従弟の結婚式【3】(2009/12/07)
撮り鉄の旅:
2009/12/07
今日で帰宅。幼い頃ここにくるのは夏休みなどの長期休暇の時だったので、岩手にいる時はのんびり過ごしていた。だから岩手にくると何となくダラダラ過ごしがちになるのだが、今はそんな長い休みはどう転んでも取ることができない悲しきサラリーマンなので、いつも帰り際は後ろ髪を惹かれる思いで帰宅することになる。
午前中にお土産の買い出しに行って、午後弟たちが出発する時間に合わせて自分も出発。まずは一ノ関駅に向かった。もちろん昨日カメラが無くて撮影できなかった209系を写すためである。

果たして留置線には昨日と変わらぬ姿で佇む209系の姿があった。この一関という東北の小都市に4扉の通勤電車がある違和感。この時は廃車待ちのための留置かと思ったのだが、帰宅後に調べたら改造して房総方面で再利用する計画があるらしく、その改造待ちでの疎開だったらしい。
それにしても209系は走るンですなんて揶揄されることもある(特に古い鉄道ファンに)あまり評判の良くない車両である。かつての鉄道車両は耐用年数を40年程度と見積もって製造されたのだが、長持ちする車両を作るためにはコストがかかる。しかも40年間技術が進歩しないということもないので、走行機器は旧式化していき、車内の造りも時代に対応できなくなる。
だったら耐用年数をその半分の20年くらいに設定して、その分コストも半分くらいに抑えて20年ごとに取り替えれば、陳腐にならずにいつでも新しい電車に乗れていいよね、という設計思想で誕生したのがこの209系である。
そうした設計思想で作られたのでコストダウンが徹底されており、全体的に簡素な造りになっている。その使い捨て感覚が一部のファンの不評を買い、走るンですなどと揶揄される羽目になったというわけだ。
で、京浜東北線では計画どおり20年程度の運用を終えて引退した訳だが、それを再利用するというのだからいただけない。地方なら文句も出ないだろうみたいなノリはいかがなものか。
このエントリを書き上げた当初は、上記で締めくくっていたのだが、今回リライトするにあたり2025年現在の状況も補足したい。房総地区へ配属となってから既に15年以上が経過したが、現在もこの車両が主力となっている。実際乗ってみると案外それほど陳腐な感じもない。なんだ、結局40年くらいは使えるじゃん。ということはその前に製造された旧国鉄形車両はどれだけ高コストだったのか、という気がしなくもない。元々国鉄は高コスト体質だったきらいがある。国鉄時代にこのくらいのコスト意識が有ったら分割民営化の憂き目にあわずに済んだかもしれないのに。
まぁ、201系とか211系みたいに40年どころか50年近く使い倒している車両もあるのだから、昔の車両は209系よりも遥かに丈夫に作っていたんだろうな、という考え方もできるのだが。
くりはら田園鉄道:
ここから帰宅に向けた南下を開始。最初に訪問したのは宮城県栗原市にかつて路線を有していたくりはら田園鉄道である。
栗原市は宮城県北端の街で一関市に隣接している。車であれば30分くらいで訪問できる程度の距離なのだが、1990年に一関に行った時は色々あって自由が利かず、次に行った2006年の時は撮り鉄趣味をまだ復活させておらずで、そうこうするうちに訪問果たせぬまま廃止されてしまった。
2006年の時点はまだ廃止前だったので、その時に行っておけばと今になって悔いが残るわけだが、実は当時運行していた車両などは現在も若柳駅の構内に留置されたままとなっていて、車両を見ることだけなら可能だ。せめて車両を見て往時を偲びたいと思っての訪問である。
Webの地図サイトで若柳駅を検索しても既に廃止された駅なので表示されない。出発前にどうやって訪問しようかと考えたのだが、簡単に解決した。自分のカーナビは地図が古くまだ若柳駅が現存することになっている。なのであっさり検索できた。
そのナビ案内に従って、のんびり1時間ほどかけて若柳駅に到着。

こちらは自社オリジナル車両であったM153という電車。だいぶ年季の入った車両ではあるが、前面2枚窓ですっきりしているせいかそれほどの古さを感じない。
割と直前までM181も留置されていたらしいが解体されてしまったとのこと。

で、こちらも自車発注のディーゼルカーKD95形。こちらはM153と違ってだいぶ小綺麗な状態だ。というかなぜ、電車とディーゼルカーが混在しているのかというと、この鉄道会社がかつては栗原電鉄という電化私鉄だったからだ。沿線にある鉱山からの貨物輸送で成り立っていたのだが、閉山となった後は乗客減が著しく、やがて県からの支援も得られなくなってしまった。それでも路線存続が模索され、1993年に地元自治体により第三セクターのくりはら田園鉄道が設立された。
これで再出発を図ることになったわけだが、電化路線を維持し続けるコストが負担となり、1995年に非電化に移行したという経緯を持つ。
その際に配備されたのがこのKD95形だ。なのでまだそれほど傷んでいないのだが、上記M153は栗原電鉄時代の車両であり、電化廃止後15年近く野晒しとなっていたために傷みが目立っているというわけだ。

さらにレールバス的なKD10形という車両も存在していた。こちらは元名鉄のキハ10形である。名鉄は閑散線区のコスト削減のため一部で非電化に移行することになり、その際に導入されたものだ。近江鉄道でも同様の手法が採用されたが、電化設備の維持コストを下げることには貢献したものの、走行方式の異なる車両を混在させることによるコストの増大や、運用時の融通の利かなさが徒になり、所定の効果は上げられなかったようだ。
名鉄の方は路線廃止となり、その後宮城の地へ渡ってきたわけだが、この路線もご覧のとおりその後廃止となっている。つまり2度に渡って同じ経緯を辿った路線で仕事をしてきたことになる。そのせいか何ともいえない哀愁が漂っているような気がする。

電気機関車のED20形。

ディーゼル機関車のDB10形。
この駅に留置されていた車両はだいたいこんな感じである。他に機械や貨車などもあった気がするが、自分のテリトリー範囲外なので詳細な記憶がない。
なお、これらの留置されていた車両は、後に若柳駅跡地を利用して開館したくりでんミュージアムが受け継ぎ、現在も車両が残されているうえ、KD95形は構内を運転体験することもできる。いずれ訪問してみたいところだ。
福島交通:
さて、くりはら田園鉄道の車両撮影が済んだのでもう1か所立ち寄りたい。次の訪問先は福島駅である。福島駅には福島交通というローカル私鉄が乗り入れている。車両が1種類でしかも東急のお下がり電車なので、正直あまり興味があるわけではないのだが、コレクションの観点からは撮影しておきたいところ。
福島までは高速代をケチって一般道で向かったため、思いのほか時間がかかってしまい、到着時点で17時を回ってしまった。12月の17時なのでだいぶ暗くなってしまったが、とりあえず入場券を購入しホームに向かう。

福島交通の電車は上述のとおり元東急の7000系である。中間車両に運転台を取り付けて先頭車改造した車両なので、素っ気ないデザインのフロントマスクになっている。
福島交通の他にも、和歌山の水間鉄道や青森の弘南鉄道などにも譲渡されたため、割とあちこちで姿を見ることができる。車両自体は東急で運行されていた頃に撮影を済ませているせいか、あまり食指の動かない車両だったりする。
17時の時点で福島にいるのはだいぶ遅い。明日は出勤が控えているので早々に帰宅しなければならない。ここから先は高速を飛ばして東京に向かった。結果22時過ぎに到着したのだが、カミさんはまだ帰宅していなかった。お仕事ご苦労様です・・・。
(おわり)