広島・高松遠征【5】(1991/05/04)
で、兵庫に到着。兵庫と言えば和田岬支線。和田岬支線は昨年訪れたばかりだが、その時に運転されていた旧型客車の列車が一掃されてキハ35のディーゼルカーになったと聞いたので、改めて見に来てみた。
都市近郊の非電化路線では至る所で見られたキハ35だが、和田岬支線にあてがわれたキハ35は専用チューニングが施されていた。
和田岬支線は、専ら工場地帯への通勤客輸送がメインの路線であるという話は以前にも書いたが、そういう路線なので、客車列車で運行していた当時も座席をごく一部にのみ設置して残りは立ち席、しかも車両の中間に扉を増設して強引な3扉車に仕立てる、というかなりのチューンナップ、というかデチューンが施されていた。
その後継となったキハ35も300番台という特別仕様になった。写真のとおりホームのない側の扉が2カ所埋められている。座席は撤去されなかったが、今度はエンジンが撤去された。
と言うと語弊があるが、この路線は終点まで平坦で、スピードも出さないからエンジンのパワーがいらない。だったらエンジンは2両のうち1両だけでいいよね、ということで片方の車両のエンジンは撤去されてしまったのだ。
鉄道に詳しい人が聞いたらくすぐったい話になると思うが、「キハ」という文字には、キ→ディーゼルカー(気動車の「キ」)、ハ→普通車(昔は車両のグレードによってイロハのいずれかの記号が付いていた=3等車)という意味がある。
これが電車の場合、JRではモーターが付いている車両に「モ」、付いていない車両に「サ」、運転台が付いている車両を「ク」という記号を付けている。イロハについては気動車と一緒である。
なので、普通車(3等車)を、①運転台の有無②モーター(or エンジン)の有無で分類して、コンビニの酒たばこの分類風に「アリ/ナシ」で表現してみると、
① ②
ナシ-ナシ → サハ
アリ-ナシ → クハ
ナシ-アリ → モハ
アリ-アリ → クモハ
と言った具合になる。
で、ディーゼルカーの場合は、と言うと、
① ②
ナシ-ナシ → キサハ
アリ-ナシ → キクハ
ナシ-アリ → キハ
アリ-アリ → キハ
となる。なんだか統一性がない。PC-9801のモデル名みたいだw
でも鉄道ファンの間では、このネーミングルールを何の疑いもなく暗記していた。
形式名の命名に際して設計に携わった人は誰も疑問に感じなかったのであろうか?
そんなわけでこの和田岬線のキハ35のエンジンなし車両は、上記のルールに則ってキクハ35という形式が与えられていた。このキクハ35という車両はそんな背景からここ、和田岬支線でしか走っていないという超レア車両なのである。おしまい。
で、そこから大阪市内へと向かう。
前回来た時に京阪電鉄の写真が手薄になっていたので、その辺を狙ってみようと思い、京橋駅にやってきた。
まず最初に撮影したのが日本初の5扉車として名高い5000系だった。
この車両は片側に5個の扉が付いていて、通勤時間帯は全部を開閉させるのだが、閑散時はうち2枚の扉を締め切りにして天井に仕舞ってある座席を降ろして着席できるようにするというトリッキーな車両になっている。
こちらは6000系。前面の半分が非常用扉となっていて、すっきりとしたデザインが好印象の車両である。
以前の京阪の主力車両である2600系。前面の左側の窓が開閉可能な窓になっているのが特徴的だ。
まだ1000系も走っていた。
そして特急車両の3000系。当時はまだ2階建て車両を連結していなかったときだろうか。
他にも色々撮影したが、まぁ、こんなところで。
ここから難波に移動して、南海線で堺に。
宿は堺に取って有ったので、そこまで向かわなければならない。ぼちぼちいい時間である。
なぜ堺に宿を取ったのかは忘れてしまった。大阪市内とかで取ればもっと時間が有効活用できたような気もするのだが。
当時、ホテルに宿泊しようと思ったらもっぱら時刻表の巻末に記載されている日本観光旅館旅館連盟(日観連)認定の旅館一覧から選んで予約するのが一般的だったので、恐らく一覧の中にある料金が手ごろなところを選んだからだと思う。
難波駅では、まだ色が塗り替えられる前の2100系が停まっていた。が、これには乗っていない。
堺まで行って、確かホテルの場所を探して少しさまよったような記憶があるが、無事見つけてチェックインを済ませ、その日が終わった。
しかし、この当時は泊まったホテルをメモするとか、レシートを取っておくとかそういう習慣が全くなかったので、今となっては当時宿泊した宿の名前は全く分からない。場所も記憶していないので、もはや探すこともできない。
その辺もしっかりメモするような子供だったら、もっとしっかり勉強してまともな成績を修めていただろうにw