奄美皆既日食観測ツアー - 4(2009/07/19)
— 二又トンネル —
結局あまりちゃんと眠れないまま朝を迎え、ふと気づくと8時半。
昨晩が寝苦しかったので、眠いのですが、太陽が出てきてこれ以上寝続けることも辛かったので、ひとまず起床。
ここの道の駅はJR日田彦山線の駅も併設されていて、歯磨きついでにカメラを持って駅に行ってみると、ちょうど列車のやってくる時間でした。
少し待ってやってきた列車を一枚カメラに収めて今日の行動開始です。
今日は一日鉄の旅となります。
このサイトは旅サイトで鉄道サイトではない(え?いつから!?w)ので、写真は一部のみの掲載に留めますが、ほとんど鉄っぽい話ばかりなので、興味のない方は次のページからご覧くださいw
まずは、彦山駅へ行ってみようと思います。
彦山駅は、道の駅から10分くらいで着きます。
クラシカルななかなか趣のある駅舎です。
今回なぜ彦山駅に来たかというと、Wikipediaで見つけた 「二又トンネル爆発事故」の現場が今どのようになっているのか見に行ってみたいと思ったからです。
二又トンネル爆発事故について簡単に説明すると、戦時中、当時はまだ路線が建設中で未開通だった区間のうち、既に掘り終えた二又トンネルに日本軍が爆薬を隠していて、戦後になってアメリカ軍がこれを焼却処理する際に誤って大爆発をさせてしまい、周辺の住民を含めて150名近い人が犠牲となった事件です。
その破壊力たるや、トンネルを吹き飛ばしただけでなく、トンネルの上の山まで吹き飛ばしてしまい、その跡地はさながら掘割のような状態になるほど凄まじい物だったそうです。
(上のリンクをクリックすると、その時の写真を見ることが出来ます。)
さらに、その爆発音は遠く福岡や別府でも聞かれ、現場近くにいた生存者には逆に人間が聞き取ることが出来る音をはるかに上回る音だったため、まったく爆発音が聞こえなかったそうです。
さて、まずは二又トンネルがあったであろう方角をホームからみてみると、あたりは鬱蒼とした森ばかりでそれらしき痕跡は見当たりませんでした。
今度は駅を出て、筑前岩屋駅方向へ歩いてみようと思います。
駅前広場から続く道を降りると国道500号線です。
国道を左折すると数百メートルで上のリンク先の写真で見たのと同じ橋が見えてきます。
ということは、橋の先にある掘割になっている所が二又トンネルのあった場所のようです。
ホームから見た時は気がつかなかったのですが、よく考えてみれば、いつまでも禿山のままであるわけはなく、時とともに緑も回復してくるので、そりゃイメージも変わってきますよね。
— CANADA —
というわけで、ひとしきりうろうろした後、駅に停めた車に戻って、今度は平成筑豊鉄道の車庫がある金田駅へ。
金田駅は「かなだえき」と読み、よく「カナダへ行ってきました」的なコネタに使われる駅です。
ホームにお邪魔すると、奥のほうが車庫になっていて、10両くらいが休んでいました。
車両の写真を撮ろうと奥のホームに渡って何枚か写真を撮った後、ふと振り返ると歩道橋が設置されていて、歩道橋の先は車庫へと続いているようだったので、ちょっと行ってみることに。
特に進入を制限しているようでもなかったので、階段を降りると車庫の端の方に出ました。
その脇で、地元の人と思しき老夫婦が孫を連れてビデオカメラを回しながら遊んでいました。
後ろの方にも車両が留置されていたので、何枚か写真を撮っていると、
「$〇#д★¢!%&*」
野村監督を二回り位小さくした様な雰囲気のおじいさんが後ろに立っていて声をかけられたのですが、訛りがきつくて最初何を言っているのか全く分からず、何度か聞き返してしまったのですが、
「あんた鉄道の写真ば撮っとると?」
というような事を言っているようです。(方言は適当w)
やっと何を言っているのか分かったので、
「そうなんです。」と答えると、
「こげん場所で写真撮ってもいい写真にならんから、いい写真ば撮りたかったら竹下駅へ行ってみるとよか。」
そうなんですか、と相槌を打つと、おじいちゃんはやたら饒舌になり、
- 自分も昔から写真を撮るのが好きで、あちこち写真を撮りに行ったこと
- 昔、結婚式に呼ばれて横浜へ行った時にたまたま港で撮った海鳥の写真が綺麗だったので、コンテストに送ったら入賞して、それ以来写真を撮るのが趣味になったこと
- 今は体力がないからあまり遠くへはいけないこと
- 昔は一眼レフを使っていたけど、今はビデオカメラで撮るだけでも綺麗に撮れるからもっぱらこっちばっかり使っていること
なんかを話してくれました。炎天下の中。。。
あんまり話が長いので困ったなぁ、思いつつ、あんまり楽しそうに話すので無碍にもできないなぁ、などと思いながら話を聞いていたら、そろそろどこかへ行く時間だったようで、おばあちゃんが「早く行くよ」 とせかし始めたので、「じゃ、頑張って」と行って向こうの方へ行ってしまいました。
まぁ、そういう話を延々聞くのも時間があるときなら結構好きなんですけど、今日は予定が詰まっているので原付も先を急ぐことに。
続いて訪れたのが、筑豊電鉄の筑豊直方(ちくほうのおがた)駅。
前回来た時に写せなかった3000形の写真を撮るためです。
筑豊電鉄の車両は、かつて北九州の路面電車に乗り入れていた関係で、路面電車タイプの車両が走っています。
筑豊直方駅は高架駅になっていて、高架下の商店は昭和50年位から時間が止まったままのような趣。
駅自体も昭和の香りが漂う駅で、階段を上がると、いきなりホームになっています。
線路はホームの端でぶっつり途切れて、その先から下を眺めると県道が通っています。
ホームにちょうど停車していたのが、3000形で、幸先の良いスタート。
数枚写して、せっかくなので、一本列車を待って前回も写した2000形を待つことに。
誰もいないホームで佇んでいると、数百メートル離れた場所にあるJRの直方駅の方から結構列車が往来しているのか、ちょくちょく汽笛が聞こえてきます。
そんな感じで10分ほど待ってやってきたのは2度目の3000形。
何もない駅で10分以上待つのは目的がしっかりしていないと結構苦痛です。
原付は一本待ってギブアップ。
ということで、2000形は諦めて、JR直方駅に行ってみる事に。
直方駅はちょっとした車両基地になっていて、いくつかの種類の車両が停車していました。
それで汽笛が聞こえてきていたようです。
それぞれ一枚ずつカメラに収めて、次の目的地、北九州モノレールの企救丘(きくがおか)駅へ向かいたいと思います。
北九州モノレールは、小倉駅と企救丘駅を結ぶモノレールです。
なぜ企救丘駅を選んだのかというと、深い意味はなかったのですが、写真が撮りやすそうかなと。
思ったよりも住宅が立ち並んでいて、車を停められそうな所がなくて困ったのですが、少し先に進んでみると、ちょうど小倉競馬場へ行く人のための臨時駐車場を見つけました。しかも無料。
ためしに入ってみると、係員が立っていて呼び止められたので、窓を開けると、紙を一枚渡されました。
どうやら帰りのモノレールの乗車券の引換券らしいです。
ということは片道無料、ということ?
なんという太っ腹。
で、よくみると、あちこちにモノレールの車両が止まってます。
どうやら、ここはそもそもモノレールの車庫だったようです。
こりゃまたラッキー。
この車庫は企救丘駅から地上へ降りる為に敷地をぐるっとループしていて、敷地が有効活用されています。
ここで、数枚モノレールの写真を写して、企救丘駅へも行ってみようと思ったのですが、面倒になったので、そのまま車に逆戻り。
車が冷えてくるまでの間、ノートパソコンを取り出し、今日の宿を探すことに。
昨日の寝苦しさは筆舌に尽くしがたい(んな大げさな。。。w)物だったので、これからの旅程、ずっと船中泊や車中泊が続くことを考えると、へばらないためにも一度ちゃんとした所で休んでおこうと、緊急決定したのでした。
で、博多駅周辺のホテルで探して見つけたのが「プレジデントホテル」 というホテル。
電話すると空きがあるというので、無事予約。