名古屋出張2023【3】(2023/04/16)
冠山峠道路
前回は麓にある道の駅星のふる里ふじはしに立ち寄った際に、徳山ダム方面へのマイカー通行規制を告知されて、途中の藤橋城からバスに乗って徳山ダムを見学しに行った。
ただし、マイカー規制されていたのは徳山ダム堤体のみで、それより上流へ進むことについては規制されていなかったので、ダム見学の後マイカーで上流方面を流してみたのだが、これと言って得られるものもなくそのまま途中で引き返してきている。
更に、その途中にある徳山会館は駐車場が満車で入れず、星のふる里ふじはしに併設されている郷土館も時間の都合で見れずじまい、と、全体的に消化不良のまま徳山ダムを後にしたのだった。
なのでいつか再訪してじっくり見学したいと思っていたのだが、長い歳月の間にそのことも忘れてしまっていた。今回、そのことを思い出したので、じっくりダム周辺を見て回ろうと考えている。
事前にネットで調べた限りでは、今回は特に規制などはされていないようだ。
まず最初に道の突き当りまで見に行って、そこから戻りのコースで徳山会館、徳山ダム、星のふる里ふじはしの順に見学してこうと思う。
谷汲地区から徳山ダムまでは県道40号線と国道303号および417号線を通っていく。県道40号は途中狭い区間もあるが、303号線までの区間は概ね道幅も広く、あまり走りにくい所もなく進める。
だが、途中にある横山ダムの堤体部の少し先の分岐から国道417号線に入ると、横山ダムに伴う人造湖である奥いび湖の湖岸に沿うように山の谷を忠実にトレースする道となり、急カーブが連続するルートとなる。
前回訪問時もこの区間を「ハンドルを右に左に~」なんて書いているが、相変わらず険しい道のりだった。
とは言っても、そうした険しい区間は藤橋城までの7キロほど。その先は徳山ダムの付け替え道路となり、一気に高規格な道路に切り替わる。
徳山ダムの手前までの区間は道こそ高規格だが、161mもある堤体を越えなければならないので、ずっと急な勾配が続く。
ダム堤体脇をトンネルで通過すると、右手方向にダムの湖面が広がった。
奥に見える上流方向の山々の辺りには暗い雲が立ち込めていた。この道がどの辺まで行けるのか分からないが、この辺りは県内でも有数の多雨地帯とされているらしく、天気が崩れないことを祈りながら進んだ。
徳山湖岸に沿った道は緩やかなカーブを描きながら、橋や長大トンネルをいくつも連ねて続いているが、ダムの最上流端の辺りで行き止まりになっている。そのため、走行する車は殆どなくまるで貸し切りのような感じだ。
ダムが建設されるとそこに元々あった道が水没してしまうので、大抵の場合地域住民の交通路を確保するために、付け替え道路というものが建設される。徳山湖の湖底には、かつて1500人余りが暮らす徳山村という自治体があったが、ダムの建設によって村のほぼ全域が水没することから、全ての住民を下流の別の地区に集団移転させたうえでダムが建設された。
更にこの道の終点までの間に枝分かれする道もないので、現在この道を使わなければならない居住者がいない。旧徳山村は福井県との県境に位置した村なので、終点まで他の自治体もない。
では、この付け替え道路は何の便宜を図るために作られたのだろうか。このような高規格な道を作る理由が思い浮かばない。
ずんずんと進んでいくと最後に塚白椿隧道という3キロ余りあるトンネルがあり、それを抜けるとすぐに道が封鎖されていた。
封鎖箇所の脇にちょっとした広場があり、どうやらここがこの道の終点らしい。周囲を見学してみようと思い、車を停めて降りた瞬間雨が降ってきた。。。最初は霧雨のような感じだったが、だんだんと強さを増して、しっとり濡れるくらいの雨脚になってきたので、結局慌ててあちこち撮影して車に戻る羽目になった。
この辺りは徳山ダムの最上流端付近となるため、水域もだいぶ狭まりちょっとした川の瀞のようにも見える。
広場にはトイレがあり、フェンスの向こうは徳山湖である。ダムの堤体があるのは13キロも下流だ。161mの堤体を作ると、こんなに上流部まで水没してしまうということだ。
実際徳山湖の貯水量は6億6千立方メートルもあるそうで、日本一の貯水量を誇っている。
そりゃ、これだけ広大な範囲を水没させたのだから、日本一にもなる訳だ。
道向こうの斜面の上に小屋が2軒見えた。この道はまさかこの家の住民に対する便宜を図るために作られた・・・訳はないよな。
見た感じ雨戸が閉ざされて人の気配はない。雨が降っていたこともあり、広場から眺めるにとどめたので、ダム建設前から誰かが住んでいた住居だったのか、はたまた水没後に新たに作られた建物なのかは不明。
それはさておき、閉鎖された先にも道が続いているのが見える。その先にトンネルも見える。地図ではここが終点になっていたので、単なる行き止まり道路だと思っていたのだが、もっと先の方へ延伸する予定があるらしい。
傍らの看板にその先の道の概要が書かれていた。それによると、この道は冠山峠道路という名称で、完成すると県境を越えて福井県の池田町まで繋がる7.8キロの道となるそうだ。
そして地図を見てみると、池田町から先、越前町というところまで国道417号線が続いていることに気づいた。
つまり、この道は徳山ダムの付け替えのためだけに作られたものではなく、元々岐阜と福井を結ぶ前提の国道で、この冠山を中心とする峠越え区間が点線国道となっていたということだ。岐阜と福井を結ぶ大動脈として期待されているために高規格に作られていたということのようだ。
峠越え区間の国道は未開通だが、林道冠山線という林道によって結ばれている。だが、この道は冬季閉鎖となるうえ、開通している時期でも土砂災害などが頻発して、しょっちゅう通行止めになるような非常に脆弱な道で、あまり使い勝手の良い道路ではないらしい。
冠山峠道路が開通すると冬季閉鎖もなくなり、通年走行が可能な道路となるが、奥いび湖の湖岸の道路が通りづらいので、そこが解消されないと本領が発揮できない気がする。ま、そもそも福井と岐阜の間の交通としてどのくらいの需要があるのかは未知数な気もする。
看板によると着工が平成20年と書かれていた。かれこれ15年も工事が続いている。地質などの問題によるものか、あるいは政治的な障害があるのか不明だが、工事は相当難航しているらしい。この分だと開通は当面先かなと思っていたのだが、自分が訪問した半年後の2023年11月に無事開通したとのこと。案外完成間近だったんだな。また行く理由がひとつ出来てしまったw
上述のとおり雨の降りが強くなってきてしまったので、あまりちゃんと見学ができなかったのが残念だが、この雨雲が麓に降りてきてしまうと、この先ずっと雨降りの中の散策になりかねないので、ほどほどに戻ることにした。
ちなみに、冠山林道は閉鎖されていなかったので、進もうと思えば進入できそうだった。それはそれでちょっと走ってみたい気もしたが、レンタカーなので万一があったらまずい。進入は自粛した。
再び3キロのトンネルを抜けると、天気は曇り始めていたが雨は止んでいた。
トンネルを抜けてしばらく進むと次のトンネルである櫨原儀徳隧道の少し手前に上に登っていく道がある。その上には櫨原展望台があるとのこと(看板などはなく、地図で確認)。
櫨原というのもかつて徳山村に存在した集落だったが、もちろん湖底に沈んでいる。なのでかつてを偲ぶものが見える訳ではなさそうだったのと、雨に追いつかれたらいやだな、と思ったのとでここはスルーした。
展望台の横から入り込んでいく支谷に水没して立ち枯れている木々が見えた。
ダムを作る時は満水位の高さまで木々が伐採されるはずだが、このように立ち枯れている木があるということは、当初想定の満水位よりも高い位置まで湛水しているのだろうか。
更に下っていくと、次のトンネルであるカンノゼ合掌隧道の手前にあずまやが見えたので、そこはちょっと立ち寄り。
ここにはあずまやとその脇に山道・加茂神社があるが、神社と言っても石碑のみ。拝殿などはなく、ご神体もここにはないのかもしれない。さっと見学して先に進む。
ちなみに、これまでいくつかこの道のトンネルの名称を記載しているが、そのどれもがちょっと風変わりな名前が付けられている。これらは旧徳山村に存在した地名や名称、伝説などを元に命名されたらしい。Wikiの徳山バイパスの項にそのトンネルや橋の一覧が掲載されているが、更に濃い名称が付けられたものが多数あった。
特にインパクトが強いな、と思ったのは、「クツ尾」なんとか、という、何本かかけられた橋の名前だ。クツ尾とかいて「くぞ」と読むそうだ。いやいや、カタカナだぞ。。。
その中でも「クツ尾ゴンニョ橋」は耳に残る強烈な名前だ。一度読んだら頭の中で何度もリフレインする奴であるw
徳山会館にて
さて、ようやく徳山会館のところまで戻ってきた。ここにはかつての徳山村の様子が展示されているらしく、前回訪問が叶わなかったのが心残りになっていた施設だ。
流石に今回は車もまばら。すんなり車を停めることが出来た。まぁ、ただの土日だからな。
館内は土足厳禁でスリッパに履き替えさせられた。ペタペタとスリッパの音を響かせて館内を進むと下に降りる階段がある。入口は2階で下が1階になっているようだ。
1階にはレストランと、アマチュアカメラマンが撮影した風景写真が展示されていた。レストランは確かダムカレーが食べられるんだったかな。現在は冬季休業中でやっていなかったが、来週末から今期の営業を開始するそうだ。
2階には資料展示室がある。そこにはダムの構造が分かるような模型などが展示されているが、展示のメインはかつての徳山村を紹介するものとなっている。自分はこれが見たかったのだ。また、このダム建設を題材にした映画の上映室もある。
徳山村はかつてこのような感じの村だったらしい。蛇行する川の扇状地に建物が密集して建てられている。
徳山村には徳山(本郷)、下開田、上開田、山手、櫨原(はぜはら)、塚、戸入(とにゅう)、門入(かどにゅう)という8つの集落があった。
いずれも川が蛇行するところの扇状地に切り開かれた集落で、展示されている航空写真で同じような雰囲気の集落風景が確認できる。
これらの集落に住んでいた住民は、ダム建設に伴って麓の本巣市周辺に集団で移転をしている。上記のうち、門入以外の集落は全て水没してしまったが、門入集落のみ満水時の水位よりも高い所にあったので水没を免れている。だが、この集落に行くための唯一の道路が水没してしまうことから、他の集落と合わせて一緒に移転している。
これで徳山村は無人となったため、隣の藤橋村に編入される形で消滅した。後に藤橋村もまた揖斐川町に編入されて消滅してしまった。
で、門入集落だが、上で唯一の道路が水没と書いたが、実はもう一つアクセスルートがある。山の反対側にある坂内という地区との間を結ぶ山道だ。この道は途中ホハレ峠という峠を越えるため車が通ることは出来ないが、徒歩でなら立ち入ることが出来る。
あるいは、特定の時期のみ徳山湖上で運行される船に乗って戸入地区の辺りから上陸することも可能らしい。
そのため、水没しないのなら先祖代々の土地を離れたくない、との考えで夏の間だけ集落に戻って自給自足の生活を送る住民が一部残っているそうだ。
そうした住人に密着取材した番組(DVD作品かもしれない)が、館内のテレビで放映されていた。
その一角に徳山村を題材にした書籍が売られいた。それら中にその名も「ホハレ峠」という、大西暢夫氏が門入集落の老婆を密着取材したルポタージュがあったので、一冊購入してみることにした。