休日出勤(2007/06/01)
この日は休日出勤だった。のんびり出勤すればよかったので、珍しくカメラ持参で出かけて、行き帰りの隙間時間で撮り鉄を堪能してきた。
2007/06/02
日比谷線の南千住で途中下車。
トップバッターは東急1000系。
日比谷線は東武伊勢崎線と相互直通運転を行っているが、かつては東急東横線とも相互直通運転を行っていた。
なので当時は東急の車両が入線してきたのだが、数年後に東急との直通運転は廃止となった。
日比谷線の車両は18m8両編成で運行されている。当初から東急線と東武線との間で相互直通運転を行う予定で建設されたが、既に20m車両で運行されていた東武と、18m車両を使っていた東急の駆け引きにより、18mに合わせることになった、と言う話をどこかで聞いた。
仕方ないので、東武は日比谷線直通専用車両として2000系という18mサイズの新形式車両を新造して対応したのだが、東急の方も後に20m車を導入することになり、やがて東横線は20m車両で統一された。
ところが、日比谷線はトンネルの中を走る地下鉄ということもあって、容易に車両のサイズが変更できず、東武も東急も地上線用の車両は20m車で統一されている中、日比谷線直通列車だけは車両のリプレース時にも専用設計の18m車を宛がわなければならなかった。
長さだけではなく扉の数も異なっているため、駅に停まる時に扉の位置が合わず、整列乗車への足かせになるなど問題も多かったのだが、前述のとおり東急が一抜けしてしまったので、東京メトロや東武にとってはお前がわがまま言うから合わせたのに、と、裏切られたような気分だったかもしれない。
もっとも、その数年後には車両を20m化することになり、現在は20m7両(東京メトロ13000系/東武70000系)となっている。それに伴い18m車だった東京メトロ03系と東武20000系はお役御免となった。東急に対する当てつけ、ではないと思う。
こちらは東京メトロ03系。
そんなわけで、この車両も過去帳入りとなった。今は長野電鉄とかで走っている。
平成初頭に登場した車両なので、この時点でまだ30年使われていない。長持ちするアルミ製にしたのに勿体ないものだ。まぁ、その分地方のローカル私鉄に比較的良質な車両が導入できる、というメリットもあるのだが。
それから仕事をこなし、今度は帰り際に綾瀬駅に行ってみた。
千代田線を走る電車は意外なことにレア車両の宝庫だったりする(した)。
東京メトロ06系。
営団地下鉄時代に銀座線に01系が登場して以来、各路線で増備が進められた0x系シリーズの千代田線バージョン。
当時、通勤電車にもゆとりを求める声が高まったことを背景に、座席をゆったりとさせたりするなど工夫された車両だった。
ほぼ同一の仕様で有楽町線用の07系も作られた。07系の方はそこそこまとまった数が作られたが、06系はなぜか1編成しか作られなかった。
それだけに気軽に遭遇できない車両であった。
不運なことに当時各地でホームでの転落事故が続き、ホームドアを設置する機運が高まったのだが、06/07系はゆとりある車内があだになり、ホームドアに対応できなくなってしまった。ゆとりを実現する際に扉の位置が他の形式の車両と微妙にずれていたのだ。
ゆえに製造後20数年しか経っていないにも関わらず廃車されてしまって現存しない。
なお、有楽町線の07系は東西線に転用されて現在も活躍している。東西線は千代田線以上に扉の位置や幅が様々な車両が走っているが、それでもホームドアは設置された。
対応できるホームドアが設置できるなら06系を引退させる必要はなかったのではないかと思うのだが、1編成しかないために保守が煩雑化するなどの弊害もあったのかもしれない。
ちなみに、綾瀬にはここから北綾瀬へと向かう支線がある。元々車庫へ向かうための引き込み線で、沿線の都市開発が進んだことから、その一部を流用して営業運転を行っているものだ。現在は北綾瀬駅のホームが拡張され、千代田線の一部列車が北綾瀬駅まで直通しているが、当時は綾瀬以南へ直通する列車がなく、専用にあてがわれた3両編成の電車が1駅の区間を折り返しで運用していた。
これは恐らく1988年頃に撮影したと思われる写真であるが、当初はステンレス仕様の5000系が使われていた。
その後6000系の試作車編成が割り当てられ、以来長らくこの車両で運用されている。
この試作車製造は1968年と言うことなので、既に40年近い。06系の倍近い先輩である。そう考えると06系がいかに不運か、と言うのが分かろうというもの。
5000系は東西線用の車両だが、当初は千代田線でも使われていたことがあるので、いわば里帰りみたいなものである。
後に5000系のアルミ車も転属してきて北綾瀬専用として使われていたこともあった。そう考えると東西線、千代田線、有楽町線、半蔵門線の20m車両で運行される路線は、結構車両の融通が行われている。
写真は1988年頃の物と思うが、こんな風に半蔵門線用の8000系が東西線に貸し出されていたこともある。この時はマスコンなどを東西線仕様に合わせるなど大掛かりな改造を施して入線させている。こういうことをやっている実績があるので、ますます06系も07系と同様に東西線に転属させる道もあったのではないかと言う気がするのだ。
話を今に戻して。。。続いてやってきたのが、JRの203系。
この車両もだいぶ長い。個人的な話だが、小学生の頃少ない小遣いをはたいて都内に撮り鉄に出かけた時に、千代田線のホームで待っているとこれが来ることが結構多かった印象がある。6000系を撮りたいのにこればかり来るので、あまり好きな車両でなかったりする。
JR東日本の珍車として207系が挙げられる。これまた1編成しか作られなかったレア物である。
1編成しかない割に、意外にもホームで待っていると遭遇できることが多い車両だった。
見た目は205系に似ているが、前面に貫通扉が付いているのが外観上の差異である。常磐線のエメラルドグリーンの帯を巻いているが、遠目に見ると埼京線の205系にも見える。
形式が207系となっているのは制御方式にVVVFインバーターを採用していたせいである。昭和60年代辺りはこのVVVFインバーターを搭載した車両と言うのが最先端のイメージをほしいままにしていた。恐らく、モーターの音が従来の電車とは全く異なる非常に特徴的なものだったので、分かりやすかったからというのもあるのだろう。
関西方面では比較的早い時点で配備が進んだが、関東の各鉄道会社は採用に割と慎重でJRも長いことこの1編成しかなかった。
結局その後増備されることもなく、この車両もその後廃車となって消滅してしまった。
仕事の行き帰りの立ち寄りだったので、これでおしまい。
(おわり)