小笠原上陸【22】(2008/09/14)

父島散策 - 境浦の沈船:


大村の集落から都道をスクーターに乗って進んでいくと、集落から外れたあたりから上り坂になっていくつかのトンネルをくぐる。そうして10分ほど走らせると視界が開けて眼下に湾が見えてくる。これが境浦だ。

その境浦へと出るトンネルを抜けた直後、どこかからヤギの鳴き声が聞こえた気がした。バイクの騒音の中で聞いた音だったので空耳かなと思いつつ更に走っていくと少し前を先行していたカミさんがバイクを道路脇に寄せて自分の到着を待っていた。

何かあったのかと思って聞いてみると、今ヤギが目の前を横切ったと言って興奮していた。さっき聞こえた鳴き声は空耳ではなかったらしい。

こんな所にも野ヤギがいるのだな。自分も見て見たかったが、バイクを止めてから周囲を見回してもヤギの姿は見当たらなかった。多分崖下の方へ降りて行ってしまったのだろう。

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その境浦と呼ばれる湾は道路からだと30m位の高さから見下ろす位置にある。そのど真ん中に黒い影を伴って残骸のようなものが沈んでいるのが見える。これが沈船だ。船は濱江丸(ひんこうまる)といい、戦時中に沖合で爆撃を受けて操縦不能となり、漂流した末にここまで流されてきて座礁したのだそうだ。

船の最上部、ほんの1mほどが海面上に露出しているが、そこから下はすべて海面下に没していた。水が透き通っているのでそのシルエットは陸上からでもある程度が確認できるが、訪問前にネットで見た数年前に撮影されたという写真では、もっと船全体が海面上に露出した状態で写っていた。この数年の間にだいぶ朽ちてしまったようだ。あるはい潮の干満のせいかもしれないが。

海面下に没してしまった船体は魚にとっての良い棲み処になっているそうだ。
小笠原の近海には他にも爆撃を受けて沈没してしまった船があちこちにあるらしい。だがそれらは完全に水没してしまっているので、地上からその姿を確認できる沈船はここが唯一とのこと。

ちなみに境浦の海辺まで降りるための遊歩道がここから分岐している。船をより間近で見るためにはここを降りて海岸から見るのが一番だと思うのだが、登り降りの手間を考えたら下まで降りてみようと言う気にならなかった。

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バイクを停めた駐車場の先にたおやかなカーブを描く橋が架かっている。といっても川をまたいでいるわけではなく単純に斜面の険しいところをショートカットするためにかけられた橋なのだが、この橋の名前は濱江橋という。

なんと沈船から名前を貰っている珍しい橋だ。地名ではなく偶然そこに辿り着いた廃船の名が冠されているのがなんとも面白い。それだけこの沈船が島きっての名所ということなのだろう。

 

父島散策 - 扇浦:


再びバイクにまたがって扇浦方面へと走らせていたら、パラパラと顔に水滴が付くのを感じた。写真のとおり空は見事な快晴だし潮が飛んでくるにしては風が弱い。はて、と思いながらさらに走らせていると、だんだんその水滴が飛来する頻度が上がって来てそれが天気雨だと気づいた。

ということはこの近くに雨雲が漂っていることになる。そのまま我々の方へ近づかないまま通り過ぎてくれることを祈りつつ走っていたら扇浦に着いた。

 

扇浦の砂浜に面して都道が南北に通っている。父島の海岸線は急峻な海食崖となっている場所が多いので海岸沿いの都道は大村の集落を出た後、そのまま斜面に登ってそのままトラバースするように敷かれている。そのおかげで素晴らしい景色を堪能できるという利点もあるが海岸には近づきがたい。だがここ扇浦はそうした父島の道の中で珍しく海岸沿いに道が通っている場所だ。

弓なりの砂浜に面した小平地に小さい集落が形成されている。この辺りは戦前まで扇浦袋沢村という独立した村だったそうで、この道は村のメインストリートになっていた。今でも通りの山手側には民家の他民宿やペンションなどが建ち並んでいる。

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折角なのでバイクを停めて浜に降りてみた。綺麗な砂浜だ。沖合にはスノーケリングかダイビングの講習を受けていると思しき人が浮かんでいた。カミさんはきっとこういう場所でマリンレジャーを楽しみたいんだろうな、と思ったが今回は水着を着てきてないし、まだあちこち見て歩かなければならないので砂浜を散策するのみ。

 

砂の色はグレーみの強い色合いになっている。南の島なのに白い砂浜ではないことにちょっとした違和感を感じた。だが真っ白な砂浜はサンゴが発達しやすい遠浅の海に囲まれた島で見られるもので火山島である小笠原諸島の場合、周辺の水深が一気に深くなるような地形になっているのであまりサンゴが育たずこのような暗めの砂浜となってしまうのだ。

浜をてくてくと歩いていくと突き当りの山のたもとに四角いコンクリートの構造物が口を開けているのが見えた。

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近づいてみるとどうやら銃眼のようだ。開口部は丁度銃口を突き出すのに必要な程度の大きさになっていて高さは40cmほどしかなかった。父島、母島にはこうした戦争の遺構がそこいらじゅうに残っている。

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その銃眼から穴の中を覗くとその中も大概の狭さだ。これでは屈んだままでないと入れない。しかも奥に見える通路もしゃがんでいれば辛うじて進めるくらいの高さしかない。しゃがんで進むのは現実的でないので恐らく戦闘配置につくことになったら匍匐前進でここまで来る想定なのだろう。しかし素掘りのゴツゴツしたトンネルを匍匐で進むなどぞっとしない話である。

それ以前にここで銃をぶっ放したら耳が壊れそうだ。。。

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途中の砂浜にこんなものが落ちていた。機械の歯車か何かに見えるが何の部品かはわからない。砂に半分以上埋もれているが誰も掘り返そうとした形跡がない。もしかしたら長らく埋まっていて最近砂が削れて顔を出したものかもしれない。

 

父島散策 - 州崎とコペペ海岸:


扇浦の散策を終え次はコペペ海岸を目指した。その途中、扇浦浄水場の所に五差路がある。コペペ海岸へ向かうにはここを斜め左に進むのだが、我々は一旦都道を直進して須崎の方へと向かった。

この須崎という場所は昔は海だったが、戦時中に沖合に浮かぶ野羊山との間の海を埋め立てて飛行場が建設されたらしい。もちろん現在では使われておらずその跡地が残るのみだということだがちょっと見に行ってみようと思ったのだ。

だが、砂利の資材置き場のような広場に出たらその先どちらへ進むべきなのか見当がつかなかった。もしかしたら今いるこの広場が飛行場の跡地なのかもしれないが確認のしようもない。飛行場が使われなくなった後にその跡地を利用して自動車教習所が作られたという話を聞いているのでもしかしたらその痕跡らしきものが見つけられないかと思ったのだがそういうものも一切見つからない。結局なんとなく雰囲気を味わったのみでそのまま引き返した。でもってなぜかここの写真は1枚も撮影していなかった。。。

 

その時は地図と現在地の摺り合わせができなかったが、帰宅後に改めて調べてみたらやはりそこが飛行場の跡地だった。資材置き場となっていた場所を右の方へと進んでいくのが正解だったらしい。

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その代わりと言っては何だが、道すがらの父島VLBI観測局を眺めてきた。中を見学できるかどうかは未確認だが、我々は時間がなかったので敷地への入口を一瞥しただけで先に進んでしまった。

このVLBI観測局という施設で何が行われているのかというと、数十億後年かなたにある準星(クエーサー)の電波を受信してその距離を計測しているのだそうだ。
日本に数カ所同様の観測局があり、それぞれ同様に測った結果を比較してその誤差を求めることで測地基準座標系を求めているのだそうだ。

と言われてもよく分からんが。。。w 詳細はこちらを参照のほど。
なおこの施設は2015年に運用を停止し、現在は閉鎖されているとのこと。

 

そこからあとちょっと進むとコペペ海岸に到着。

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しかし語源は何だろうか。少なくとも日本語ではなさそうだが、なんかポリネシアあたりの言語の響きを持っている。こちらは思ったよりも小ぢんまりとしたものだったが綺麗な白砂の砂浜となっている。

 

写真正面に見える小さな岬を回り込んだ反対側には小港海岸という海岸がある。我々は次にそこへ行ってみようと思っているのだが、いくら目の前とはいえ海の中をザブザブ進むわけにはいかない。だが道路から行く場合は一旦扇浦まで戻る必要があるので結構距離がある。

とりあえず扇浦まで戻って今度は小港海岸方向へ進む。と、また天気雨が落ちてきた。空を見上げるとあっという間に流れてきた雲に覆われてしまった。これは一降りあるか。

徐々に雨脚が強くなってきて道も濡れてきた。本降りになる前に雨宿りできるところに避難してやり過ごそうと屋根のありそうな所を探して進んでいったら、亜熱帯農業センターの所に歩道橋があったのでその下で避難。

Posted by gen_charly