鹿児島へ【2】(2006/08/12)
真夜中の交通トラブル:
2006/08/12
「オイコラっ!窓開けんかーっ!!」
何時頃だろうか、突然そんな怒鳴り声が聞こえて目を覚ました。窓の外を見るとトラックドライバーっぽい兄ちゃんが物凄い剣幕でお義父さんに詰め寄っていた。何事!?
運転席でその剣幕が聞こえていないかのような顔で押し黙っているお義父さん。助手席に座っていたお義母さんは恐怖にひきつった顔をしている。お義母さんが兄ちゃんの求めに応じて窓を開けようとしたら、すかさず開けんでいい!と語気を荒げた。普段物静かな雰囲気のお義父さんの発したそれとは思えない強い口調に、先ほどにもまして張り詰めた空気が漂う。
そしてその返す刀で運転席の窓を少しだけ開いて、
「アンタが悪いんやろが!!」
と負けずに言い返す。いやいや、何があったのですか。
カミさんも目を覚まして自分の横でひきつった顔でお義父さんの様子を伺っている。暫くにらみ合いのような状態が続いた後、兄ちゃんは舌打ちしながら窓を強く小突いて車に戻って行った。俺の車じゃあ。
相手が車へ戻っていく間にお義父さんはこともなげに車を再び出発させた。
お義父さん以外は皆寝息を立てていたので何がドライバーの兄ちゃんを猛り狂わせたのかさっぱり分からない。これはことの経緯を聞かねばなるまい。車内が落ち着きを取り戻したところで何があったのかお義父さんに訪ねる。
それによると、この車の後ろで兄ちゃんのトラックが煽って来たらしく、お義父さんの闘争心に火がついてスピードを早めたり遅めたりしていたら相手がキレたと言うことらしい。そこまでは聞き出せたが、いつの間にかお義父さんからは完全に毒が抜けて普段の物静かなお義父さんに戻ってしまい、その後は多くを語ってくれなかった。故に詳細は不明。結果的に何事もなくてよかったが兄ちゃんが無双したらどうするつもりだったのか。お義父さんは物静かに見えて案外アグレッシブな性格を内に秘めているのだろうか。
それからもう暫く走って午前4時頃に水俣に入った。いつの間にか水俣まで来てしまった。九州のドライブに思いを馳せる間もなく着いてしまった。運転を交代しながらだと殊の外あっという間に来れるものなんだな。
両親の実家は大口という街にありそこまでもう一息なのだが、流石にこのままではちょっと到着が早すぎるということで最寄りのパーキングで時間調整してから向かうことに。
JR山野線西山野駅跡:
9時ごろ起床し、それから1時間ばかり走ってようやく最初の目的地となるお義父さんの実家に到着。延べ30時間のロングドライブであった。しかしこの車である。昨晩のトラックの兄ちゃんはきっとナメた若造がハンドルを握っていると思っていたに違いない。
それがまさか老人一歩手前のオヤジがハンドルを握って、ご家族がリアで就寝中の超ファミリーカー状態であるなどこれっぽっちも考えなかったのではないだろうか。恐らく窓から中を覗いた瞬間気まずくなったような気がする。
それはさておき、家にお邪魔してお義父さんの母上と先着していたご兄弟に挨拶。一頻りお祝いの言葉で迎えていただくことができた。
それからご先祖様に挨拶を済ませて居間で一頻り談笑。まぁ色々聞かれたがそつなく返答。
今回、親戚への顔見せはメインイベントのひとつではあったが、本来はお盆の集いである。なので親族の迎え入れやお盆の準備でみな右往左往していた。とりあえず座っててと言われたがやることがないので程なく退屈になった、というかじっとしていると居心地が悪い。。。
家に上がる前、家の前の道の向こうに線路の築堤のようなものが見えた。さっき伯母さんと会話していた時に、あそこに見えるものは何ですかと尋ねたら、あそこは山野線の線路跡ですぐ脇に駅があったと教えて貰った。山野線?
お盆の支度の邪魔をしないように、という意味も込めてカミさん誘って少し散歩してみることにした。
写真だと分かりづらいが左の民家の背後に土手のようなものがある。しかし山野線なんて聞いたことがない。貨物鉄道か何かだろうか。でも駅があるって言ったしなぁ。
近づくと築堤は道路で途切れており道路が面している部分はガード下のようなコンクリートの擁壁になっていた。伯母さんはこの辺りに駅があるようなことを言っていたが、駅への入口らしきものがない。どこに駅があるのだろうか。
とりあえず築堤に登ってみてみよう、ということで築堤の斜面を徒手空拳でよじ登ってみた。
するとよじ登った先にホームがあった。ホームは片側1面で線路は単線のようだ。ホームがあるのだからやっぱり旅客鉄道が走っていたということだよな。旅客鉄道なら全国の路線はほぼ網羅している自信があるが、その自分が知らないのだから相当昔に廃止になったものかもしれない。
ホームの周囲に駅舎らしきものもなく、駅名標なども失われていて駅名すらわからない。これは難易度が高い。。。
ホームから築堤の続きを見ると単線分の築堤が森の中へと続いているのが見えた。バラストなどは既に残っていないものの築堤そのものは割としっかりその形を残している。ということは廃止はそれほど昔でもない?
ホームから見えるものはそれだけであった。自分らがよじ登って来た築堤とホームを挟んだ反対側にスロープがあるのが見えたのでそこを降りてみることにした。降りるとほどなく民家が建ち並ぶ小集落があり、
その途中の民家の庭の片隅に朽ち果てた駅名標が立てかけられていた。西山野と書かれている。国鉄線の駅名標のデザインに準じているが木製の駅名標なのでかなり昔のものかもしれない。というか現役当時に使われていたものであれば相当貴重なものだと思うが、朽ち果て方が残念でならない。
鉄道駅に関する遺構はそれ以外には特になかったので、あとはそのまま家に戻った。ものの20分程度の散歩であった。
後日、調べてみてこの路線の詳細が分かった。ここはJR山野線の西山野駅跡だそうだ。意外にもJRになるまで生きながらえた路線だったようだ。とはいってもJRに民営化された翌年の昭和63年には廃止となっているのでもう20年近く前だ。
全国の旅客鉄道は網羅しているなどと大口を叩いたが、国鉄からJRへ移行する前後の時期に廃止された多くの路線についてはあまり詳しくない。自分が鉄道ファンになるより前に廃止された路線にあまり興味を持っていなかったせいだ。なので山野線については寡聞にして知らなかった。
山野線は熊本県の水俣と鹿児島県の栗野を結んでいた路線で途中の薩摩大口からは宮之城線が分岐していた。駅には機関区が設置されていて、大口は鉄道の街でもあったらしい。だが両路線とも昭和63年までに廃止となっている。
それはさておき、山野線と言う路線名を聞いてそこはかとない違和感を感じた。国鉄の路線名は八高線のように始発駅と終着駅から一文字ずつ取った名称を採用することが多い(八高線は八王子と高崎を結ぶ路線)。あるいは沿線の大きな町や旧国名などから付けるケースもある(相模線など)。
その法則に従うと栗水(りっすい)線とか大口線と言った名前になるのが妥当であるように思うのだ。この路線には山野という駅も存在していたが中心駅でも何でもなく単なる小駅に過ぎない。なぜそんな小駅を路線名として採用したのか。その理由は案外単純だった。この路線は開業後に国鉄に買収された路線で、それ以前は山野軽便線と称しておりそれに由来しているためであるそうだ。
しかし、自分の人生において鹿児島に縁が生まれるなど想像もしなかった。そのうえその親類が山野線という廃路線の沿線住民であるなんてなんか出来すぎている。岩手の田舎には家の前に大船渡線の線路が通っている。不思議な共通項である。