小笠原上陸【2】(2008/09)
なんといっても難しかったのは旅程である。小笠原へ行くための交通手段は東京は竹芝からの船便しかない。しかもその船は6日に1度しか出港しない。というのも小笠原と本土を結ぶその船は1隻しかなく、しかもその航海の所要時間が実に片道25時間半もかかるのだ。故に小笠原は「日本で一番遠い村」と称される。
午前中に竹芝を出港した船は翌日の昼前になってようやく父島に着く。流石に現地滞在の時間も必要になるので船は父島に3日ほど停泊しそれから竹芝にまた丸1日かけて戻って来る。だからどう頑張っても6日に1度しか出港できないのだ。
この船便の主たる利用者は島の住民やその関係者であり、また生活物資の輸送であるわけで、そちらの都合が優先されるのは致し方のない所ではあるが、まるで来れる人だけが来てくれればいいですよとでも言わんばかりのハードルの高さである。
6日に1度の出港だから、出港日は平日だろうが休日だろうが関係なく設定される。なので休みの日を上手く合わせられない限りそもそも計画すら立てられない。
そのうえ旅行代金も決してお手頃ではない。島へ行くということは即ち確実にこの船に乗るということであるから船の往復に宿が付いたツアーチケットを利用することになる。だが日程にもよるがこれが10万円近いのだ。これだと暇を持て余している学生たちにとってもハードルの高い旅行先となる。
だがそうした秘境めいた島には見どころが沢山ある。島の周囲はイルカやクジラが悠然と泳ぎまわり、ドルフィンスイムやホエールウォッチングなどが開催されているし、島は誕生以来1度も他の陸地と地続きになったことがないため独特な生態系が形成されている。ここにしかいない生き物も多くいて「東洋のガラパゴス」などと称されている。
もちろん上述のとおり年中海に入ることができるほど温暖なのでハワイのように冬場の避寒地にもなる。また太平洋戦争時に本土防衛に向けて整備されたものの遺構なども数多く残っていて、それらを見学する戦跡ツアーなどというものもある。
それだけの観光資源に恵まれているにもかかわらず知名度としては今ひとつである。国内の南国リゾートとして名高い沖縄と比べたらほぼ無名と言ってもよいほどだが、それはやはりアクセス手段が貧弱極まりないことに起因してると思う。
沖縄は空路が設定され羽田から3時間ほどで行くことができる。なのでやろうと思えば日帰りも可能だが、小笠原は上述のとおり最低6日間の旅程を必要とする。より南方にあるサイパンやグアムですら空路があるので週末の休みにぶらりと行くことも不可能ではないが、小笠原ではそういう訳にもいかない。
小笠原でも空路の開設を求める動きがない訳ではない。空路が開設すれば観光客をもっと呼び込めるし、急患が発生した際の救命率を上げることもできる。だがもとより小さな島であり空港建設の適地がない。そのうえもし仮に作ったとしてもその便で訪島する観光客を受け入れるキャパシティもない。何より観光開発が進むことは島の貴重な生態系を壊してしまうことに繋がる。
この島はそうした手つかずの大自然が満喫できることを観光の目玉にしている。貴重な生態系を破壊する可能性のある開発は受け入れたくないという声も大きく、開発を巡って様々な構想が持ち上がっては棚上げされていくということを繰り返して今に至っている。
構想と言えば、数年前に東京~父島間を18時間で結ぶ高速船TSL(テクノスーパーライナー)を就航させるという構想があった。これが就航すれば船の便数を増やすことができ、アクセスが改善されて利便性が向上する。だが残念なことにその高性能な船は極端に燃費の悪い代物だった。軽油1リットルあたりの航行可能距離はわずか8mというのだから、車とは比較対象が違うとはいえ相当なものだ。それで1000kmからの航海をしたら燃料が何リットル必要になるか。しかも父島には給油施設がないので往復である。
それほどの船を投入しても短縮される時間は7時間ほどでしかなく、半日以上の時間を要することには変わりない。費用対効果でいえばどう考えても割に合わない。
それでも当初は国や都が支援を表明しており、運行業者である小笠原海運も導入に前向きだった。だが船が完成し納品間近となったあたりで燃料費が高騰し、国や都が支援を拒否するという事態に陥った。こんな高コストな船を企業単独で運行させることは不可能で、小笠原海運も完成した船の受け取りを拒否。結果1度も使われることのないまま廃船となってしまった。
今更自分のような門外漢があれこれ言っても詮無いことだが、八丈島辺りをハブにしてそこから運行するようなことは考えられなかっただろうか。八丈島へは1日4便の空路が就航している。羽田から八丈島まではわずか1時間程度。そこから父島行きのTSLに乗り換えれば10時間くらいで行けるようになる。
TSLが高コストなシロモノとなってしまったのは父島で給油が出来ないことから往復分の燃料を予め搭載しなければならない、という制約によるところが大きかったらしい。燃費の悪い船に2000kmを航行するだけの燃料を積もうと思ったら、まぁ考えなくても分かる。燃料を積めば積むほどその重くなった船を動かすための燃料が更に必要になるという悪循環である。
そこを八丈島からにする訳だ。八丈島から父島までは650km程度なのでそれだけ搭載する燃料を減らすことができる。燃費もその分向上するので更に少ない燃料の搭載で済むはずだ。
もっとも八丈島に給油設備をこしらえるなどの投資が必要になるので、それが出来るかどうかがカギとなるような気もするが荒唐無稽な話でもないと思う。
まぁ、肝心のTSLが既に廃船となっているので、今更何を言ってもしょうがないのだが。
さて、だいぶ脱線したが小笠原のあらましは以上だ。
ネットで検索すればするほど小笠原訪島への期待値が高まっていく。そんな手付かずな島を見るのは今しかないという思いに突き動かされている。カミさんは屋久島に行きたいと言っていたわけだが、屋久島は行こうと思えば4日間くらい日程を確保すれば何時でも行ける。だから小笠原に行きたいんだよねぇ。とカミさんに話したところ、どんなとこか知らないけど面白そうだから行ってみたいという回答が得られた。よし、じゃあ少し計画を進めますか。
日程のターゲットは9月の3連休を考えた。夏期休暇を繋げて6連休にすればギリギリ行って帰って来られる。調べてみると3連休の時期の出港日は9月12日であった。9月12日は金曜日なので金曜日と翌週の火曜、水曜で休暇が取れればよい。
ただ自分の職場の場合、上長に許可を取ることがまず第一の関門だ。上長に小笠原に行きたいのでこの日程で休みを取りたい旨を伝える。まだ手配を始めている訳ではないがほぼ本決まりになっているかのように伝えた。
案の定、お前が3連休の前後で休み取ったらまだ休暇が取れていない他の人がこの連休で休み取りたいって言った時どうするの?と嫌味を言われた。知らんがな、言ったモン勝ちでしょという気もしたが、そこは平身低頭、何卒、是非にとひれ伏していたら、じゃあしょうがないからいいよ、となった。
日程が確保できたので本格的な手配を始めることにした。
まず小笠原へ行く場合の一般的なスケジュールをおさらいしよう。
1日目 ・・・ 竹芝桟橋出港
2日目 ・・・ 父島二見港入港
3日目 ・・・ 自由行動
4日目 ・・・ 自由行動
5日目 ・・・ 父島二見港出港
6日目 ・・・ 竹芝桟橋入港
これが基本パターンになる。見てのとおり島に滞在できる時間は2日目の父島入港から5日目の出港までの4日間だ。入港ならびに出港の時刻があるので正味3日間くらいだ。
父島へ行く船はおがさわら丸(以下おが丸)という。竹芝~父島間は25時間半かかるので、初日と最終日は船の移動時間となる。
竹芝を出港して再び戻って来るまでの上記6日間を1航海と呼ぶそうだ。仮に日程と懐具合に余裕があって小笠原にもっとじっくり滞在したいとなれば、5日目の船には乗らず次にやってくる便で帰還することも可能だが、もちろんその場合の旅程は12日必要となる。これを2航海と呼び、以下6日単位で数字が増えていく。
上記の表はずっと父島に滞在した場合の旅程となる。だが小笠原にはもうひとつの有人島である母島がある。母島は父島の南方50kmほどの所に浮かぶ島だが、おが丸は母島へは行かない。父島で伊豆諸島開発という業者が運行しているははじま丸に乗り換えて更に2時間半の行程を経る必要がある。
母島は父島以上に手つかずの島であるという。父島ですらそう簡単にたどり着くことのできない島な訳で、母島ともなればなおさらだ。であればこの機会に母島もぜひ訪ねておきたい。そう考えると3日間の日程では到底足りない。行程的には可能だがあれこれ見学する余裕がないという意味で。
そうしたことから2航海での訪島の誘惑にかられるが、僅か3日間の夏季休暇の消化に嫌味を言うような上司がいる会社で12日間もお休みしたら自分の席がなくなりそうだ。なのでそこはぐっとこらえて1航海で何とかやりくりすることにした。
ちなみに父島の近海に南島という島が浮かんでいる。この島は無人島だが日本のそれとは思えないほど幻想的な島なのだという。だが無人島なので定期航路はなく、地元で南島ツアーを開催している業者に依頼して運んでもらわなければならないらしい。折角の訪島である、行っておかなければ絶対後悔するのでこれも旅程に組み入れたい。