都内の東日本大震災【10】

3月22日 水道水から放射性物質が検出される:


週明け。また仕事が始まる。物流の方は相変わらず綱渡りが続いているものの、震災直後のような緊迫感はだいぶ薄らいできた。ほとんどの人は普段どおりの仕事に戻っている。このところずっと気持ちが張り詰めていて、職場へ行くのも憂鬱で仕方なかったのだが、金沢への逃避行が良いリフレッシュとなり、幾分気分が前向きになった気がする。

ところがそんな気分に水を差すかのように、我が家の水道水を供給する金町浄水場で、放射性物質が検出されたというニュースが飛び込んできた。ほらやっぱりこうなるんだよ。毎日口にしなければならない飲み水が汚染されて、どうやってこれからを健康に暮らせるというのか。

政府は再び記者会見を開き、直ちに影響のあるものではないが、念のため乳幼児には飲ませないようにしてほしいとコメントしていた。影響がないのに乳幼児に飲ませちゃダメとはまた、随分と矛盾したことをサラっというものだな、とその時は思ったが、まぁ確かに乳幼児は様々な物質への耐性が不十分なので、ちょっとした量でも影響が出やすい。だからよくよく考えたら矛盾はしていない。この政府は国民に考えさせるのが好きだな。

ただ、大人には直ちに影響がないといわれても、そんな水を積極的に飲みたい人はいない。案の定、このニュースが流れた直後から、都内のスーパーなどに消費者が殺到し、再び各店で在庫切れになってしまった。日中暇がある人が水を買い占めてしまったので、共働きの子育て世代の人が仕事帰りに買いに行ったら、もう売り切れで購入できなくなってしまった。粉ミルクを作るための水がなくて大変だというので、急遽区役所などで備蓄していたものを、そうした子育て世代に放出するという騒ぎになった。

自分らは金沢に行った際に、2ケースほど確保させてもらった。このことは大きな安心材料ではあるのだが、そもそも我が家ではミネラルウォーターは、特別な事情がある時でないと開封できない不文律があるので、普段は水道水を飲んでいる。この状況下で引き続き水道水で喉を潤すことにそこはかとない不安は感じるが、今のところ大人への影響は少ないという言葉を信じることにしよう。確保した水は本当の緊急時のために取っておくことにした。

4月3日 従弟の出産祝いを買いに行く:


間もなく震災から1カ月を迎える。発災当初の混沌とした状況は、ここ1週間くらいの間に徐々に秩序だってきて、被災地の復旧作業なども少しずつ軌道に乗り始めた。

高速道路や新幹線にも大きな被害が出たが、そうした大動脈ほど優先的に復旧工事が進められ、高速の通行止めは解消しつつあった。新幹線ももう少しで再開するらしい。それと同時に電力網の復旧も進められ、津波の被災地以外のエリアでは概ね復旧というところまでこぎつけていた。

余震の回数も徐々に減少し、ここ数日は体に感じる地震も1日数回程度となった。岩手の従弟は、震災以降立て続けに大きな余震が続いたのと停電してしまったのとで、暫くの間車での寝泊まりを余儀なくされていたが、停電が復旧したあたりで自宅に戻り、片付けも一段落したと連絡があった。

千葉のカミさんの実家の方もまた1週間以上に渡って停電が続いたが、今ではほぼ日常を取り戻しつつあるということだった。

我が家も、いつ大きな余震に襲われたり、それによって避難を余儀なくされる事態に陥るかが分からなかったので、震災シフトを組んでいたのだが、さすがに散らかったままの部屋で毎日を過ごしていると、精神的に荒んでくるような感じがしたので、ぼちぼち片付けることにした。

週末、従弟の出産祝いを買いに行くことになった。普段は欲しいものを買ってもらいたいという思いから、商品券などを渡していたのだが、岩手の被災状況や物資不足を考えると、金銭を送るよりも消耗品などの物資を送った方が喜んでもらえるのではないかと考え、近所のベビー用品店へと足を運んでみた。とはいっても我が家にはまだ子供がいないので、この出産間もない時期に、どういったものが必要になるのかがよく分からなかった。いや分からないのは自分だけで、カミさんはちゃんと知っていた。

購入したのは、紙おむつ、ウェットティッシュ、肌着の3点である。これらは出産後暫くの間、大量に消費するものらしい。そのうえ物資不足の状況によらず使えるので、ありすぎて困るものではないから、きっと便利に使ってもらえるはずだそうだ。

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店内は綺麗に片づけられ、品数も震災前と同じくらいに回復している感じだったが、建物内の一角に、天井板が剥がれたままになっているところがあった。様々な理由で修理が追い付いていないのだと思うが、この店以外にも被災の痕跡を修復し切れていないところが未だ散見された。

一式発送して数日後、従弟から到着の連絡があった。日用品はだいぶ揃うようになってきたが、未だに数量制限があってまとめ買いができないらしく、ストックが確保できない状況でとても助かったと言ってくれた。こういうのをちゃんと把握しているところはさすが女性だと思った。

それから何か変わったことがなかったか聞いてみたら、あれから何度か車で沿岸部を見て回ったそうだ。昨年の岩手訪問の際、釣りをしに行った時に立ち寄った、陸前高田の道の駅や、唐桑半島にあったコメリなんかはみんな流されてしまったらしい。また海岸から随分内陸の方まで瓦礫が入り込んでいて、周囲にはそのエリアでは普通感じることのない磯臭さが漂っていたそうだ。

ここ最近はテレビの特番などでも、東北地方各地の被災の様子が報告されているので、大まかには様子が分かっているつもりだったが、やはり地元にいる人間から発せられる言葉を聞くと、その重みが全く違って聞こえる。

4月7日 本震後、最大の余震:


前日の4月6日にようやく東北新幹線が営業再開にこぎつけた。被災当初に撮影された写真では多数の架線柱がなぎ倒されているような状態で、この復旧は相当な長期戦になるだろうと思っていたが、懸命の復旧工事によって1か月を待たずしての運転再開となった。

その翌日、4月7日の夜にこれまでで最大の余震があった。自分が自室でネットを見ていた時、リビングでテレビを見ていたカミさんが、突然、地震!揺れてる!!と慌てた声を出した。その声を聞くか聞かぬかのタイミングで、自分が腰かけているオフィスチェアが小刻みに揺れ始め、廊下に吊るしてあるウィンドチャイムがチリンチリンと音を立て始めた。このウィンドチャイムは、小さな揺れでも反応して音を立てるので、地震の早期検出装置として震災後にぶら下げておいたものだ。

初期微動と思しき小さな振動が長く続いている。ということはこれは規模の大きな地震になりそうだ。そう思ってリビングに移動しようと、椅子から立ち上がったら、テレビから緊急地震速報のアラートがけたたましく鳴り響いた。

と、次の瞬間、部屋が大きく揺さぶられた。大きくといっても、本震の時に事務所で感じた揺れと比べたら一回り小さい感じではあるが、それでも震度4か5程度の揺れであるように感じる。その地震動は本震の時のようなガサガサといったものではなく、地面を支点にしてグルグルと振り回されるような気持ちの悪い揺れだった。そんな揺れが2分以上続いた。だんだん船酔いの時みたいな気分の悪さを感じた。

やがて揺れが収まり、ほどなくテレビから震度速報が流れた。震源は宮城県沖、マグニチュードは7.4(後に7.2に修正)とのことだ。都内の震度は3と出ていた。え、3?そんな生ぬるい揺れじゃなかったぞ今のは。

やはり建物の高層階になると、実際の震度よりも揺れが大きくなるのだろうか。地震は主に揺れの加速度と、その動きの量から震度を判定している。今回はゆらゆらと大きな動きだったことを考えると、加速度がそれほど高い数値にならなかったのかもしれない。そう考えると、震度の判定基準を定めるのはなかなか一筋縄ではいかないものだなと思った。

それはさておき、この地震で一関は震度6弱が観測された。6弱といったら本震の時に計測された震度と一緒だ。こりゃ大変とすぐに従弟に電話をかけた。まだ回線輻輳は起こっておらずすんなりと電話が繋がった。

電話に出た従弟によると、身辺とりあえず無事で今時点で特に建物などへの影響は確認できないということだった。ただ再び停電してしまったのでまわりが真っ暗だといっていた。大変な状況ではあるが、まずはみんなが無事で安心したことと、余震に気を付けて安全な場所で休むよう伝えて電話を切った。

この地震の影響で、前日に運転再開したばかりの東北新幹線が再び被害を受けて、再度の運休を余儀なくされた。工事にまい進した人たちはさぞがっかりしたことだろう・・・賽の河原か。

Posted by gen_charly