香港・マカオ【2】(2000/01/08~01/09)
2000/01/08
朝の船で再び香港へと戻る。この日は終日自由行動だったのかな。
父からどこか行きたいところはあるか?と聞かれて、こっちのパソコン事情を知れるような場所に行ってみたい、と答えると、ガイドに質問して深水ポ(シャムシュイポ、ポは土へんに歩という字)という場所が日本の秋葉原みたいな感じの場所だ、と教えてもらった。
親たちは女人街に行きたいと言っている。ホテルからは女人街もシャムシュイポも、どちらもほど近い場所なので両親とは別行動をとることになり、単独でシャムシュイポへ行ってみることにした。
シャムシュイポに着いたはいいが、どこに何があるかはさっぱり分からない。見た感じガイドの言うとおり秋葉原の昭和通りの裏手の路地のような印象で、建ち並ぶ店の店頭の様子は電脳かアニメ・コミックの類を取り扱っている店である雰囲気。少しぶらついてからとあるビルの1つに入ってみた。そこは秋葉原で言えばラジオデパートが大きくなったような感じのビルで、中に沢山の小売店がひしめいていた。
丁度その時期、自宅のパソコンのハードディスクの容量が枯渇しつつあったので、もし安かったら買って帰ろうかな、などと考えていたのだが、値段は日本での売値と大して変わらなかった。でも香港で買ったハードディスクで動くマシン、というのも酔狂で面白そうだったので1つ購入した。シーゲイトの物だったかな。と言ってもバルク品なので香港で購入したことが分かるようなものは何もなかったが。
おまけに、日本へ移動する最中の振動が良くなかったのか、取り付けてほどなく壊れてしまった。
それと書店があったのでそこにも立ち寄ってみた。立ち読みという概念がないのか、本には薄いビニールでシュリンクされ中を見ることが出来ないようになっていたので、基本ジャケ買いしかできないシステムだ。当たり前だが広東語で書かれたものばかりなので、どんなストーリーの本なのかピンとこないものが多い。と言っても日本のコミックの翻訳版らしきものも多く見かけたので、それらの中から鉄道員(ぽっぽや)の広東語版を買ってみた。帰国後に開いてみたが、もちろんなんて書いてあるかはさっぱり分からなかった。。。
・・・とその時、頭に違和感。いつもの片頭痛になりそうな予感。。。頭痛薬を持ち歩いていないので、ひどくなる前にホテルに戻って横にならないと身動きが取れなくなってしまう。そんな訳で1時間ほどの滞在で香港の電脳街散策は強制終了となってしまった。まだあちこち見て回りたかったが。。。
ホテルで横になっていたら、暫くして両親も戻ってきた。
一頻り眠ったので頭痛も収まって安心。
その日の晩、ガイドの案内でジャンボに連れて行ってもらった。香港のイメージといえばこれ、というほど世界的に有名な水上レストランである。
海鮮料理が出されてそれを貪り食う訳だが、エビなどの食べかすをテーブルの上にそのまま散らかしておくのがマナーと聞いて、大いにカルチャーショックを受けた。子供の頃にそんな食べ方をしたら親にがっつり叱られたものだが、その親が目のまえでエビを食べ散らかしている。そういうものなのか、と思った。
明日は免税店などに立ち寄ったあと帰国、という定番ルートとなるわけだが、既に何度も香港の地を踏んでいる両親、とりわけ後妻は免税店なんか何度も行っているからもう買うものないし行きたくない、と言い出した。
で、同行していた現地ガイドを呼んでそれを伝える。ガイドは決まったコースなので変えることはできません、という。そりゃそうだ、免税店へと客を誘導することで何某かのキックバックも受けている筈だろうから単独行動を認めるわけがないし、そもそも団体行動を乱して行方不明になった、なんてことになったら大ごとになる。
そんな事情を知ってか知らずか後妻は一歩も引く様子がない。次第にヒートアップして口論のようになると、現地ガイドもだんだんと温度感が上がってくる。
何度かいいでしょ、駄目です、の応酬をしたのち、先にキレたのはガイドの方だった。 分かりましたもう結構です!と吐き捨てて立ち去ってしまった。
それから3人と周りの店員との間に微妙な空気が流れた。だから後妻とは一緒に来たくなかったのだ。この人と同類だと思われたくない。こういうところが烈女の烈女たる所だ。
さて、放り出される格好となった我々一家。とりあえずまだ時間があるからと、もう一度女人街に繰り出した。
親たちは衣料品を見て歩いていたが、自分は怪しげな電脳小物がないかをチェックしていた。
そこで見つけたのがこれである。
コントローラーの中にファミコンのソフトが60本くらい入っている奴だ。もちろん適法であるわけがない。店の人に日本でも使えるか?と片言の英語で聞いてみたら、ダイジョーブ、と回答が返って来た。ちょっと面白そうだなと思い買ってみることにした。
それからホテルに戻ってテレビに繋げてみたらちゃんと使えた。ところが自宅に戻ってから繋いだら全く映らない。移動中に壊れてしまったのかと思ったが、調べてみたら香港と日本で使われているテレビの信号方式が異なっている(日本はNTSC、香港はPAL)せいだということが分かった。
ネットでコンバーターが売られていないか調べてみたが、そういうものは売られていなかった。唯一アイワが両方の入力方式に対応しているビデオデッキを販売しているようだが、ゲームを動かすためにビデオデッキを買うのは本末転倒な気がするし、それで映ると保証されている訳でもない。結局、日本では一度も使うことが出来なかった。
それより、明日はガイド無しでどうするつもりなのだろう。
2000/01/09
ということで迎えた帰国の日。後妻は街中をぶらつきたい、というようなことを言っていた気がするが、具体的にどこに行きたい、という訳ではなかったようで、チェックアウトの時間近くまでホテルの室内でのんびり過ごしてチェックアウト。それから街中をあてどなくブラブラしたような記憶がある。
もちろん迎えは来なかった。セルフでチェックアウトして、自分らで空港まで行って飛行機の乗ったのだったかな。その辺の記憶はもうおぼろげだ。覚えていないのだから、特に特筆するイベントもなく帰国したのだと思う。なんかどっと疲れる旅行だった。
(おわり)