岡山出張【5】(2023/09/17)
ハンセン病について:
岡山市の東側海岸沿いには瀬戸内市と備前市という2つの自治体がある。これらの沖合に架橋された島が3つ存在する。この後それらをひととおり巡って上陸記録を伸ばそうと考えている。まず最初に向かうのは瀬戸内市にある長島という島だ。有名な観光地がある訳でもなく知名度も決して高くない島だが架橋されていて車で渡ることができる。
なぜこの島に橋が架かっているのかというと、ここには邑久光明園と長島愛生園というハンセン病の療養施設があるためだ。
訪問の前まで自分はハンセン病について、顔や手に変形が生じる伝染病、と言うくらいのイメージしか持っていなかった。で、これらの施設は患者を隔離させるための施設なのだろうと考えていた。自分は今からその患者たちを隔離している島に近づこうとしている訳である。健常者がうかつに近づいて感染したりしないのだろうか。というかそんな島そもそも上陸自体が出来ないかも知れない。。。
かように全くもって無知蒙昧だったのだが、そのまま物見遊山気分で訪問するのは流石にリスクがありそうな気がしたので、旅行前にネットで簡単に事前学習をした。そしたら上に書いた自分の知識が全く正しくないものであることが分かった。
ハンセン病は日本国内においてはまず感染しない病気だし、感染者は全て治癒済みなので今は隔離は行われていないそうだ。島への上陸も特段問題はないらしい。
という訳で自分は長島の歴史館の見学および施設内の散策をしてきた。これよりその様子をレポートするが、その前にまず最初にハンセン病の病態や歴史などを簡単にまとめておきたい。少し重たい文章が続くが、恐らくこれを知らないままで読み進めてもこの先の話があまりピンとこない気がするので是非ともお付き合いいただきたい。
ハンセン病(らい病)はらい菌と呼ばれる細菌に感染することで末梢神経の麻痺や皮膚の発疹などの症状が生じる伝染病である。適切に治療を行わなかった場合、皮膚や神経、骨などに変形を生じたり、視力を失ったりするなどの症状を併発する。ただし、らい菌自体は本来それほど感染力の高い細菌ではなく、また感染しても発症率はかなり低いとされている。
だが、かつての日本の暮らしはひと間やふた間の狭い家で家族全員が寝食を共にするのが普通だったので、誰かが感染するといわゆる濃厚接触状態となり結果的に他の同居者に移してしまうことが多かった。と言っても上述のとおりそれほど感染力の高い細菌ではないので、免疫が獲得されている大人が発症することはまれで、もっぱら免疫力の低い子供が発症しやすかったらしい。
らい病自体は非常に古くからあり、歴史上の人物にも感染していた事や感染が疑われる記録が残されていたりする。長いこと適切な治療法が確立出来なかったため、かつての感染者は合併症の発症に至ることが多かった。だがこの病は発症までの潜伏期間が長く発症した時には既に感染の心当たりがないことが多かったため感染症だとは考えられていなかった。発症するとやがて風貌に関わる部位の変形を生じることから古くは仏罰や神罰であるとされ、また親が発症すると子供にも発症が見られることが多かったので長らく遺伝病であるとも考えられていた。
こうした病気なので発症者が現れると不吉の前兆や血筋の悪さを疑われ、発症者は家から出され患者を受け入れる寺に預けられたり遍路に出されたりしていたという。といってもそうした人は一部で多くの場合物乞いや勧請などをしながらの生活を余儀なくされた。
1869年(明治元年)にノルウェーのアルマウェル・ハンセンによってらい菌が発見され、この病気が遺伝ではなく細菌による伝染病であることが判明した。ハンセン病と言う名前は彼の名前から付けられている。
この発見を受け、欧米諸国では感染拡大防止と患者の救済を目的とした隔離政策が進められたが、日本では未だ遺伝病や神罰と考えられていた名残で患者が街中を徘徊している状態だった。感染症だとは考えられていなかったので被差別階級と同様の扱いをされ、見て見ぬふりをされていたらしい。
こうした状況に日本を訪れた欧米人が苦言を呈するようになると、明治40年に「癩(らい)予防ニ関スル件」という法律が制定される。この法律に基づき全国数カ所に療養所が設けられ、浮浪している患者などが収容された。
当初はあくまでらい病を患っている患者からの感染拡大を防止するための隔離施設であったが、その後昭和に入るとらい病撲滅を目的とした無らい県運動が大きな盛り上がりを見せた。またそれに足並みを揃えるように昭和6年には法改正も行われ、自宅療養している患者までもが隔離収容の対象となった。
当時国民の間に根強く残っていた穢れの意識や、国家主義の台頭による優生思想などいった世相を背景に運動は激化し、自宅の奥座敷や納屋などで息を潜めるように暮らしていた患者までもが魔女狩りのごとく密告されて強制的に連行され施設に収容されたという。
感染症自体の危険性を正しく評価することなく一律に隔離するような法改正を行ったのは大きな問題である。多くの国民はハンセン病が恐ろしい病気であると誤解し、偏見や差別を助長させてしまうことに繋がったからだ。感染症であるという理解が広まらず遺伝病であるという誤解が払拭できなかったことで、患者が出るとその家族までもが差別の対象となりお家がお取り潰しになってしまうような事も多かったそうだ。
ハンセン病の治療としてかつては大風子油の注射や様々な民間療法が行われていたが、いずれも決め手に欠けるもので治癒率も悪く、この病気は難治性のものであるとされていた。
1941年(昭和16年)にアメリカでプロミンという薬品が開発され、これがらい菌除菌の特効薬となった。以降、除菌薬も順次改良され、現在では複数の薬剤を服用する多剤併用により、早期に治療を行うことで合併症を発症することなく完全に治癒できるようになった。もちろん既存の患者に対してもそれは同様で、既存患者のらい菌の除菌にも目覚ましい成果を上げた。
なので現在の日本においてはハンセン病患者は1人もいない(たまに新規感染者は出るが、ほぼ海外生活が長い在日外国人だそうだ)。そのため現在施設に入所している人は元患者であり、合併症の後遺症と闘っている人たちと言うことになる。残念ながら合併症の方を治療する手段は未だに確立されていないのでこれはずっと療養が必要となる。
この時代になると世界的な潮流として強制隔離は不要であるという考え方が主流となり、積極的な社会復帰を目指す方向に舵が切られることとなった。合併症は残っていても感染症そのものは完治しているのだから他人に移すこともないわけで、患者はもはや隔離されるべき対象ではない。新型コロナに感染したら治療が終わっても終生隔離なんて話にならないのと同じだ。
その程度の話なのだが無謬性にこだわる国はそうした諸外国からの勧告を無視し、1948年(昭和23年)に成立した優生保護法に至ってはハンセン病患者が妊娠した場合に強制的に中絶することが定められるなど、ダメ押しのような政策を続けていた。
(ちなみに法律による裏付けがなくても、不妊手術や断種といった行為はそれ以前から常態化しており事実上強制だったようだ。)
こうした施策のせいでハンセン病患者(元患者)やその家族に対する差別や偏見は根強く残りつづけたという。
この風向きが変わったのはずっと時代が下って1996年(平成8年)のことである。らい予防法がようやく廃止されることとなったのだ。
更に2000年(平成12年)には隔離政策の誤りについての謝罪ならびに名誉回復と賠償を求めるらい予防法違憲国家賠償訴訟が元患者らによって提訴され、翌2001年には原告勝訴の判決が出た。国側はこの判決に対する控訴を断念したため判決が確定し、この時点でようやく元患者の名誉と人権の回復が果たされることとなった。
さて、晴れて人権と名誉を回復した元患者たちだが、それで自由を謳歌できるようになったかといえば必ずしもそうではない。
国も不作為を糾弾されたことが不服であったのか、表向きの謝罪や人権回復などは行ったもののハンセン病が適切に治療を行えば恐れるに足らない病気であるということや、後遺症に苦しむ元患者たちがそれを人に移すことはないと言った啓蒙を積極的に行わなかったので、未だに国民に根強く残る差別意識が払拭できていない。事実、自分も事前学習をするまで大いに誤解をしていた。
これまで述べたとおり、両親などの身内から縁を切られてしまったり、断種や強制堕胎で子どももいない孤立状態の入所者が多い中で、単身施設を出て暮らしていくことは多くの困難を伴うことになる。なにしろこの施設の入所者の平均年齢は既に80歳を超えていて、元患者でなくとも何の支援も受けずに暮らすことは難しくなりつつある世代なのだ。もちろん差別的な扱いを受けることも未だに多く、ハンセン病元患者であるからと宿泊を拒否されるような事件も発生しており、そうした差別(をする人)の存在を気にしながら生きていくのもつらいものがある。
そういった諸々の理由から退所せず施設で生涯を過ごすことにした(あるいは過ごさざるを得ない)人たちが未だに入所しているので、今もって施設はあり続けているのである。
簡単にと書いた割に紙幅を割いてしまったが、ハンセン病問題はその病態や治療の歴史、隔離の歴史、政策とそれに伴う偏見差別の歴史が複雑に絡まった極めてややこしい問題であり、ある程度齟齬のないように書くには自分の拙い文章力では簡潔にまとめられなかった。
さて、長島に話を戻す。ネットで長島愛生園について調べると、見学には事前予約が必要ですとだけ書かれていて、それが個人向けなのか団体向けなのか、あるいは歴史館の見学のためなのか敷地そのものへ入場するためのものなのかがよく分からなかった。
これだけハンセン病の背景を描いておいて何だが、実は今回あまり腰を据えた見学をするつもりがなかった。他にも見に行きたい場所があり、限りある自由時間をここの見学で消費してしまうことは避けたかったのだ。で、要予約の一文である。要予約とは、例えばアテンドを伴って園内を見学したり、団体で見学するために時間指定をするためなのではないかと思った。これだと時間的な制約が多くなってしまい、他の見所を回る時間が取れなくなってしまう可能性がある。
園のサイトを見ずに直接現地訪問する人も多いだろうから、よほど入退館に厳格な施設でもない限り、多分当日現地で申し出ればどうにかなる気がする。それで門前払いだったとしても、それはそれで諦めて次に進むだけだからまぁいいか、ということで突撃スタイルでの訪問となった。