小笠原上陸【10】(2008/09/13)
さらに2時間10分:
船室に入って酔うのが嫌だったので、例によってデッキ後方にあるベンチを陣取って腰を降ろした。
一息ついてから何があったのかカミさんに聞いてみた。カミさんは無事サングラスの入手を済ませて待合所に戻ってきたのだが、自分がどこを探してもいないので、待合室や乗船場辺りを行ったり来していたらしい。なるほど、行き違いを繰り返していたのか。まぁ、とりあえず間に合ってよかった。
それから新しいサングラスを手渡された。あまり種類のない中で選んだので・・・ということだったが、そう野暮ったくもないデザインの物で全く問題なしだった。ただ、ちょっと大きいがw
父島から母島までの間は50キロほど離れていて2時間10分の道のりとなる。父島からでも母島の島影がうっすら見えるくらいの距離感だが、母島の唯一の集落となる沖村は島の中南部に父島に背を向けるように存在するので父島側からは見られない。船は沖村にある沖港を目指して母島の北側から延々と南下していく形になるので2時間あまりの時間がかかるということだ。
船はおがさわら丸と比べたらだいぶ小さくその分よく揺れるようになった。一応父島でもう一度酔い止めを飲んでおいたので大丈夫だと思うが。
しかし丸1日船に乗ってようやく降りたと思ったら、またすぐに別の船に乗り換えるという体験も初めてだ。日本にはそういう場所もあるのだぁと改めて感心する。
今日は朝方に味噌汁をすすっただけなので少し小腹が減って来た。島影を眺めながらおやつタイムとしゃれこんだ。
遠ざかる父島の姿。写真左奥に見える集落が父島の中心集落である大村の町並み。島はそこそこの大きさがあるが写真のとおり全体的に険しい地形で、人が住める場所はあまり多くない。
進む船の周りにカツオドリがまとわりついている。4羽か5羽くらいのカツオドリが付かず離れず並走している。最初は観光地のカモメのように、フェリーの客がエサをくれることを期待して飛んでいるのだろうと思ったら、どうもそれだけではないらしい。船が進んでいくとそれに驚いたトビウオが水面を跳ねてどこかへ四散していく。それを見つけては急降下して捕獲しようとしていた。
そうか、船について行けばトビウオが食べられるということを知っているんだな。かしこいなと思ったが、あまり上手に魚を捉えられていない。数撃ちゃ当たる方式かw
彼らはそうして船にまとわりついたまま母島までついてきた。前述のとおり50キロ離れた島だ。帰りはどうするのだろうか。また50キロ飛んで巣まで戻るつもりか。狩りのやめ時が見つけられず、あともうちょっと!とか言いながらズルズルここまで来ちゃって、気がつけば巣は50キロの彼方。帰りの遠さに絶望しているかもしれない。
ようやく薬が効いてきたようでまたボンヤリしてきた。デッキで南風に吹かれつつのまどろみは何とも気持ちが良い。
気が付くと遠くに霞んでいた母島の島影が随分と大きくなっていた。こちらもまた険しい島だな。
写真は島の北端部を写している。ここまで来てようやく島の入口に到達した所だ。船は更に沖港(おきこう)まで島の西岸に沿って進まなければならず、この辺でようやく3分の2くらいの行程をこなした感じである。
例によってパノラマ写真を撮影してみた。だが当時はICEなんてツールがなかったので撮影の仕方のコツも考えずに撮影したものだった。後にICEの存在を知って物は試しに食わせてみたら案の定全く繋げてくれなかったので、写真を少し加工してから食わせて繋げたものだ。なので、真ん中あたりに繋ぎ合わせた感が出てしまった。。。
沖村の集落は写真右端のなだらかになった尾根の裏側になる。これだけ大きな島だが写真に見えている範囲に一切の集落がない。
ズームで寄ってみると稜線の最高部辺りから一気に海に落ち込む海食崖が至る所にある。いくら島が大きくてもこういう場所は活用のしようがない。
それから10分ほど進んで船は例の尾根を回り込む。尾根の裏側は湾になっていてその奥にようやく人工物が見えてきた。ここが沖港である。やっと到着。。。
港の向かいにそそり立つ島影は向島(むかいじま)だそうだ。
左の方にも点々と島影が浮かんでいた。手前が平島(ひらしま)、その奥が姉島(あねじま)とのこと。
小笠原は父島と母島以外は無人島であるが、こうした周辺の島々を観察していると、ここなら住めそうだなと思える場所を持つ島もちらほらと見られる。実際真水さえ確保できれば気合いと根性でどうにかなるのかもしれないが、きょうび誰かが移住するとなったらそれなりにインフラを整備しなければならなくなる。小笠原はただでさえ本土から遠く離れた孤島なので、行政としてもそんな酔狂には付き合えないだろう。だから無人島なんだろうな。
母島上陸:
そして程なく沖港に接岸。母島への上陸達成。島旅51番目の島。自分の島巡りにおいて一二を争うであろう辺境にとうとうやってきてしまった。
・・・まぁ、辺境とは言ってもこうしてインフラが整備されていて1日強の時間で訪れることが出来る場所なのだから大したことはない。そんな場所を辺境扱いするのはちょっと違うのかもしれないが、それでもそれなりに様々な調整や手配をしたうえでようやく訪れることが出来る場所であることには違いない。恐らくここを再び訪れることは相当な困難だと思う。そういう意味で自分的には辺境そのものである。またとない機会なので島の滞在を悔いのなきものにしたい所だ。
岸壁に島の小学生が10人くらい集まっていた。そして船から下船した男の子を迎え入れていた。一時的に本土に戻っていたのだろうか。こういう再会のシーンが屈託なく繰り広げられるのは島ならでは。いいなぁと思った。
というわけで竹芝桟橋を昨日10時に出発して延べ28時間40分、やっと到着である。遠くへきてしまった。ここで何かあってももはや容易に本土に戻ることもできない。1度そういう場所に来てみたかった。
岸壁で宿のお迎えの人と合流。数組の同宿の人と一緒に宿のワゴンに乗り込む。その車内でハンドルを握る女将から、東京では雨が凄いんですって?と話しかけられた。
今年はゲリラ豪雨の当たり年で、毎日のように午後になると夕立があって都内各所で洪水が頻繁に発生していた。数日前にも豊島区で下水管作業をしていた作業員が突然降り出した雨のせいで水かさを増した下水に流されて亡くなる事故も発生した。
ただ、そのゲリラ豪雨は極めて局地的に降るのが特徴で東京と言っても洪水が出るほどの豪雨被害が出ている所とそうでない所がはっきりと分かれている。幸いにして我が家のある辺りではそうした豪雨被害は発生していない。
まぁ、そういうややこしいことを話してもしょうがないので、場所によるみたいですよと返答した。返答した後そういえばここも東京だよなと愚にも付かないことを思ってしまった。