アメリカ西海岸の旅【7】(1991/04/03~04/05)
サンフランシスコの市内観光:
1991/04/03(現地時間)
まずはケーブルカーに乗ってフィッシャーマンズワーフへ再訪した。
係留されている船には乗ることも出来たので、船上で写真などを撮って、その後傍らのショッピングモールっぽい所を冷やかした気がする。
そこで貰ったのが、近所にある見世物小屋的施設のパンフレットである。そのパンフレットには世の奇人変人のイラストや写真が多数記載されていた。黒目が片目に2つずつある人とか、背が凄く小さい人とか、干し首の写真などなど。。。当時の自分はそれを見て不気味だと思った。自宅に持ち帰った記憶があるのだがいつの間にか散逸してしまっていた。不気味すぎて処分したのかもしれない。
父はこういうのが存外に好きなタイプなので行きたいと言い出すのではないかと内心ドキドキしていたのだが、幸い話題に上ることもなく行かずに済んだ。もし行きたいと言っても猛然と反対したと思うが。
サンフランシスコの鉄道:
それはさておき、午後は乗り鉄の旅に出発である。
サンフランシスコは、MUNIが運営するケーブルカー、路面電車、トロリーバス、BARTが運営する地下鉄、Caltrainが運営する郊外鉄道、等々多種多様な路線が縦横無尽に走っている。どれに乗るか、限られた時間の中で効率的に回るにはどうしたらよいか、昨晩の時点であれこれ計画を立てた。
いずれにしても大体の路線はマーケットストリートというメインストリートを通るルートになっている。海沿いの駅からケーブルカーに乗って、ケーブルカー博物館を見学しつつマーケットストリートに戻る計画を立てていたのだが、午前中の散策が少し押してしまい、当初計画していたコースを全部回るには時間が足りなくなってしまった。
仕方ないので計画変更。ケーブルカー博物館も見送りとなった。
何はなくともまずはケーブルカーに乗らねば、と乗り場の方へ移動しようと思ったら、唐突に父から少し歩こう、と言われた。
ここは海岸沿いなので、中心街方面に行くにはまず山登りをしないとならない。そこそこしんどかったが、ブラブラと道を歩いた。
途中の路地からサンフランシスコの象徴的なビルの一つであるトランスアメリカピラミッドが見えた。
更にもう一頻り進むと、やがてケーブルカーの線路があるパウエルストリートに出てきた。
坂上からケーブルカーが下ってきた。人が鈴なりに乗っていてインドのアレほどではないものの車体の脇にもしがみついている。これぞサンフランシスコケーブル。車両にしがみつくやつはものすごく楽しそうなのでやってみたい。
父がそこまで織り込んで歩こうといったのかはもはや分からないが、このケーブルは始発駅であらかた席が埋まってしまうのでそれより先の停留場から乗ろうとしたら問答無用でしがみつくしかない。
図らずもしがみつきで乗れることになって興奮した。
ケーブルカーがやってきて見よう見まねでしがみついてみた。これは楽しすぎる。気分は駅を発車するときの車掌の気分だw
つかまっていないと振り落とされてしまうので、あまり自由に撮影することは出来なかったが、片手でメクラ打ちしながら何枚か撮影した。
高度差がものすごい。だからこそケーブルカーが大活躍なのだ。
それからBARTのパウエルストリート駅へ。BARTは地下鉄にカテゴライズされる路線だが、地上区間もあって郊外鉄道の側面も持つ。
車両は東京メトロの6000系/7000系と静岡鉄道の1000系を足して2で割ったような感じのデザインだ。
高速鉄道を謳うだけあって駅出発後の加速は目を見張るものがあった。
BARTに乗って、下車したのはバルボアパーク駅。そこからMUNIに乗り替えて再びパウエルストリートに戻るつもりである。
MUNI(ミュニ)は日本でいう所の路面電車とミニ地下鉄を足して2で割ったような路線であり、ライトレールに属するものとのことだ。一番近いのは現在の京阪京津線だろうか。
当時、日本では路面電車が地下鉄として地下区間も走るような路線がなかったので、どんなものか興味があった。
バルボアパーク駅なんてもちろん知らない駅だし地図上の位置もよく分からない。とりあえず列車を降りて案内表示を見落とさないよう具に見て道なりに歩いてきたらMUNIの駅があった。
車両はこんな感じ。落書きされまくっているところがいかにもアメリカという感じである。
パウエルストリートを通る系統の路線の列車を見つけて乗り込むと、ほどなくして発車した。
途中車窓からMUNIの車庫が見えた。停められている車両は落書きされていなかった。速やかに消したのかこの車両がたまたま落書きされたてだったのかは分からない。
路面電車といったが専用の軌道敷を走る場面が多かった。そのせいか日本の路面電車のようにのんびりゆったり走るわけではなく、結構ガンガンに飛ばしていたのが意外だった。
そして途中から地下区間に入る。駅を出発して1時間くらいでパウエルストリートに戻って来れた。
路面電車型の車両が走る駅なので地下鉄駅なのにホームの高さが低い。そこはかとない違和感。
興味の赴くままの旅であり、かつ言葉も通じない場所で、正しいかどうか確証がない不安と向き合う面白い小トリップだった。
地上に出ると見覚えのある通りに出た。ほっと一安心。
例によって日が傾き始めて日影が多いが、最後にケーブルカーの写真をもう一枚撮ってお開きとなった。
そして帰国:
1991/04/04(現地時間)
この日はひたすら帰国のための移動だ。一度LAに戻りそこから成田へ飛ぶ。
サンフランシスコを出る便が9時発なので、朝は慌ただしかった。
もちろんLAはトランジットとしての滞在のみなので空港外に出ることもない。長いようで短いアメリカ西海岸ツアーもこれで幕を下ろした。
帰りの飛行機も窓の外は常にこんな感じで日が一向に沈まなかった。
今度は太陽をひたすら追いかけるように飛んでいくので、成田に到着した時には、時差が足されて日付が4月5日になった。
折角一日お得になった気がしていたのに。。。w
(おわり)