小笠原上陸【13】(2008/09/13)
母島散策 - 小富士登山:
途中何カ所かで足を停めつつではあったが、遊歩道を歩くこと40分ほどで小富士と南崎を分ける分岐にやって来た。南崎はここから山を下ること200m、小富士は逆に山を登ること400mとのことだ。
南崎は母島随一のビーチであるらしい。それを知ったカミさんがもし時間があったら少し海に入ってみたいと言うので洋服の下に水着を着用してきた。なので当初は南崎に行った後に時間があれば小富士に登ろうという計画だったのだが、いざ現在地に辿り着いてみると思ったよりも標高が高い。
南崎の後に小富士に行くと差し引き100m弱を登り下りしなければならなくなる。それはしんどそうなので体力のあるうちに小富士に登って山頂から南崎の様子を見てみて、それから行くかどうかを決めることにした。
という訳でこの分岐は小富士方向へ直進。
歩き始めて数百mほどはさっきまでと変わらない遊歩道だったが、最後の100mばかりで気が変わったかのように山の斜面を一気に登り始めた。
階段なども使って無遠慮に登っていく道はなかなかな勾配で骨が折れる。
頂上のすぐ手前に最後の難関と言わんばかりにハシゴが設置されていた。まさかハシゴを登ることになるとは思わなかった。ただ、このハシゴは塗装の剥げ具合を見てもそれほど古いものではないように見える。よく見るとハシゴの下に木の根のようなものが1本這っているのが見える。と言うことはこのハシゴの設置前はこれをロープ代わりに登っていたのだろうか。しかも割と最近まで。
そう考えるとハシゴで大変なんて言っていられない。
それにしてもこういう手厚さはやっぱり都内だ。おかげで危険を感じることなく昇り詰めることが出来た。
母島散策 - 小富士頂上:
ハシゴを登りきったら一気に視界が開けた。頂上に到達したらしい。
これまで歩いてきた方向を振り返ると一面にジャングルが広がっている。もはやどこをどう歩いてきたのかさっぱり分からない。GPSがあればなぁ。
写真右側に見える丘の中腹に道路が見えると思うが、その少し先に都道の終点がある。そこからここまで延々と歩いてきたのだ。
先ほどの分岐からここまで15分ほどかかった。400mを走破する速度としてはやや鈍足だがそれだけ険しかったということだ。
ついにここまで来たかと感慨深い気持ちになった。
海の方へ視線を向けると、母島南方の沖合に無人島が点々と連なって浮かんでいるのが見えた。
上の写真は姪島(めいじま)。
こちらは妹島(いもうとじま)。
思いがけずWindowsの壁紙のような写真が撮れた。
手前から弓なりに、鰹鳥島(かつおどりじま)、小鰹鳥島(こがつおどりじま) 、丸島(まるじま)、二子島(ふたごじま)、平島(ひらしま)が続き、正面奥が姉島(あねじま)である。
なかなかの多島海ぶりだがいずれも無人島である。
しかし揃いも揃って味気ない名前だ。もしここが古くから知られている島だったらどんな名前になっていただろうか。逆にもっと近代になって名前を付けることになったら。。。愛とか花とか幸せとか語呂合わせ系とか、あるいはひらがなだったり横文字だったりしているかもしれない。そう考えると味気ない名前で良かったような気もする。。。
足元を見ると何らかの残骸が転がっていた。恐らく戦争に関するもののようだが粉々になっていて詳細は不明。ここは島の南端に当たるだけに防衛線を張るにはまたとない場所だったのだろう。
眼下には南崎が見える。当初小富士に登る前に行こうと思っていた場所である。弓なりの海岸が200mほど続いている。
写真でも右上の辺りが光り輝いているのが分かるとおり、もうだいぶ日が傾いている。時間は間もなく17時になろうかという時間である。向こう側の尾根に遮られて海岸の大半は既に日陰になっている。この状態で海岸に行っても多分寂しくなるだけのような気がする。
第一都道終点からここまでの1時間弱の道のりには予想どおり一切街灯がなかった。完全に日が暮れたら手元も見えないほどの暗闇になる筈。そうなったらもはや遭難だ。なので日が落ちる前に少なくとも都道終点までは戻っておかなければならない。
そういうことで結局南崎へ行くのはパスとなった。今になって思えば分岐からたかだか200mなので、海岸に降り立つくらいはしてもよかったかなと思わなくもないが、この時はとにかく無事に戻ることを最優先にしたのでやむを得ない判断だった。
という訳で滞在10分ほどで息を整え終わったらすぐに下山開始。弾丸登山だ。。。なんか凄く余裕がない。小笠原滞在の殆どを母島に充てるか2航海で来ない限り母島を堪能するのは難しい気がする。他の観光客たちはどうしているのだろう。
ちなみに小富士は日本最南端の郷土富士とされているが、登ってみてそれを感じることは全くできなかった。やはり海上などから眺めないとその山容をみることは出来ないのだろう。
戻り道:
小富士を下山して再びジャングルの小径に入ると既にだいぶ暗くなっていた。木々の隙間から見える空はまだ明るさを保っているので道が見えない、というほどではないが、本能的に早く戻らないとという思いに支配される。
足早に進んで南崎への分岐まで戻って来た。それから程なくワイビーチへの分岐がある。もちろん行きの時にも見ているが看板にはここから0.1kmと書かれている。100mくらいならちょっと見て行くか、と少し立ち止まって逡巡した。
が、僅か100mの距離でも往復する時間が惜しかったので結局素通りした。
ただ、ちょっと気になったことがあってその看板の写真だけは撮影した。なにが気になったかというと行き先の英語表記だ。写真だとやや見づらいと思うがワイビーチの英語表記が「Wai Beach」となっている。それを見ている限りでは大した違和感はないが、
遊歩道の入口にあった例のこぎれいな看板を見ると「Y-Beach」となっていて表記が揺れているのだ。まぁどちらもワイビーチとは読めるので差し当たっての問題はないようにも思えるが、このワイビーチは元々この地に居た欧米人により「White Beach」と名付けられたものが、日本語訛りしてワイビーチになったものだから本来YもWaiもどっちも間違いである。
もっともこのビーチの名称について、由来は無視して「ワイビーチ」を正式としているのであればあとは表記揺れを統一すれば済むのだが。
それはさておき、道を進んでいくうちにどんどん日が暮れて来る。空も随分暗くなってきた。ほうほうの体で逃げ帰るように急いで歩いたら30分ばかりでバイクが停めてある都道終点にたどり着くことが出来た。やっぱり火事場のクソ力である。
いや、暗くなってるったって歩けたんだから大したことなかったんでしょ?と思うかもしれない。いやいや、
こんな暗さだったのだ。ご覧のとおり周囲に明かりは一切ない。いかに不安だったかを感じ取っていただければ幸いだ。
まぁともかく、ようやく明かりのあるところに出られた。明かりと言ってもバイクのヘッドライトだが。
そんな儚い灯でもあるのとないのとでは大違い。ものすごい安心感に包まれた。
途中の橋の上から日没後の夕焼けが見えた。まだ明るさを残している西の方角を向いてようやくこの程度の明るさだった。もう、早く宿に戻って安心したい一心でバイクを走らせた。
帰り道はカミさんが先頭になった。行きの時に自分のバイクが吐き出す排気ガスを嗅ぎ続けるのが堪らないので前を走らせてくれと言われたのだ。自分がしんがりになったら確かにカミさんのバイクが吐き出す排気ガスが盛大に自分に向かって流れてくる。自分はこの匂いが嫌いではないので大して気にならなかったが、これはつらかっただろうな。。。
そして15分ほどで宿に戻り、母島1日目の観光は幕を下ろした。