沖縄離島探訪【18】(2006/11/23)
米子焼工房:
石垣島はひしゃくのような形をしている。北東方向にのびるその持ち手にあたる部分が平久保半島と呼ばれている。なんとなくそちらの方へ足を伸ばしてみることにした。島はざっくり北半分が山地で南半分が市街地のようなすみ分けになっている。北側には500mを越える山々が連なり、その山すそが海に落ち込んでいるため総じて険しい地形が多く集落もあまり多くない。なので道はひたすら長閑である。
その途中米子焼工房という看板を見かけた。カミさんが見に行きたいと言うので立ち寄ってみることにしたら、なんか異様な雰囲気。
焼き物と聞いてお皿とか花瓶と言ったものを想像していたのだが、敷地内にあるのは殆どがバケモノみたいな異形の人形。しかもそのひとつひとつが巨大。異形で苦悶の表情を浮かべているのにあまり悲壮感がなく、漫画のキャラクターのようなコミカルな印象が漂う。これがシーサーをモチーフにした抽象的な像であることは割とすぐに気が付いたが、抽象的とは言っても一般的なシーサー像からは随分とかけ離れている。表情といい色使いといいシーサーのそれからすると相当に自由だ。
だが、こんな雰囲気のシーサーをどこかで見たことがある気がする。どこで見たんだっけなと思いつつ店内に入った瞬間、その疑問は一気に氷解した。そこに並べられていたのは手のひらサイズのシーサーたち。数か月前に沖縄本島へ社員旅行で行ったときに土産物屋で見たんだった。そうかここで作っていたのか。
そんなかわいらしいシーサーが店内にびっしりと並べられている。工場か何かで作っているのかと思ったら、よく見るとそのひとつひとつが微妙にデザインが違う。と言うことはこれ全部手作りか?どれもが少しずつ異なる表情をしているので、時間を忘れて見入ってしまう。
レジにいた女性に声をかけて少し会話してみた。
「那覇の土産物屋でこれと似たものが売られているのを見かけましたが、ここで作っているのですか?」
「そうですよ。」
「何人くらいで作っているのですか?」
「ひとりです。」
「ひとり!?全部手作りですよね?」
「あっちの小屋の方が工房になっているのですが、そこでひとりでデザインしているんですよ。」
「へぇ、どんな方なんですか?」
「おじいさんですよ。60過ぎのw」
これほどの大量の作品をひとりで手作りしているのか。自由なデザインや彩色からして直感的に30代くらいの若者がやっているのだろうと思ったのだが、まさか60代の方の手によるものだとは。恐るべき柔軟さと爆発力だ。。。
自宅に飾りたいと思って1つ買うことにしたのだがそれを選ぶのがまた大変。カミさんと熟慮に熟慮を重ねてようやく1つ手に入れた。
色々教えてくれたことにお礼を述べて店を出た。
▲店の前にたむろしていたネコたち。子猫かな。
平久保崎:
更に車を走らせ平久保半島へと進む。この半島は島の北西方向にヒョロヒョロと頼りなさげに平久保崎まで20キロほど続いている。特に野底地区と伊原間地区の間は狭隘部となっており、一番狭い所で150m余りしかない。半島には国道390号と県道79号が通っているが、国道の方はその狭隘部の寸前で力尽きて県道206号にバトンタッチをしている。
車窓はもっぱら耕地か牧草地と半島の中央部に続いている山が殆どで時折小集落を通過する。
すれ違う車も少なく、ずーっと運転していると眠くなってくるのでところどころで車を降りて小休止。
写真は上述の狭隘部にほど近い場所から撮影した物。向こうの陸地が伊原間地区で、綺麗な山裾を見せている山ははんな岳という。
直線距離だと20キロばかりだが、道は海岸に沿って進むので道程はそれよりも長い。平久保崎まで50分ほどかかった。
駐車場に車を停めて平久保崎灯台へ続く遊歩道を歩いていたら、背後から単気筒エンジンのような音が聞こえてきた。音のする方を振り返えると、エンジンつきのパラグライダーのような物に乗って浮かんでいる人が見えた。
あれ面白そうだなぁ、と思いつつ眺めていたら向こうが手を振ってくれたのでこちらも振り返す。そしてそのまま優雅に海の方へと進んでいった。
平久保崎は石垣島の北東端に位置する。そのため灯台の向こうは見渡す限りの海。なかなかの絶景だ。
時間は夕方に差し掛かりつつあった。太陽ももうだいぶ低いところまで降りてきてしまっている。その太陽が海原をまっすぐ照らしていた。
ぼちぼち引き返さなければならない時間だ。
というわけで再び車に乗り込み今度は空港に向けて南下を開始。経路の途中にアオサンゴの群落があることで有名な白保(しらほ)という場所がある。有名な場所だがサンゴはダイビングでもしなければ見られないと思うので素通りした。
1時間ちょっとかけて空港まで戻って来た。レンタカーを返車してチェックインを済ませたら丁度搭乗開始のアナウンス。
19:30発の那覇行きの便に搭乗。
あれ、美ら島きっぷは同じ区間の往復が一回までじゃなかったっけ?と思われたあなた、スルドイ。
行きの行程で那覇と石垣の間に宮古を挟んだことを覚えていられるだろうか。那覇と石垣の往復ではあるのだが途中で宮古を挟むことで利用条件をクリアできるのだ。前述のとおり宮古は既に上陸済みだったこともあって、できればその時間を使って他の島へ足を伸ばしたかったのだが、このルールのために宮古に立ち寄らざるを得ずあのような微妙な観光をしたという次第。
というかこの宮古立ち寄りのテクニックを使わないとどういう経路を検討しても与那国に行くことが出来ないのだ。こういった部分からも実際には利用可能なコースが限定されていることが分かると思う。那覇と与那国の直行便があれば済むんだけどね。
ホテル法華クラブ那覇・新都心:
飛行機は無事那覇に到着。本日の宿は那覇市内のホテル法華クラブ那覇・新都心である。
このホテルは東京ー那覇間の往復で申し込んだツアーに付属していたものである。那覇市内での宿泊だからまぁビジネスホテルやむなしである。ただこのホテルには大浴場が併設されている。大きい湯舟は西表島でぬるい温泉に入ったきりなのでここでじっくりお湯に浸りたい。
チェックインを済ませたら案内された部屋は12階であった。その上の13階に大浴場があるらしいので至便だ。荷物を置いてすぐさま大浴場へ。
出る時にカギをどうしようという話になった。今回1枚しかカギを受け取っていないので、タイミングが合わないと部屋の外で待ちぼうけになる可能性がある。と言ってもまぁ十中八九自分の方が先に上がるはずなのでとりあえず自分がカギを持って出ることになった。
大浴場の湯舟は広く大きな窓の向こうには那覇の夜景が広がっていた。湯温も40度くらいあって丁度良い湯加減である。流石本土系列のホテルである、大浴場の何たるかを知っている。普段よりも長めに浸かってあちこち散策した疲れを洗い流してきた。
部屋に戻るとやはりカミさんはまだ戻ってきていなかった。とりあえず部屋に入ってカミさんが戻って来るまで少し仕事を片付けておくことに。別段旅行中にどうしてもやらなければならないものでもなかったのだが、やっとけば休み明けがちょっとだけ楽になるのでまぁ暇つぶし程度に。
ところが妙に集中してしまい気が付けば1時間近く経過していた。部屋を出てから既に1時間半近く経っている。いくらカミさんが長湯と言ってもちょっと長すぎではないか。もしや風呂場で倒れているとか??いやいや、そんなことが有ったら流石にフロントからコールが入るだろう。でもどうしたのだろう。
こちらからフロントに問い合わせてみようかと思ったが、なんか話が大きくするのもそれはそれで気が引ける。もう少し待ってみることに。
それから更に20分ほど待ったが一向に戻ってこない。流石に遅すぎる。何かあったに違いないと思いフロントに連絡しようと思ったその時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。ドアスコープから通路を見るとカミさんがしょぼくれた顔をして立っていた。
すぐに扉を開けてカミさんを招き入れた。あんまり遅いから心配したぞ、と言い切る前にカミさんが堰を切ったように話し始めた。
風呂に入っている間に部屋の番号を忘れてしまい、勘でここだろうと思った部屋の扉を何度もノックしていたらしい。だが一向に自分が出てこないのでしびれを切らしてフロントにカギを借りに行ったら部屋番号を間違えていることが発覚したという次第。
カミさんが一生懸命叩いていたのは2つ隣の部屋だった。その部屋に誰もいなくてよかったね。。。
カミさんが戻ってきたのでようやく夕食となった。が、自分は昼食が未だに消化できておらず全く腹が減っていない。カミさんも同じだという。だったら今日は軽く済ませようということになった。もうなんか買い物に出るのも面倒で、カバンの中から昨日与那国でお土産として買ったカジキのかまぼこを食べてしまうことにした。なんか横着しているな。。。
ご相伴のアルコール(いや、逆か)はオリオンビール。自分は例によってコーラ。テレビを見ながらカマボコをアテにしてチビチビやって済ませた。