小笠原上陸【28】(2008/09/15)
シーサイドインアクアの朝食その1:
2008/09/15
小笠原滞在3日目の朝を迎えた。もう3日目か。
今日は今回の旅行のメインイベントである南島上陸&ドルフィンスイムツアーの日である。
とりわけ南島への上陸は自分にとって今回の旅行の中で最も重要なイベントである。一昨日から2日連続で海況が悪く上陸を断念したという話を聞いているが、今日が3度目の正直になるのか、2度あることは3度あるなのか、まさに正念場だ。
だが、そんな我々の期待をあざ笑うかのように、ここ数日沖縄近海に居座ったままになっている台風が昨日あたりから再びその勢力を強くしていると天気予報が伝えている。そういう情報いらない。
とりあえず支度をして食堂へ向かった。
なにこのステキな朝ごはん!一品一品はその辺の旅館の朝食に出て来るものと大差ないのだが、なぜかそのひとつひとつけた違いに美味しそうに見える。流石料理人が毎食腕を奮っているだけはある。こんなにおいしい食事を毎日食べられるなんてなんてステキな宿なんだ。
南島へ:
今日はほぼ丸1日を通して船上にいることになる見込みだ。多分小さなボートに乗ることになるので船酔い待ったなしである。今日も酔い止めを飲んでおくことにした。
それから集合場所となる二見港の青灯台へと向かった。天気は文句なしの快晴、絶好の観光日和である。沖縄の台風が荒れているなんて話も本当なのだろうかと思うほどだ。
岸壁から見下ろした海は驚くほど透明度が高い。底にあるものが手に取るように見える。これほど透き通っていたら魚影を見ながらの釣りもできそうだ。なんなら100円玉を落としても見つけられる気がする。
集合場所に着くと女の子2人組がいた。同じツアーの子かな?
我々を見つけた2人がこちらに寄ってきて、Come・クルーズに参加する人ですか?と聞いてきた。やはり2人も参加者だった。それぞれご挨拶。
意外なことに1人は島に在住している子だった。と言っても島育ちという訳ではなく数年前に移住したのだそうだ。もう1人の子がその子が本土にいた時の仲良しさんで、今回父島に遊びに来ることになりアテンドしているそうで今回はその一環での参加とのこと。
移住したいという思いを叶えてしまうとは、なんてバイタリティのある子だろう。自分も島暮らしに対する憧れは強い。中でも小笠原の島々は常夏の孤島でみんなが前向きに暮らしているイメージで、他のどの離島での暮らしよりも強力な魅力を感じる。ただ控えめに言って不便な島なのでそうした島の暮らしに自分がうまく溶け込めるかといわれると全く想像ができない世界だ。まぁだからこそ憧れなのだと思うが。
商売が絡まない島民とのコミュニケーションはなかなかに貴重である。島での暮らしについてあれこれ教えて貰った。
父島で何をして暮らしているのかと聞くと今はショップの店員をしているとのこと。以前はダイビングショップで働いていて島の海はあちこち潜ったそうだ。それを聞いてカミさんが大いに喜んでいた。本格的なスノーケリング経験がないのでちょっと不安だったらしい。経験者がいれば心強いとのこと。
4人でおしゃべりしながら待っていると我々のそばに一隻のボートが接岸した。
その船から上裸にハーフパンツの出で立ちで降りてきたのが、Come・クルーズの主宰者であるキャプテン照一氏。この仕事をするために生まれてきましたと言わんばかりのがっしりしたボディがこんがり小麦色に焼けている。
まずはよろしくお願いしますと挨拶を済ませる。すると挨拶もそこそこにバケツとブラシを渡された。
バケツに入った水で靴底に付いた汚れをこすり落としてください、と言われ順番に靴底を洗った。
これは南島に外来生物を入れないようにするための処置である。靴底に植物の種や生き物の卵などを付着させたまま上陸すると、現地に元々いない動植物を持ち込むことになる。島の生物相は貧弱であるため容易に外来種の影響を受けてしまうので、その防止策としてこうして靴底の汚れを良く落としておく必要がある。そのくらい徹底しないとならないのだ。
靴底を洗い終わった人から順にボートに乗船。今回の参加者は我々4人だそうだ。そのくらいが気楽でいい。全員が乗り込んだのを確認していよいよ出港!・・・と思ったら200mほど湾口の方に進んだ所でエンジンの出力を落として再び停止。そこでクリップボードに挟まった紙を渡された。書面に視線を落とすと参加申込書だった。これ書いてくださいと言われたが、揺れる船の上で字なんか書いたら書き終わる前にグロッキーだ。船に乗る前じゃダメだったのかなと思ったが、そもそも船酔いする人は船に乗るはずがないという前提なのかもしれない。これはカミさんにそのまま横流しして書いてもらった。
それからゴーグルとフィンをそれぞれ手渡される。自分も受け取ったが今回自分はドルフィンスイムに参加するつもりはなかった。もちろん船酔いするからだ。
これまで数度にわたって波打ち際で水に潜っているが毎度10分もしないうちに気持ちが悪くなっている。現時点で既にそこはかとない胸のむかつきを感じ始めているくらいなのだから、海なんか入ったら多分秒で出来上がってしまう。海中でコマセっぽいものを撒けば魚は寄ってくるかもしれないが、他の参加者から顰蹙を買うこと間違いなしの無双状態となる。直前まで悩んだが結局安全策をとることにした。
それはそうと、このタイミングでゴーグルやフィンを渡してくるということはもしや南島は現時点で上陸NG確定ということか?心配になって照一さんに訪ねると、まだ分かりませんという。今日も波の状態が微妙で今の段階では何とも言えないそうだ。
みんながひととおり申込書の記入を済ませたところで出発となった。まずは南島の方へ行ってみるとのこと。理由は後述するがその決定にまずは胸をなで下ろした。湾外に出るとエンジンの出力が上がった。小さなボートなので速度が上がると波の上を水きりの石のようにサパンザパン跳ねながら進んでいく。
このくらいの速さで進んでいる時は酔いとも無縁。快適な船旅が楽しめる。ずっとこのくらいで進み続けてくれたらよいのだがそれでは島一周タイムトライアルになってしまう。
陸の方を眺めていたら絶壁に複数の四角い穴が開いているのが見えた。銃眼だ。戦跡ツアーなどであそこまで行ったりするのだろうか。自分は武器には興味がないがこういう構造物には興味がある。ジャングルの中を歩いて戦車の残骸を見せられてもあまり感動しない気がするが、こういうトーチカとかは見てみたい。だから戦跡ツアーも少し興味があったのだが、南島上陸と比べると優先度は下がる。限られた滞在時間の中では参加の時間が確保できなかった。2航海で来ることがあったら是非とも参加してみたい。
島の海岸を良く眺めていると結構あちこちにこういう穴が開いているのが見える。太平洋戦争で日本軍は当初全員玉砕必死で突撃を繰り返すバンザイ攻撃で戦果をあげていたのだが、だんだんその戦法が通用しなくなってきたので途中から戦法をゲリラ戦に変更したのだそうだ。父島が要塞化したのはそのくらいの時期らしくゲリラ戦に耐えられるよう島のあちこちにこうしたトンネルを掘ったのだそうだ。
かの有名な硫黄島の戦いでは初めのうちこの戦法がそれなりの成果を上げたのだが、やがて米軍はトンネルの中に爆弾を投げ込んだり火炎放射器であぶったりして、トンネル内に引きこもる日本兵を一網打尽にした。袋小路になっているトンネルの入口でそんなことをやられたら逃げ場はない。入口を発見されたら一巻の終わりである。そういうことが考えられないほど日本軍は切羽詰まっていたということなのだろう。