金沢へ【4】(2006/02/25~02/26)

大人の味:


これで今回のお出かけはおしまい。金沢の家に戻って夕食となった。
ほどなく仕事から帰って来た弟は自分のバイト先の店の寿司を買ってきてくれた。きのどくな。
そしてお父さんが大人買いした件の越前ガニも食卓に並んだ。こんな豪勢な食卓そうそうお目にかかれない。

寿司は持ち帰り寿司とは思えない新鮮さで身がプリプリとしている。大きな切り身で握られていて食べ応えも充分。
新鮮な魚のことを富山の辺りでは「きときと」と表現すると聞いたことがある。つい使ってみたくなったが金沢ではあまり言わないそうだ。

そしてカニはもう言うまでもない。越前ガニである。カニの身をほじくりながら美味い美味いと何度も連呼しながら食べた。

 

さっきからお酒をちびりちびりとやっていたお父さんがそんなウチらを見て、

「身を皿に出してな、ミソと混ぜて、ほんで食べてみ」

というアドバイスをくれた。言われたとおりにやってみたらこれがまた美味いのなんのって。

カニミソはこれまで食わず嫌いで、出されてもまず手を付けることはなかったのだが、折角のおススメだからと勇気を出して食べてみたらこの旨さである。この時自分はカニミソの美味さを知った。またひとつ大人の味を知ってしまったようだw

 

弟は別のテーブルに1人腰掛け、寿司に手を付けることもなくビールを飲み始めた。相変わらずよそよそしい態度で折角紹介しに来たのに、と思わなくもなかったが、まぁ昔からこういう男だ。

だが酔いも回って来るにつれ、だんだんカミさんとも打ち解けてきたようで、いつの間にか饒舌に話している姿があった。どうやらカミさんのことも受け入れて貰えたようで一安心。

 

カミさんが場に馴染んでくるのを感じたところでちょっと一服。流石に家の中で吸う訳にはいかなかったので玄関先でタバコをくゆらせていたのだが、そこへお父さんがひょこっと外に出てきて、車のポケットから何やら取り出す。よく見るとタバコだ。そこから1本取り出しおもむろに火を点けた。

お父さんは今まで喫煙しているところを見たことがなかったので非喫煙者だと思っていた。それだけに唐突にタバコをふかし始める姿に驚いた。小声で、あれ?タバコ吸うんですか?と聞くと、黙ったまま人差し指を口元に立ててニッと笑みを浮かべた。そのまま1口か2口吸い込んてすぐに火を消し、ま、こんなもんですわと満足げな顔で言った。

それからタバコを車に戻して、少し散歩いくぞと言って歩きだした。

 

お父さんはいつの間にか酔いどれていた。歩きながらとつとつと話しかけてくるが、ろれつが回ってないのか方言が強くて聞き取れていないのか、何を言っているのかよく分からなかった。分からないからと言って聞き返す雰囲気でもなかったので、適当に相槌を打って適当に話を振り返したりしたが、会話は全くかみ合っていなかったような気がする。

酔い醒ましとタバコのにおい消しを兼ねた散歩は10分ほどだった。家の近くをぶらぶらと歩いて何事も無かったかのように帰宅。

 

食事を済ませてまったりとテレビを見ているとき、お袋から岩手にも挨拶に行きなさいといわれた。岩手か、だいぶ長いこと行ってないな。特にお袋が金沢に来てからは全く顔を出していない。冒頭のリンク先には書いたが、自分がお袋と呼んでいるこの人は実は生みの親ではない。
お袋は一時であっても共に暮らした人なので自分に対するひとかたの情があるものと信じたいが、岩手にいるじいちゃん、ばあちゃん、親戚や従弟たちからしたら自分はよそのウチの子供、みたいに見えるはずだ。

そこへ挨拶に行っても半笑いで応対されて終わりになるのではないか。そんな風に考えるとどうしても岩手の地を再び踏むことに躊躇いが出てしまう。なので包み隠さずその思いを伝えた。だが、

「みんなそういう風には思っていないから。岩手のみんなはずーっと昔から自分に会いたいって言っているの。だから不安がらずに行ってきなさい。」

と、そう言って背中を押してくれた。それならちゃんと挨拶はしておかないと将来に禍根を残すかもしれない。後日岩手へ行くことを約束した。

 

その晩のお風呂は昆布風呂だった。昆布を風呂に入れるなんて聞いたことがない。その昆布はお父さんが前に山形だか秋田だかに出かけた際に海岸で拾ってきたものだそうだ。

既にお袋一家は昆布風呂は経験済みで、いいお湯だよと熱を持って勧められた。はたして、大きな棚板くらいの大きさの昆布が浮かぶその風呂に浸かってみたら、確かにとろみのあるまろやかなお湯だった。恐らくいいダシが出ていたことだろう。
風呂から上がってもずっと体がぽかぽかでおススメのとおり最高な風呂だった。

ぜひ家でも試したいと思うのだが、昆布は買うと高いのでとても風呂に浮かべられない。海岸で見つけたらぜひ拾い集めて風呂に浮かべてみたいところなのだが未だにその望みは叶えられていない。

 

帰京:


2006/02/26

昆布風呂でいつまでも体がぽかぽかだったので朝まで熟睡だった。
今日はもう東京へ戻らなければならない。居心地が良いのでもっとゆっくりしたいところだがスケジュールの都合もあるので仕方なし。

お父さんと弟は朝から用事があって出かけて行った。とりあえずお袋と3人のんびり朝食を済ませてお袋の運転でお袋や弟の職場を紹介して貰ったり、市内で買い物をしたりして過ごした。

k_20060226_01

帰りの便は18時過ぎのはくたか号。と言ってもまだ当時は北陸新幹線の開業前だったので、北越急行を経由して越後湯沢へ向かう在来線特急のはくたか号である。

夕方に地元の最寄り駅まで送って貰い、今度はゆっくり来るよと言って解散となった。

 

カミさんにとって今回のイベントは旦那の親族への初顔合わせと言う気疲れするイベントだったのではないかと思う。カミさんには自分の生い立ちはちゃんと説明しているが、彼女は至って普通の家庭で育った娘なので恐らく実感のようなものは沸いていないと思う。そうした中で距離感が微妙な家への挨拶をしに行かなければならないのだから、どのような態度で接するのが良いのか色々悩んだことだろう。

それを労おうと帰りの列車の中で2日間ご苦労様と伝えたが、特に気疲れすることもなく過ごせたと言ってくれた。まずは一安心。

それよりも金沢弁の語尾が上がる独特なイントネーションが耳に残って離れないと目を輝かせながら話し出した。確かに金沢弁のイントネーションの付け方は独特で一度聞いたら暫く耳に残ってしまうほどだ。でも東尋坊でもカニでもなくそこなのか、と笑ってしまった。

 

あとがき:


その年の秋ごろにお袋から連絡があり、お父さんが肺がんを患ったことを知った。ステージ4で楽観視できない状況らしい。
状況は逐一聞いていたが一進一退でそのまま年越しを迎えた。お袋はお父さんの看病に明け暮れていたが、2月に入って今度はお袋が入院となったことを弟から知らされた。連日の看病が祟ったのか顔にできものが出来てしまい、薬剤で治療していたのだが治癒しないので緊急手術を受けることになったらしい。

 

その連絡を受け、いてもたってもいられなくなって再び金沢へ向かった。
お袋の手術は無事成功して暫く病室で休養したことが功を奏したのか、自分が病室を訪ねた時には思ったよりも顔色が良かったのでまずは一安心。

その足で今度はお父さんの入院する病院へ向かい、弟のあとに続いて病室に入った。そこにはげっそりとやせ細って別人のようになってしまったお父さんがベッドに臥せっていた。

医療用の強い鎮痛剤を打たれているらしく、意識はあるものの受け答えは曖昧な感じだった。その様子に状況が芳しくはないことはすぐに理解できた。衝動的にここまで来てしまったが自分はこれまで身近で重い病気の闘病に喘いでいる人の見舞いに行ったことがなく、こういう場面でどのような声をかければよいのか戸惑ってしまった。

恐らく深刻な顔で接しない方が良いだろうと考えて努めて明るく振舞った。一頻り会話したあと、また来るからねと伝えて病室を後にした。

 

それから1週間後にお父さんが息を引き取ったという連絡があった。その日は今回の旅行からもうあと数日で丸1年という日だった。

覚悟はしていたけどやるせない思いが胸に去来した。
前回あんなに元気だったのに、まさかその時が元気な姿を見る最後の機会になるとは微塵も思わなかった。
カミさんと2人これからも時々訪ねて色々話を聞かせて貰おうと思っていたのだが、もうそれも叶わぬ望みとなってしまった。

また会えるからいいや、ではなく一期一会は大事にしなければならないのだと強く思った。

(おわり)

Posted by gen_charly