紀伊半島と浜松のドライブ【7】(2023/07/26)
道の駅潮見坂と白須賀海岸:
2023/07/26
カミさんとチビはいつもどおり6時過ぎには起床して散歩に出かけて行った。自分はもうひと眠り。だが周囲の騒音と暑さで寝ていられなかった。
徐に起床して車を片付けていたら2人が戻ってきた。道の駅周辺の農地にいたヤギと戯れたり、その先の海岸に出たりしていたそうだ。
今日は13時にスズキ歴史館の入館予約をしている。それまではフリーなのでここで少しゆっくりしよう。
カミさんは道の駅の店内を見たいというので、今度は自分が遊び足りないチビを連れて2度目の散歩に出かけた。
チビの案内で再びヤギ舎へ。先程の散策ではヤギが柵の近くまで来て構ってくれていたらしいが、今回は暑さを避けて小屋から一向に出てこない。全く相手をしてくれないので、そのまま海岸に向かった。
国道をボックスカルバートでくぐるとその先は一面の砂浜だ。この海岸は白須賀海岸というらしい。西は伊良湖岬から渥美半島沿いに延々と続き、東は浜名湖を挟んで御前崎の方まで延々と続く長大な砂浜の一角である。
浜辺に出るとすかさずチビが砂遊びを始めた。暫くそれに付き合っていたらやがてカミさんも合流。店にカミさんが興味を惹かれるようなものがなかったようだ。
波打ち際で遊ばせたり、
砂遊びをさせたり。カミさんがどこから拾って来たボールと木の棒で野球のまねごとをしたり。。。
海風が適当に吹いてくれるのでさほどうだる感じでもなかったが、それでも1時間も遊んでいたら頭皮がチリチリしてきた。
このままでは熱射病になりかねないので、程よき所で帰還命令を出して戻ってきた。
戻り道、ボックスカルバートのコンクリートが冷たくて気持ちいいことにチビが気づいて、靴を脱いで手足をクールダウンさせていた。やっぱりなんだかんだ言って熱かったんだ。。。
海岸に洗い場がなかったので手足はすっかり砂だらけである。これをどうやって洗い流そうかと思ったのだが、道の駅に戻ってきたらその一角に作業用の洗い場があったので、そこを拝借して手足を流させてもらった。
チビの服の裾をめくったら、太ももが見事なポッキーになっていた。
炭焼きさわやか:
車の中で小休止してから10:30に出発。まだ博物館の入館時間には早いが、先に少し早めの昼食をとってしまうことにした。
やってきたのは炭焼きさわやかである。古くから静岡県内でチェーン展開しているハンバーグの店だが、ここ数年、関東圏でも有名になりつつあるのでご存じの方もいると思う。とは言っても県外への進出はしていないので、食べたかったら静岡まで足を運ばなければならないが。
以前から県内では人気店だったが、このところの知名度向上で更に混雑に拍車がかかっているらしい。まぁ、とは言っても流石に11時なら大丈夫だろう。。。と思って入店したら既に3組くらいが順番待ちしていた。すごい人気だ。
入口で10分ほど待っていたら呼び出しがかかり席に案内された。
チビはおこさまスパゲティ、カミさんはげんこつハンバーグ、自分はおにぎりハンバーグ、という布陣で注文した。
チビはどこへ行ってもお子様なんとかを注文したがる。デザートが付いていて味が分かりやすいメインの料理に惹かれるのだろう。ただ親としては特徴ある店に来ているのになんだかな、という気もする。
どうせハンバーグの匂いを嗅いだら食べたくなるに決まっているのだが、まぁ1人前は多すぎる気もするので親の分を分ける前提だ。
さわやかのハンバーグは焼けた鉄板の上にレア状態のハンバーグを載せた状態で配膳される。その際に店員が自分の目の前である程度の焼き目を入れてくれるのが特徴。食べられる状態になったら引き渡されて、あとは各自お好みで焼き加減を調整するというスタイルだ。
さわやかはもう3回目か4回目くらいの来店だが、毎度これを見ると肉食うぞー、と言う気分になる。
ハンバーグはうまいのだが、いかんせん店内が寒い。アツアツのハンバーグを食べる前提で温度を低めに設定してくれているのかもしれないが、ハンバーグも食べ終わる頃になると周囲の熱源が無くなってしまうのでいよいよ寒くなって来る。この所の気温差でちょっと鼻炎気味だったのがどんどん悪化してくる。なんか浜松に来るといつも鼻炎になっているような気がするw
寒くて仕方ないのもあるが、多分ぼちぼち順番待ちの列が伸び始めている頃だろうと思い、食べ終えたら早々に店を出た。お会計の時に待合スペースを見たら10組以上の待ちが出ていた。やはり。。。それだけ静岡県民のソウルフードとして定着しているということだろう。
スズキ歴史館の時間にまだ少し早かった。ここからだとあと5分もかからずに着いてしまうのでもう少し時間つぶしをしなければならない。敷地内にバローというスーパーがあり、カミさんたちは店内を散策するというので自分は例によって車で小休止。
窓を開けてシートを倒して転がっていたら、隣にとまった車の中の人が携帯で会話している声が聞こえてきた。聞くとはなしに聞いていると、順番待ちの紙に記入していたら店員から50分待ちだと言われたらしい。やはり昼時に来るところじゃないな。
スズキ歴史館:
暫くして2人が戻ってきたので、スズキ歴史館へ向かった。
スズキ歴史館はスズキ本社の道向かいにある。
ここはスズキ車オーナーの1人として1度は巡礼しておきたいと思っていた施設である。とはいえ車にさして興味のない2人にとって食指が動かない施設であろうことは予想出来たので、なかなか行こうと言い出せなかった。
ではなぜ今回訪問にこぎつけたかというと、チビが出発の数日前に布がどのように作られているのかを知りたい、と言ったことに端を発する。
これは来た、と思った。スズキという企業は元々は自動織機を売っていたメーカーなのだ。この歴史館にもスズキが販売していた織機が展示されているので、チビの疑問を解消するためのまたとない場所となる可能性がある。行けるのは今しかない、という訳だ。
受付で入館を済ませたら後は自由行動とのこと。最初に館内見学の注意点について3分ほどのビデオを見せられた。ピクトグラムがそれを説明してくれるのだが、そのアクションがなんか妙に軽くてちょっと笑ってしまった。
鈴木の自動織機:
まずは3階まで上がって黎明期の自動織機を見る。
明治維新後に日本発展の原動力となった工業製品である絹織物、当初は江戸時代から続く足踏み式の織機が使われていたが、手間がかかるうえ足さばきを間違えるとやり直しとなるなど、熟練の技術が必要だった。
スズキの初代社長がこの当時に発明したのが「杼箱上下器搭載織機」と言うものだった。
杼(ひ)と言うのは横糸のことで左右に動かすことで生地を織り上げていくのだが、これを2つ使ってそれぞれに異なる色の糸を使うと縞模様の織物を作ることが出来る。だが仕上がりは美しいものの手順が煩雑でミスが頻発しがちという問題があった。
杼箱上下器搭載織機はその杼を機械的に自動で交換することが出来るようにしたもので、当時の織物業界の世界では実に画期的な発明だったそうだ。
杼箱上下器搭載織機はよく売れたそうだ。以降も織機に関する様々な発明や創意工夫を立て続けに行い、そのどれもがヒットしたという。こうして鈴木の織機は世界的に有名になっていった。
鈴木の織機製造に関する解説は以上。すまん、自分は車にしか興味がないのだ。。。一応チビの興味の赴くままに一緒に見て回ったのでチビはそれなりに満足していたようだ。とはいってもこの展示は恐らくチビが頭の中で想定している疑問に答えるものにはなっていなかった気がする。もう少し疑問点が整理できたら改めて一緒に考えてみようと思う。
黎明期のスズキの軽四輪:
戦後になるとスズキは自動車の開発を手掛けるようになる。手始めに自転車に装着するタイプの原動機を開発し、パワーフリー号として発売したところこれがヒットする。こうして一躍原動機付自転車のメーカーとしての知名度も獲得する。
原動機が開発できると、いよいよ4輪車の開発にも拍車がかかった。
そして1955年に初の軽4輪自動車であるスズライトが発売された。腰高でタイヤが妙に大きいデザインは当時のデザインセンスにおいてもやや野暮ったいデザインではあるが、これがスズキの自動車開発の礎となった。
ここからスズキの4輪軽自動車の歴史が始まった。スズライトの発売後も次々と車種開発が行われ、ラインアップが充実していく。
こちらはスズライトの2代目。一挙にモダンなデザインへと変貌した。タイヤも小さくなって室内空間の向上が図られている。
近くまで寄れるので、窓越しに室内を眺めてみた。当時の軽自動車は今見たら笑っちゃうほど小さい。だが、その小さい中に4人が乗れることを前提とした設計を求められた。しかも当時は自家用車としての利用は殆どなく、ほとんどが商用と兼用となっていたので、それなりに荷室を確保しなければならない。
その妥協の結果として生まれたのがこのやたら小さい座席である。幼稚園の園バスの子供用座席のような小ささである。恐らく座面は40cm程度しかない。当時の大人なら辛うじて腰掛けられたかもしれないが、恐らく自分はここには座れない。