小笠原上陸【20】(2008/09/14)
母島散策 - 母島のおまわりさん:
ちょっと戻って前田商店とJAの間にあるのが母島駐在所だ。ここだけタイル貼りになっていて街中にありそうなマンションっぽい作りになっている。鄙びた建物が多い島の風景の中でひときわ異彩を放っていた。やっぱりこういう所は東京都だな。
島への出入り方法は、ははじま丸しかない訳で犯罪者だって逃げ場がないようなところにわざわざ来るはずがない。だから島での勤務は基本的に平和そのものだろう。ケンカの仲裁くらいはあるかもしれないが。
転々と転勤が続ける中で出世していく双六のような警察官のキャリアパスの中で、母島駐在所勤務を命ずると辞令が出た時にどのような感情が去来するのだろうか。
出世を夢見る人にとっては島流しにも等しいだろうし、繁華街の駅前交番を担当して警察官人生に疲れてしまった人ならホッとする瞬間かもしれない。
自分だったら2年か3年こんな所で暮らすのも悪くはないなと思う気がする。
父島もそうだったが、パトカーはなぜか港に停められている。誰も乗っていないのに窓が開けっぱなしな所が平和の象徴。面白いのが港の駐車場所にご丁寧に「パトカー」と記載されていることだ。どこに停めたって良さそうなものだが。
それにしてもここに停めておくメリットは何があるだろうか。護送の際に便利?どこへ護送?取り調べの際に便利?駐在所まで歩いてすぐだ。ネズミ捕りみたいに車内から往来をチェック?暑くてたまらん。
そういう訳でよく分からないのだ。ちなみに特筆すべきはナンバープレート。母島も東京都の一員なので、品川ナンバーである。
母島散策 - 沖港客船待合所:
いよいよ母島最後の見所である。港の真ん前にあるフェリーターミナルだ。
もちろんここは母島に到着した際にいの一番に目にしている建物だが、下船してすぐに宿の人が迎えに来てくれたのでまだ見学できていない。
とりあえず父島に戻る便の乗船手続きを済ませる。残りあと10分。宿をチェックアウトしてからあれこれ散策してきたような気になっていたが、まだ20分くらいしか経っていない。そう考えるとやっぱり小さな集落だ。
この建物は船の待合所と観光案内所を兼ねている。我々はチャレンジできずしまいだったが、乳房山へ登山する際の申請もここで行う。
建物内の展示スペースに最近上陸調査が行われた南硫黄島にまつわるパネル展示がなされていた。
南硫黄島は父島、母島列島のさらに南、有名な硫黄島よりも南にある島で、利島とほぼ同じくらいの大きさの島である。島はその周囲を全て海食崖に覆われていて容易に上陸することもままならない険しい島である。もちろん無人島で過去にも人が定住したことがないらしい。
数年前に研究者たちによって上陸調査が行われ、固有種が多くみられる島であることが分かってきた。ここに掲載されているものは調査結果の報告だった。
ちなみにこの調査の際にNHKが同行取材を行っており「ダーウィンが来た」で特集されていた。自分はこの放送を見ていたのだが救いようがなく険しい島だった。ただその一方で縁があればこうした島も見てみたいと思った。まぁなんの研究もしていないから声がかかることはないと思うし、万一声がかかっても同行したら足手まといになるだけなんだが。。。
パネルの解説をひとつひとつ興味深く眺めていたら出港の時間が迫っていた。カミさんに促され慌てて船に乗船。そして程なく出港。
父島へ:
1日にも満たない時間しか滞在できず見逃しばかりで悔いが残るが、島で過ごした時間は久しぶりに冒険心をくすぐられたり、長閑な雰囲気をマッタリ味わったりと童心に帰ったような気分で楽しめた。
また来る機会があるかどうかは何とも言えないが、また来ることが出来たら今度こそ2航海で訪問したい所である。
父島まで再び2時間余りの船旅。とりあえず前田商店で入手した菓子パンをつまんで軽い昼食とした。
カミさんはチーズの入ったパンを購入していたのだが、なんか食が進まないと言って途中で食べるのをやめてしまっていた。カミさんが食欲が湧かないというのはちょっと珍しい。乗り物一般には強いので船酔いではないと思うが、暑さで疲れが出ているのかもしれない。まぁ無理に食べるようなものでもないので、ちょっとゆっくりしてまたお腹が空いた時に食べれば良いんじゃない?と言ってその横で自分は完食。
それから程なく眠くなってしまったので潮風に吹かれながらウトウトした。
次に気が付いた時にはもう父島が眼前に広がっていて間もなく入港するところだった。結構寝たなぁと思いつつカミさんの方を見たら、なんか青い顔をしている。あれ、ガチで体調不良か?
大丈夫?と声をかけたら、どんよりした顔で船酔いしたーと漏らした。そりゃまた珍しいことで。
なんでもさっき食べ残したパンが勿体なかったので、無理やり食べたら気分が悪くなってしまったらしい。何やってるんだろうね。。。
賞味期限切れのパンは案外駄目な物だったのだろうか。と言っても気分が悪いだけでお腹を壊したりしている訳じゃないらしいので食あたりとかではなさそうだが。まぁ船を下りてちょっと様子を見ましょうか。
そうこう言っている間に父島の二見港に戻ってきた。
シーサイドインアクア:
青い顔をしているカミさんを気遣いつつ、ほどなく到着した二見港で下船。父島に帰ってきた。昨日はこれまで写真などでしか見たことがなかった父島に上陸できたうれしさでテンションが上がりまくっていたが、2度目の今回は、ああ帰ってきたなと言う落ち着いた気分での上陸となった。
父島は人口2500人ほどで今いる大村の周辺と、中部にある扇浦の2カ所にまとまった集落がある。昨日初めて降り立った時の大村の印象は長閑な場所というものだったが、母島はそれに輪をかけて長閑だった。人口が5倍違うのだからそれも当然か。そのせいか再び戻ってきた大村は随分と都会的で活気があるように印象に変わっていた。
明後日までの島での宿泊先はツアーを手配した際になしょなるランドが選んだシーサイドインアクアという宿である。名前からしてペンションっぽいがどんな雰囲気の所なのかは全く分かっていない。
(2025年註:このペンションは2011年に現在地へ移転されたそうだ。その際宿の名称をAQUAと変更して現在も営業中とのこと。上記リンクはAQUAのもの)
港で降りてカミさんの船酔いを解消するために外の空気に触れさせていたら、シーサイドインアクアの看板を持った人が立っているのを見つけた。合流して宿の送迎車に乗り込む。
で、宿まで車で連れて行ってもらったのだが、この島でも乗車している時間はわずか3分ほどだった。都会的だと思った大村もなんだかんだ言ってやっぱり小さな集落である。
こちらがシーサイドインアクア(当時)である。なかなかおしゃんなペンションだ。安く泊まれる宿という希望のみ伝えてお任せで選んでもらった宿なので、小汚い民宿みたいな所が宛がわれることも覚悟していたが、全然良いじゃないですか。
母島で民宿、父島でペンション。変化があっていいねぇなんて思っていたのだが・・・、
我々が泊まる部屋はこちらだった。あれ?あのおしゃんな建物の中はこんな昭和感があふれまくっているの?
いやいや、そんなことはない。自分らが案内されたのはおしゃんな母屋の脇に建てられたプレハブ風の離れだった。座布団にちゃぶ台、ベニアの壁、、、昭和だ。この部屋は2段ベッドが2台置かれたドミトリータイプで繁忙期には相部屋として利用しているらしい。あの母屋を見て、今日はこんなおしゃれな宿で過ごせるのかぁ、と期待感が大いに高まった後だったので、これを見た時にはかなり落胆した。これじゃ田舎のばあちゃん家じゃん。
まぁ、安い宿でと希望していたのだからこれも致し方なしか。ただし、主人によると今日は相部屋ではなく我々の占有となるそうだ。それなら広々使えてむしろ良いかもしれない。
というわけで今日から2泊3日この部屋にお世話になる。
ちなみに追って触れるが、今回この宿で過ごしている間に何度も宿のスタッフに面倒をかけてしまった。改めてお詫びならびにお礼申し上げます。
さて、本日この後の予定だが、夜にナイトツアーに参加することになっている。それまでの時間はフリーなので島の見所を散策して過ごそうと考えている。だが既に14時近い時間なのでのんびりしていられない。
散策に必要な物をリュックに放り込んで準備完了。だがカミさんは荷物をあちこちごそごそとやって手間取っている。とりあえず一服しに建物の外に出た。敷地の外に出たら隣が教会だった。
教会の名前は聖ジョージ教会という。建物は本格的な西洋建築になっていてグアムで見かけた教会の雰囲気とダブった。具体的にどこがと言われると指摘が難しいのだが、本土で見かけるものとは作りが違うように見える。工法が異なるのかもしれない。