリニアモーターカーはHSSTと呼ばれている。
これがリムトレインである。
見た目、その辺の鉄道車両そのまんまである。そりゃそうだ。名前に鉄輪式と書いてあるだけに車輪でレールの上を走る車両である。
こちらも乗車はしたが、あんまり普通だったせいか、中の様子などあまり記憶がない。。。
当時はいずれも実用化されていなかったが、鉄輪式はほどなく大阪の鶴見緑地線(現:長堀鶴見緑地線)で実用化された。ちなみにHSSTの方は少し遅れて2005年に愛知でリニモとして開業している。
さて、これらの車両に乗り終わったら、ほどなく閉園時間となった。しょっぱなからこのリニアモーターの体験乗車をすることだけが目的だったので、他のアトラクションを見ることは全く考えておらず、体験乗車が出来ただけで満足して会場を出た。
帰宅の経路は流石に高崎線と川越線の最短ルートで帰ってきた。