小笠原上陸【42】(2008/09/16~09/17)

おがさわら丸の夕食:


とうとう父島を離れてしまった。長いこと憧れていた島に上陸が叶ったのは得がたいラッキーだった。と言っても今回はお試しセット的に島の魅力のかけらをつまみ食いしたに過ぎない。そのくらいに慌ただしい旅であった。やはり時間が圧倒的に足りない。でもまたこの地を踏むことはかなりの困難を伴うことだろう。他にも見てみたい所は沢山あって、それらを差し置いてまで見に来られるかというと難しい気がするのだ。

それはさておき、島を離れてもう旅も締めくくり的な雰囲気になりつつあるが、まだ一昼夜にわたる船旅が残っている。

 

自分らの席に戻って少しのんびりした後でもう一度船内散策でもしようか、と思っていたのだが、何気なく横になったらいつの間にか眠ってしまい、次に起きた時には既に19時になっていた。窓がない部屋なので時間の感覚がなくなって来る。。。

このままダラダラしていたら夜眠れなくなってしまいそうだったので、一旦起床して夕食を食べに行くことにした。

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向かった先はレストラン。自分は煮込みハンバーグ定食

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カミさんは行きの船で少し気になっていたという豚キムチ丼焼きプリン
味は普通に美味しかった。ただ寝起きかつ酔い止めのせいでぼんやりしていたせいか前後の記憶があまりない。

 

食事を済ませて再び自席に戻った。自分らがいる3人席のうち右側の1席は使っている気配がなかった。ということはここは空席だろうか。その席の向こうの壁際にコンセントが付いているのを見つけたので撮影したデジカメ画像をノートPCにバックアップしておくことにした。

自分が持っているデジカメのメモリは容量が256MBしかなく、日々のべつ幕なしに撮影しているとあっという間に使い切ってしまう。ついでに言えば万が一デジカメをなくしたり落としてデータをロストしたりしたら目も当てられない事態になる。なのでノートPCを持ち込んで1日の終わりにメモリのデータをPCに移動していたのだ。

データのコピーをしていたら、そこいいですか?とその空席の主がやって来た。いたのか。。。なんて間の悪い。どうせなら席を交換してくれないかなと思ったが言い出せなかったので、すみませんと言って席を空けた。

そうなるとやることもなくなる。テレビを見てぼんやりするしかない。ぼんやりしていたらまた眠っていた。

 

帰京:


2008/09/17

次に目を覚ましたのは翌朝7時だった。よく眠ったものだ。
殆ど眠っていたのにお腹だけはいっちょ前に減っている。じゃあ朝食を食べに行くか、とカミさんと再びレストランへ。

行きの船で1度くらいレストランの食事もしておくかなんて言ったのに、気が付けばがっつりヘビーローテーションだ。でもおかげで健康的な食生活が保たれている。まさにレストラン様々である。

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朝食は焼き鮭定食と梅干。なんかものすごく沁みる食事だった。

部屋に戻ってもやることがないので、食事後もそのまま居残って席でダラダラと無駄話をして過ごした。ら、いつの間にか閉店の時間になって追い出されてしまった。仕方ないのでデッキに出てみたら三宅島と大島が霞んで見えた。いつの間にそんなところまで戻ってきていたんだ。

 

ベンチが空いていたのでそこに陣取って海をひたすら眺めていた。気が付くと房総半島の先端が見えてきていた。いよいよもうすぐこの旅も終わるんだな。海の色は東京湾の濁り色になっていた。小笠原の海と繋がっているとは思えない。

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東京湾に入るとほどなく第一海堡が見えた。富津岬の沖に浮かぶこの島は人工島である。明治時代に東京湾の湾口を防衛する目的で拵えられたものだが、実際に戦闘に用いられたことはなかったらしい。
造成されてから100年近い年月を経ているのでこうしてみると自然の島のようにも見える。

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更に進むと今度は第二海堡が見えた。
東京湾の湾口を固めるために作られた海堡は第一~第三の3カ所あったのだが、造成されてほどなく関東地震(関東大震災)が発生。第三海堡はほぼ海中に水没してしまった。第二海堡は写真のとおり遠目では島の体を保っているように見えるが、施設へのダメージが酷く結局要塞として使うことは放棄されてしまったらしい。

その後長いこと放置され、もっぱら渡し舟が釣り人を渡すくらいの利用に留まっていたが、数年前についに立入禁止となってしまった。

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重機が置かれ何らかの工事を行っているようなので施設の撤去か修繕が始まっているようだ。整備されて猿島のような戦跡を訪ねる場所になるなら一度訪ねてみたいのだが。どのようにする計画なのかは今のところよく分からない。
(2025年註:その後消防関連の施設となり、現在では不定期で上陸ツアーが組まれていると言うことだ。それはそれで行ってみたいが家族の了承が得られないだろうなぁ。。。)

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アクアライン
が見えてきた。海ほたるから木更津側に連なる橋が一望出来た。この道が完成した時は度肝を抜かれたものだ。何せ14キロに渡って広がる海を10キロのトンネルと4キロの橋で結んだというのだ。そのスケールの大きさも驚きだったが通行料金の高さも驚きだった。

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こちらはアクアラインのトンネル部分の中間に位置する風の塔という換気塔。唐突に海面から巨大なタケノコみたいなものが生えている光景も物凄い違和感だったが、もうだいぶ目が慣れた。

ここまで来ると竹芝入港はもう間もなくだ。父島を出港したのがちょっと前だったような気がしていたが、もう丸1日過ぎようとしているのか。。。

 

船室に戻って荷物をまとめていたら船酔いをしそうな感覚を覚えた。あ、もう24時間か。そんなぴったり効果が切れなくてもいいのに。。。持参した薬は旅行中に全て飲んでしまったので残りがない。なんとか下船まで耐えなければ。

そして、船が竹芝桟橋に接岸したというアナウンスが流れて下船。終わってしまった。旅が。

 

後日談:


島でいくつか買って来た食材を帰宅後調理してみたので簡単にご紹介する。

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まずはシカクマメ。関東のスーパーではあまり手に入らない野菜だったので購入した訳だが食べ方がよく分からない。調べてみると味噌汁や天ぷらがお薦めだそうだ。

購入して4日ほど経過している。島に滞在中は宿の冷蔵庫にしまっておいたのだが、縁の部分がやや茶色くなってしまった。

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天ぷらにする奴は大きめに。味噌汁に入れる方は小さめに刻んでみた。

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衣を付けてさっと揚げて天ぷらにする。茶色くなったところが見栄えが悪い。見た目はまぁまぁ上手にできたのではないかと思っていたが、食べてみたら少し苦みがあった。それと油を吸いすぎたようで妙に油っぽかった。油の温度が低すぎたか。。。

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味噌汁の方は、さやえんどうの味噌汁のような感じに仕上がった。味はまぁまぁだったが他の具を入れなかったので見た目が殺風景だ。どうせなら他の具材も入れるべきだった。。。

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最後にウミガメの缶詰。これはカミさんの実家へのお土産として買ったものだ。一缶1500円もする高級缶詰である。

お義母さんはウミガメと聞いて身構えている。変わった食材に手を出すタイプの人ではないので怪訝そうな顔で缶詰をしばし眺めていたが、折角なので何か作ってみると言って調理を始めた。結果雑炊となった。

我々も相伴することになったのだが、出来上がった雑炊をひと口食べてみたら口の中に何とも言えない臭みが広がった。いやこれダメ、NG!

丸丈で食べた雑炊を見習ってカミさんの助言によって薬味は多めにしたのだが、缶詰に入った肉そのものの臭みを消すことが殆ど出来ていなかった。その時食卓を囲んだ全員がその雑炊にNoを突き付けた。

そう考えるとやはり捌き方や下ごしらえにもノウハウがありそうだ。どうやったら丸丈の雑炊のような味が出せるのだろうか。まぁ、そうそう食べるものでもないからもう良いか。。。

 

あとがき:


長いようで短い6日間だった。何より島の滞在日数が4日しかない中で、母島、父島の2島を訪問するには全く時間が足りなかった。できればあと2日くらいあると守備範囲も広がって嬉しい所だが、そうなると旅程がまる1週間を越えてしまう。これは職場の説得がなかなか大変になるので、逆に1航海が8日間とかだったらそもそも島に行けなかったかもしれない。そう考えるとギリギリ丁度良い日程感であるのかもしれない。

幸いほぼ全期間に渡って天気に恵まれたのがよかった。雨が降ると行ける所が半減するし海が荒れて船が揺れたらここまで楽しみきれなかったかもしれない。

 

父島も母島も途轍もない絶海の孤島ではあるのだが、不思議とあまり途絶感がなかった。島へのアクセスはもちろんインフラなども離島なりの貧弱さはあるのだが、島で出会う人が一様に若く、先祖代々ここで畑を守っています、みたいな古老は見かけなかった。そのうえ日本に復帰してから街開きがされたような場所なので全体的に街並みが新しくまるでどこかのニュータウンみたいだった。

だから遥か遠くの島に上陸したのに、それほど遠い島へ渡ってきたという感じがあまりしていないのだ。そのことが小笠原の独特さであるのだろう。

次に小笠原の地を踏むのはいつになるだろうか。老後の楽しみになるのならその時は2航海とかで来てゆっくりしてみたいものだ。

 

ちなみに船を下船してから数日程激しい陸酔いに悩まされた。特に通路みたいな閉塞した空間で足元がおぼつかなくなって難儀した。職場の通路など覿面で壁に手をつきながら歩く羽目になった。それとパソコンの画面を見ている時にも頻繁に揺れた。なんでこんなに三半規管が弱いのだろうか。。。

(おわり)

Posted by gen_charly