箱根にまた行ってきた。 (1990/03/31)
1990/03/31
数年前に自分を鉄道趣味の世界へと引きずり込んだ同級生のM君。意外にも撮り鉄の旅に一緒に出掛けたことは少なかった。
この時は小田急の10000形(HiSE)がデビューして数年経つが、未だに撮影できていないので撮影しに行きたい、という思惑が一致して出かけてきた。
また例によって、ろくでもないカメラを携えて出かけたので、その出来栄えはかなりひどいものだった。
半分くらいは自分の腕の未熟さに起因するものだが。。。
まぁまぁうまく撮影できたものを中心にお届けする。
天気はあいにくの雨模様。10000形を撮影しにやってきたのだが、小田原で撮影した10000形はこんな有様である。。。
それから、伊豆箱根鉄道の小田原駅を訪ね、ホームに停まっていた165形を撮影。
これはまぁまぁ上手く撮れていた。
が、旅行後にM君が撮影した写真を見せてもらって愕然とした。
▲M君から貰った写真。
同じ場所で撮影しているのにこの出来栄えの違いはどうしたことだ。
これはもはやカメラの違いだけでは説明が付かない。自分の写真は根本的に構図がなっていない。。。
レアな車両や、自分のお目当ての車両に遭遇すると割とすぐにテンションを上げてしまう自分は、撮影時に冷静さを失いがちになってしまうのだが、そこのところ、M君は常に冷静。しっかりと構図を決めて、ここぞという所でシャッターを押す。
基本に忠実とも言えるが、やはり基本は大事なのだ。
ということで、気を取り直して。
ここから登山電車で途中箱根湯本を経由しつつ強羅まで向かった。
箱根湯本で乗り換えの際、小田急から直通してきた5000形の車両番号が5555だったので、M君が珍しくテンションを上げて撮影した写真を掲載する。
それから改めて強羅へ。この時はモハ2形だった。が、ベルニナやサンモリッツに乗ってみたい自分としては不満が残る。。。なぜ毎回巡り合わせが悪いのだろうか。。。
それはさておき、強羅に到着。前回K君と訪れた時も強羅で折り返して戻っているが、M君もケーブルカーには興味がないらしく、ここで帰ると言っている。
それで口論、というほどでもないがちょっとしたつばぜり合いがあって、少し険悪なムードになってしまった。
結局、M君の要望を聞き入れる形でそのまま折り返すことにしたのだが、帰りの車中では殆ど会話しなかった。
途中、入生田の車庫の所に停められていたモハ1形?のあじさい電車を掲載して、このエントリを終えることにする。
ちなみにM君との小競り合いはちょいちょいあることだったので、お互い気にしない。翌日学校ではすっかり元通りであった。
M君は当時から鉄道で働きたいといっていた。フラフラしていた自分と違い、初志貫徹で高校卒業後に東武鉄道に入社している。
中学卒業後暫く疎遠だったが、成人式で久々に再開した折に近況を聞いたら駅員をやっていると言っていた。その時は将来、運輸部門で鉄道の運行をつかさどる仕事をしたいと言っていた。
その時を最後に会っていないので、今どうしているかは杳として不明だが、初志貫徹を遂げたM君なので、今その部門にいるものと思う。
ここ10年ほど東上線の車両やダイヤ構成などが、以前と比べて圧倒的に華々しくなってきている。
もしかしたらM君が采配を振るっているのかも。