岡山出張【6】(2023/09/17)

長島愛生園への道のり:


長島は岡山ブルーラインという道路の虫明(むしあげ)ICを降りて10分ほど進んだ所にある。
本土とは僅か数十mの海を隔てて向き合っていて、昭和62年に邑久長島大橋によって地続きとなったので車で上陸することができる。

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虫明は鄙びた集落で道も細い。そういう場所に隣接している島だからこそ隔離の島として選定されたのだろう。

そんな一本道を進んでいくと視界の先に水色のアーチ橋が見えてくる。

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この橋が邑久長島大橋である。この橋が架かったことで本土と地続きとなったが、開通当初はまだ隔離の島(らい予防法がまだ撤廃されていなかった)であったため自由に渡ることは出来なかったようだ。だが、この橋が架橋されたことは入所者にとって隔離が必要でないことの証明であり人間回復の橋という別名で呼ばれている。

 

橋を渡って島に上陸、まずは特に制限されることもなく上陸することができた。この島が島旅103番目の島となった。

島は山がちで平地は少ない。そのうえ海岸線が入り組んでいるためあまり有効な土地活用が出来なさそうな島である。
施設が出来る前は20名ほどの住民が暮らしていたというが、国によって全島買い上げられてしまったので昔からの島民はいない。

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山を平らに均してそこに施設が建てられているが、それらを結ぶ道はご覧のようにアップダウンをしながら続いている。
道は割と最近修繕が行われたのか舗装が綺麗でアップダウンとカーブが頻繁に続く以外は走りやすい快適な道になっていた。

写真では既に通り過ぎてしまっているが、後方右手側には邑久光明園がある。こちらも愛生園同様かつてのハンセン病隔離施設であり、現在は療養施設となっている。なぜそうした施設がひとつの島に2つあるのかと言うと、光明園は当初大阪市内にあったのだが室戸台風により全壊したため移転してきたのだという。

光明園は島に上陸して最初に見える施設だが、丘の上を切り開いて作られていて道路から中の様子があまり見えず、立ち入ってよいものか判断しかねたため素通りしてしまった。車を停めて写真なんか撮っていたら警備員に咎められるのではないかと不安だったので写真も撮影していない。

帰宅後に光明園のWebサイトを見つけたので見てみたら、見学申し込みをすることで見学は可能だったようだ。見残しとなってしまったが、こちらはまたの機会としたい。

と言うことで更に車を進めていくと、あちこちの路肩にこんな看板が掲げられていた。

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「シカ飛び出し 廃車注意」
鹿はともかく廃車注意の意味が最初よく分からなかった。初め廃車が置かれている場所があるので気をつけろよという意味かと思ったが、数秒後、鹿と衝突すると車が廃車になるからぶつからないように注意しろ、と言う意味であることに気づいた。

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道を進んでいくと所々に療養所の関連施設と思しき宿舎などがあるが、その割にすれ違う車も通行人の姿も全く見かけない。

職員や入所者の姿が見えないのは今日が日曜だからかなと言う気もするが、見学者の姿が全く見られないのが意外だった。さっき見てきた水没ペンションなんかただの廃墟なのにひっきりなしに見学者がやってきていた。それと比べたらなんと寂しいことか。ハンセン病というテーマがあまり観光向けではないのは分かるが、もう少し興味を持つ人がいてもよさそうな気もする。

あまりに人の気配がないのでなんだかゴーストタウンを走っているような気になってくる。と同時にここはやっぱり部外者立入禁止なのではないだろうかという不安がさっきから自分の脳裏をよぎりっぱなしだ。何らかの偶然が重なってたまたまここまで来れてしまっただけで、そのうち警備員などがすっ飛んできて大目玉を食らうのではないだろうか。大目玉くらいならいいが不法侵入で警察に突き出すなんて話になったら非常に困る。

とはいえ道路の作りや看板などを見ている限りここは公道であるように思える。公道なら通行止めを明示されていない限り通行は自由である筈だ。とりあえず進めるところまで進んで駄目そうだったら引き返すでいいか。。。

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そうこうするうちに目の前に橋が見えてきた。船越橋というらしい。
この橋を渡った先が長島愛生園の敷地となる。橋のたもとに駐車場があったのでそこに車を停めた。

実はこの橋についてはグーグルマップで眺めていた時から不思議に感じていた。というのも、光明園がある側の敷地と愛生園がある側の敷地は分断されており、両岸の間に幅20mほどの海峡が横たわっているのだ。であればこれらは別々の島と言うことになるが、どの資料を見ても両方とも長島と書かれていて、別々の島であるとは書かれていない。なのでここに来る前は両方の島はわずかに陸続きで橋がかかる辺りで繋がっているのだろうと考えていた。

だがこうしてみるとがっつり離れている。

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だとしたら、元々ひとつの島だったところを分断させたのだろうか。それにしては航空写真などを見る限り浚渫などを行った様子がない。

常時海水により隔てられている陸地は別々の島とすることが通例だ。伊良部島と下地島のようにわずか数mの水路で隔てられている場所でも別々の島の名前が付いている。結局、謎は深まるばかりだった。

橋を渡って東側の島に上陸。島の名前が同じなのでここは島カウント増減なしで。
こちら側もひと気が全くない。一体どうしたことだろうか。

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ちょっと進んだらバス停にバスが停まっていた。バスがやってくると言うことは少なくともこの道を通行することは問題なさそうだ。ただしバスのナンバーが白いのがちょっと気になるが。。。

奥の丘の上に見えるツタで覆われた建物が歴史館である。こちら側にも広い駐車場が用意されているので歴史館に行くだけならこちらの駐車場に停めた方が近いのだが、橋をチェックしたかったので手前に停めた次第。

駐車場の奥に園内の案内図が掲載されていた。それより下の看板である。

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この大きく書かれた「立入をご遠慮下さい」の文字だけが遠くからはっきり見えてギョッとした。やっぱり部外者は立ち入っちゃいけなかったのだろうかと心拍数が上がった。

だが近づいてみたら、コロナ感染症対策として部外者の立入を制限するための物であった。制限の範囲外とされるのは関係者と見学者とある。もちろん自分は見学者としての心構えでここに来ているのだが、見学申し込みをしていないので見学者でございと大手を振ってよいものか不安を感じる。

まぁ、このひと気のなさであれば歴史館の建物までは誰とも会わないだろうからそこまでは行けそうだが。。。

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と言うことでさらに進む。二手に分かれる道を左に進んで坂道を登っていくと、遠くから見えていた歴史館の建物が近づいてきた。

Posted by gen_charly