鹿児島へ【6】(2006/08/14)

桜島:


これと言って観光らしいことをした訳ではないが大口観光はここまで。両親が同行しているのであまり自分本位な行動が出来ないうえ、その両親が大口や県内の観光地をレコメンドしてくれないので、どこへ行くのが良いのかもイマイチよく分からない。そんなわけでどうしても足早な観光とならざるを得なかった。

さて、いよいよ桜島に向けて出発だ。大口の辺りは高速が通っていないので、車で小1時間ほど走って栗野の町まで出る必要がある。そこから高速を一頻り走ったあと錦江湾に沿った一般道を進んでようやく桜島に到着する。同じ県内と言っても結構な距離がある。

栗野までの道中は国道268号線を走るが、その沿道の斜面があちこちで崩れている。斜面から茶色く濁った水が流れ出て道路上に川筋を作っているところもあった。聞くところによると半月ほど前にこの辺りで集中豪雨があったのだそうだ。

隣町の菱刈町の辺りは降り始めからの雨量が1000mmを越えるような大雨で、各所で浸水被害も発生したらしい。大口市の辺りではさほど大きな被害がなかったということだが、相当な大雨だったようだ。もしタイミングが少しずれていたり大口市内でも大きな被害が出たりしていたら、今回のお披露目会も延期となっていたのかもしれない。

菱刈町と言えば金山である。菱刈金山は現在も稼働を続ける日本有数の金山だそうだ。夥しい埋蔵量があって掘っても掘っても枯渇しないほどの金鉱が眠っているらしい。

見学できるような施設があればと思ったが、特にないそうなのでここも素通り。

 

上述したルートで3時間くらいかけてようやく桜島に上陸。やっぱりなかなかの距離感だ。ご存じのとおり桜島は地続きなので島カウントは増えない。桜島へのアプローチとしては鹿児島市内まで行ってそこからフェリーで渡る方法もある。というか最寄りまで高速が使える分そちらの方が早く到着できるのだが、沿道の雰囲気も見てみたかったので加治木ICで降りて錦江湾沿いの道を反時計回りで鹿屋まで進んでそこから上陸した。大きな地図で見ると大した距離の違いはないように見えたが、いざ走ってみると圧倒的に遠回りだった。。。

上陸後ほどなく展望所と書かれた看板があったのでそこで降りてみた。

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この展望所は有村溶岩展望所というそうだ。眼前に聳える桜島の雄姿、これが桜島か。
言わずと知れた日本有数の活火山であり今でも年中噴火している。自分はまだ火山が噴火しているところを見たことがないので見られたらラッキーという期待と、大きな噴火が起こって自分たちも巻き込まれるのではないかと言う不安を感じながら桜島を見上げた。

そんな危険極まりない山があるにもかかわらず、わずかな海峡を隔てた反対側には鹿児島県の県庁所在地である鹿児島市があり、県随一の大都市となっている。

活発な活火山があるのみならず毎年のように集中豪雨にも見舞われている。菱刈の辺りで目にした土砂崩れを挙げるまでもなく、この辺りは脆い地質の代表格であるシラスに覆われているので、大雨が降る度にそこかしこで土砂崩れを起こして犠牲者を出している。鹿児島県人はそういうスリルに身を置くのが好きなのだろうか。

幸か不幸かこの日は一度も噴火しなかった。

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この展望所はその名のとおり溶岩に覆われた場所にある。この溶岩は大正時代の噴火で流れ下ったものだそうだ。
元々桜島はその名のとおり独立した島だったのだが、この時の凄まじい噴火によって島と島の東側に位置する大隅半島との間の海峡が埋め尽くされて地続きになってしまった。

その溶岩原には遊歩道がめぐらされていて気軽に散策できる。展望所から見た桜島の姿が2つ上の写真だが、そこから背後を振り返ったのがこの写真である。背後には鹿屋市付近の大隅半島の様子が見えている。

写真の中央右側付近に山肌が大きくえぐれているところがある。

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そこをズームしたのがこの写真だが、中央の崩壊面は幅数百mはあろうかという大崩壊だ。そしてその周りも至る所傷だらけである。これらも恐らく半月前の豪雨によるものだろう。

これほどの大災害に見舞われているにもかかわらずこの辺りではそれが日常だよ、と言わんばかりに誰も話題にしないし、ここに見学に訪れている人も全く気にする様子がない。何とも不思議な光景だった。

 

黒神神社:


桜島に話を戻す。大正時代の噴火が海を埋め立て島を地続きにしてしまったことは上で述べたが、その時の噴火の凄さを見せつけるものが近くにある。次にそこへ向かった。

来た道を戻ってやってきたのは黒神神社という神社。この神社は今回の鹿児島訪問のずっと前から存在を知っていて、一度見に行ってみたいと思っていた神社である。

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神社の参道の方へ歩いていくと見えてくるのがこれである。

噴火による火山灰が降り積もって上の部分を残してほぼ埋没してしまった鳥居である。背後に大きく成長した木があったり、建物が普通に建っていたりするので単に極端に背の低い鳥居があるだけのようにも見えるが、大正噴火が起こる前まで地面は確実にこの数m下にあったのだ。

噴火によって埋められた海峡は水深が70mあったそうだ。そこをあっという間に埋め尽くしたというのだからその噴火の凄まじさは推して知るべし。

こうした噴火が今後起こらないと言う保証はどこにもない。というかこれだけ活発に噴火を繰り返している山なのだから、そう言う日は再び来ると考えるべきだろう。にもかかわらず錦江湾の周囲には鹿児島市を筆頭に多くの人が住んでいる。災害慣れしているということなのだろうか、つくづく不思議な地域である。

Posted by gen_charly