南紀初日の出【6】(2005/01/03~01/04)
名古屋の恐怖体験:
2005/01/03
名古屋市内のどこかしらの駐車場で夜を明かすつもりだったのだが、市内には無料の駐車場でかつ落ち着いて眠れそうなところがなかなか見つからなかった。あてどなく探しているうち湾岸地区に出た。と、だだっ広い公園が見えてきてその駐車場が開放されていた。停められている車も少なくここならゆっくり眠れそうだ、と言うことで寝床を展開してすぐ布団に入った。
ところがそれから10分もしないうちに誰かが車の窓を叩いた。
ひと気のない公園なのに誰が窓を叩いているのか。カーテンを閉めているのでその向こうの様子は分からない。
誰だろう、浮浪者?地元のヤンキー?それとも幽霊??もちろん一番バッドエンドの可能性が高いのはヤンキーである。ヤンキーに絡まれたら死亡フラグが立つかもしれない。
「殺戮者は2度笑う」というドキュメンタリー本がある。その本にかつて名古屋で起こった名古屋アベック殺人事件という痛ましい事件の顛末が生々しく書かれているのだが、それを今回の旅に出るほんの少し前に読んでいた。読みながら名古屋ってなんか物騒だなと空恐ろしくなる感覚を覚えたのだが、なぜかその公園に着いた時にはそのことをすっかり忘れていた。
だが窓を叩く音を聞いたその時、その事件のことを思い出し一気に震え上がった。いくら何でもここで宿泊するという判断は迂闊に過ぎたのではないか。
とりあえず現実を直視したくなかったので、相手がやり過ごしてくれることを期待して暫く様子を見ていた。だが再び窓を叩かれた。カミさんは自分の脇でおびえた表情をしている。いや自分だってひきつった顔をしていたと思う。
その後も窓をノックする音が繰り返し聞こえてきた。待てよ、自分らに悪さをしようと企てているヤンキーどもが窓なんかノックしてのんきに待っているだろうか。もちろん容易に顔を出してくるのを期待しての行動かもしれない。予断を許さない状況ではあるがこのままずっと叩かれ続けたり、何らかの実力行使に出られたらそのほうが恐ろしいと思いカーテンを開けることを決意。
万一の時にはカミさんだけでもどうにか逃がしたい。その方法があるか考えつつ、そして最悪の事態も想像しつつ、恐る恐るカーテンを小さく開けた。
「すみませーん、ちょっといいですか?」
そこに立っていたのは警察官だった。その姿を見た瞬間とりあえず我々に危害を加えるような連中でない事が分かって安堵したが、次の瞬間自分らが何か咎められるようなことをしているのだろうかと別の不安に襲われた。
窓を開けると、
「○○警察ですけど旅行者の方ですか?ここで寝泊りしてるの?ここら辺はあまり治安が良くないので、犯罪に巻き込まれたりするかもしれないからここでは寝泊りしないようにしてください。」
いやぁその発言を聞いて安堵したね。全身脱力しておしっこちびっちゃうかと思った。。。
そのお巡りさんが無防備なまま犯罪に巻き込まれようとしている我々を救う神様に見えた。
もう、すぐさまお礼を言って着の身着のまま車を移動させた。
上記の事件から既に15年以上経っている。犯人たちも逮捕されてそうそう同じ犯罪に手を染める人が出て来るとも考え難いのだが、それでもこうして警戒を続けているということはまだあの事件が風化していない、と言うことなのか、はたまたいつ次の犯罪が起こってもおかしくないほど治安が悪いのか。。。
今でもあの窓を叩かれてから窓を開けるまでの経過を思い返すと、背筋がゾワゾワっとした感覚に襲われる。
で、車を移動させたのはいいが時計を見ればもう夜中の2時を回ろうかという時間だった。今から新たな寝床を探そうという気にもなれず、ほぼ安全な車中泊スポットである高速のPAで仮眠することにした。
PAはどこだったか忘れたがその場所からたっぷり1時間以上かかる場所だった。
名古屋城(記憶なし):
昨晩のハプニングは自分の精神状態に少なからずインパクトを与えるものだった。PAに着いてからもなかなか寝付けず結局ようやく眠れたのはほぼ明け方だった。それから一頻り眠り込んで目が覚めた時には10時を回っていた。
テンションもイマイチ上がらない。何か早いとここの街から離れたいという思いもなくはなかったが、折角名古屋まで来ているのだからと言うことで名古屋城だけは見て行くことにした。
名古屋城には10年くらい前に父と来たことがあったが、その時もあまり身を入れて見学していなかったせいか当時の記憶は既に薄らいでいて、今回改めて見た名古屋城の様子が目新しいと感じたことは覚えている。が、それ以外はあまり記憶がない。
天守閣の一番上まで登ったのだろうか。。。やっぱりイマイチ気分が乗らない。もう早く名古屋を離れたくて城の見学を終えたらそのまま帰路に就くことにした。
諏訪・菅野温泉:
帰り道の渋滞情報を見ると、ぼちぼちUターンラッシュが始まっているのか所々渋滞の表示になっていた。
そこで中央道経由で帰ろうかと思ったのだが、中央道は昨日まで雪によるチェーン規制が出ていたらしい。今の所規制は解除されているのでそのまま走れると思うが、万一また降り出したら進退窮まるかもしれない。
少し悩んだが渋滞で悶々とさせられるよりはいいや、と言うことで中央道経由に進路を定めた。
幸い残雪や凍結などもなく順調に諏訪まで戻ってきた。と、この辺で日が暮れてしまった。この先路面凍結などが怖かったので諏訪で1泊して明日東京に戻ることにした。
昨晩、風呂にも入らずに寝てしまったので諏訪の温泉で色々洗い流したいと思い駅で情報収集。教えてもらったのが街中にある菅野(すげの)温泉という共同浴場。諏訪の街中には何カ所かこうした共同浴場があるらしい。
貰った地図を頼りに菅野温泉を目指すがなかなか見つからなかった。テレビのレポーターのように、えーと、確かこの辺にある筈なんだけど。。。なんて言いながら付近を2度3度うろついていたら、ようやく菅野温泉と書かれた小さな看板を見つけた。
その看板が示す先は建物の内廊下のようなうす暗い通路。こんな所入ってよいのだろうかと思いながら入り込んでみたら、建物の奥の方に入口があった。何となく銭湯のような雰囲気の建物を想像していたのでその先入観に騙されてしまったようだ。
見てのとおり観光客向けの温泉ではない。完全に地元の人向けの浴場なので設備などはあまり充実してない。昔ながらの銭湯のような風情の温泉でシャワーもないので、地元の老人たちはその辺に直に座り込んでケロリンの桶に湯舟のお湯を汲んでざばざばと体を流していた。
これは絶対にいい湯に違いない!
温度も予想どおりかなり熱めのお湯だった。動かないで!と思わず声に出したくなるようなお湯に浸かること2分。もう限界w
だが体は充分温まった。そして自律神経も回復したのか、昨晩以来のどんよりとした気分はすっかり落ち着いた。風呂を出てから寝るまでずっと体はポカポカで素晴らしい名湯だった。
寝床は諏訪湖SAである。まぁここしかないよね。芯から温まったせいで健やかな眠りを得ることが出来た。
帰宅:
2005/01/04
そして翌日。諏訪の街は雪景色だったが降雪はなく、順調に東京まで帰宅し初の関西方面遠征旅行は無事に、本当に無事に終えることが出来た。無事帰ってくることが出来て本当に良かった。
(おわり)